ローマ4:13-25 『ローマ12 正しさではなく、愛の関係を』 2017/09/10 松田健太郎牧師

 

ローマ人への手紙4:13~25
4:13 というのは、世界の相続人となるという約束が、アブラハムに、あるいはまた、その子孫に与えられたのは、律法によってではなく、信仰の義によったからです。
4:14 もし律法による者が相続人であるとするなら、信仰はむなしくなり、約束は無効になってしまいます。
4:15 律法は怒りを招くものであり、律法のないところには違反もありません。
4:16 そのようなわけで、世界の相続人となることは、信仰によるのです。それは、恵みによるためであり、こうして約束がすべての子孫に、すなわち、律法を持っている人々にだけでなく、アブラハムの信仰にならう人々にも保証されるためなのです。「わたしは、あなたをあらゆる国の人々の父とした」と書いてあるとおりに、アブラハムは私たちすべての者の父なのです。
4:17 このことは、彼が信じた神、すなわち死者を生かし、無いものを有るもののようにお呼びになる方の御前で、そうなのです。
4:18 彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。それは、「あなたの子孫はこのようになる」と言われていたとおりに、彼があらゆる国の人々の父となるためでした。
4:19 アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。
4:20 彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、
4:21 神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。
4:22 だからこそ、それが彼の義とみなされたのです。
4:23 しかし、「彼の義とみなされた」と書いてあるのは、ただ彼のためだけでなく、
4:24 また私たちのためです。すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです。
4:25 主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。

世の中、腹立たしいことがいろいろありますね。
私たちが生きているこの世界は、不条理で満ちています。

皆さんは、どんな人たちを見た時に、イライラしたり、腹を立てたりするでしょう。
皆さんが、「こんな事はできて当たり前だ」と思っていることは何でしょうか?
同じクリスチャンであっても、「これはいかがなものか?」と思う事はどんなことでしょう?
ぜひ、隣の人とその事を分かち合ってみて下さい。
それを分かち合う事で、もしかしたら少し気持ちが楽になるかもしれませんね?

さて、神様がユダヤ人たちに与えたルールの事を律法と言います。
その筆頭が十戒ですが、律法にはユダヤ人たちがするべき事、してはならないことが事細かに記されているのです。

律法というものは、神様が求める正しさというものがどういうものかということを、ユダヤ人たちに教えるために与えられたものでした。
しかし、律法によっては誰も救われないというのが、ここしばらくの間パウロが手紙を通して私たちが学んできた事でした。

どうして、律法によっては救われないのでしょう?
それは、律法の基準を満たすことが誰にもできないからです。
今日の聖書個所でも、パウロはこの様に書いていますね。

4:15 律法は怒りを招くものであり、律法のないところには違反もありません。

サラッと書かれていますが、実はこれ、とても重要な言葉です。
律法があるから怒りが起こり、律法がなければそもそも違反もありません。
では、なぜ律法があるのか?
そもそも律法は、守るためにあるのではなく、私たちが神様の義を満たすことができないことを知るためにあるものだという事なのです。

その事を理解しなかったユダヤ人たちは、一生懸命に律法を守ろうとしました。
もちろん、そのままでは到底守ることができないので、守ることができるように律法を再定義し、表面的な部分だけ行う事で律法に従って生きているということにしました。
そのようにしてできたのが、ユダヤ教という宗教です。
神様が本来彼らに与えていたのは宗教などではなかったはずなのに、神様の言葉を宗教の中に閉じ込めようとしてしまったのです。

それではこの問題は、律法が与えられていたユダヤ人たちだけの問題なのでしょうか?
そうではありません。
異邦人である私たちもまた、勝手に律法を作り上げ、その基準によって善悪を判断し、自分は正しくて他の人たちは間違っていると信じたいものだからです。

このメッセージの冒頭で、自分はどんなことに腹が立つのか、どんなことを当たり前のことだと思っているかということについて考えていただきました。
皆さんは、どんなことにいら立ち、どんなことを常識だと思っていたでしょうか?
実は、それこそが皆さんの律法なのです。
私たちは心のどこかで、この律法によって自分は正しいと信じ、この律法があるから大丈夫だと安心しているのではないでしょうか?
「しかし、律法によっては救われない。」これが聖書の教えている真理なのです。

どんなにまじめで正しい事をしていても、人間は決して救われることがない。
多くの人にとって、これは認める事が難しいことかもしれません。
でも救いは、律法を守ることによってではなく、信仰によって与えられるものなんだというのが、私たちがこのローマ人への手紙の中で学んできたことでしたね。

さて、善い行いをする事によってではなく、あるいは修行をすることによるのでもなく、『「ただ信じれば救われる」なんて、そんな都合のいい話があるわけがない。』と思う方がいるかもしれません。
確かに、信じる事は行いよりもずっと簡単なことのようにも感じます。
でも、クリスチャンになって20年以上経ち、牧師になってから12年経ってわかってきたことがあるんです。
それは、「実は信仰は、そんなに簡単な、生易しいものではない」ということです。

信仰を持つ前の私たちは、善い行いや修行によって救われると思っていました。
確かに一生懸命善い行いをしていたかもしれませんが、それは神様が求めている基準にほど遠い、私たちが自分で勝手に定めたことをして、安心感を得ていただけでした。
結局それは、自分のさじ加減一つ、自己満足に過ぎない行いなのです。

でも信仰は、神様との信頼関係であり、愛の関係です。
関係とはお互いがあってのものですから、自己満足では愛と呼ぶ事はできません。
「神様大好き♡」「ラブラブ~」といくら言っていたとしても、何かちょっと気にくわないことが起これば「超アリエナイ」「信じらんない」と言って関係を切ってしまう。
それは、相手を自分にとって都合のいい存在にしたいだけの関係であって、愛ではないのです。

私たちは人生の中で神様と出会い、イエス様を通して神様を知ります。
始まる時は簡単ですよ。
目と目が合っただけで始まるような信仰生活もあるかもしれません。
そこにはたくさんの祝福があり、喜びがあります。
しかし愛の関係というものは、一瞬だけのものではなくて、一生の間、もっと言うなら永遠に渡って続くものです。
長い神様との関係の中で、私たちは時に問題にぶつかり、試練にも直面するのです。

神様が全知全能であり、私を愛しているならどうしてこんなことが起こるのかという出来事に遭遇します。
星の数ほどの子孫が与えられると約束がなかなか叶えられない。
やっと与えられて喜んでいたら、その子どもを捧げるように命じられる。
そんな時、私たちの愛は試されるのです。

残念なことですが、すぐに愛想をつかせて、神様から離れ、自分にとって都合のいい偶像の神との関係を求めていく人も少なくありません。
しかしそんな試練を潜り、それでも信頼し続ける事を通して強められ、深められていく。
それが愛の関係というものであり、信仰なのです。

愕然としませんか?
「そんな大きな信仰、自分の中にはないと思う。」
それが、率直な感想ではないでしょうか?
でも、私たちにとって幸いなことがあります。
それは第一に、最初からそんな大きな信仰求められているのではないということです。
イエス様はこんな話をしました。

ルカ 13:18 そこで、イエスはこう言われた。「神の国は、何に似ているでしょう。何に比べたらよいでしょう。
13:19 それは、からし種のようなものです。それを取って庭に蒔いたところ、生長して木になり、空の鳥が枝に巣を作りました。」

神の国は、からし種のように小さなところから始まります。
そして私たちがイエス様にとどまり続ける限り、それはやがて大きく成長していくものなのです。
そこに成長する力を与え、大きくして下さるのは、神様です。

第二に、まず神様の方が私たちを愛して下さっていたということです。
イエス様は、私達のために命を投げ出し、十字架にかかって罪を贖って下さいました。
そして復活し、今も私たちとともにいて下さっている。
それは、私たちがどれだけ裏切って、踏みつけても、私たちのことをなお信じ、信頼し続け、大きな愛で愛して下さっていたということです。
私たちのためにここまでして下さる方が、他にいるでしょうか?
そして、この方を信頼するのでなくて、他の誰を信じる事ができるというのでしょう?

形ばかり、表面ばかりの宗教の世界に入らないでください。
私たちに求められているのは、「やればいい」という律法の世界ではなく、心から神様を愛し、信頼する関係の世界です。
それは確かに、簡単な事ではありません。
でもそれは、私たちを喜びで満たし、ワクワクさせるものです。
ハラハラすることもありますが、決して失望では終わらせないものです。
そんな神様との関係を始めませんか?
神様は、私たちが今、心の扉を開いて、イエス様を迎え入れる事を求めています。
祈りましょう。

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