『魅力的なクリスチャンとして生きる』2018/06/10 松田健太郎牧師

みなさんは、魅力的な人になりたいと思いませんか?

何かわからないけど、魅力を持った人っていますよね。
皆から愛され、その人の周りにはいつも人が集まってきます。
その人の言うことにはなぜか説得力があり、その人のようになりたいと思わされます。

私たちクリスチャンがもっと魅力的になったら、たくさんの人たちが教会に来るようになります。
そして、私たちの話にもっと興味を持ち、私たちのようになれる秘訣を向こうの方から聞いてくると思いませんか?
実は、本来教会とは、そのようなところだったのです。
使徒の働きにはこのような記述があります。

使徒2:46そして、毎日心を一つにして宮に集まり、家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、
2:47 神を賛美し、民全体から好意を持たれていた。主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった。

これが、本来の教会の姿だったのではないかなぁと僕は思います。
ところが、現代の教会はどうでしょう?
何だかあやしくて、伝道されるのがこわくて、多くの人は足を踏み入れられない。
実際に入ってみると、そんなことはなかったけど、みんな眉間にしわを寄せて、意味がよく分からないお説教を聞かされる。
教会の外にいても、多くの人たちが、クリスチャンとはマジメで、近寄りがたく、自分たちとは違う人たちだという印象を持っている。
喜びと真心があり、みんなから好意を持たれていた初代の教会とはずいぶん違うような気がします。

これは、僕が常々疑問に思っていたことでした。
クリスチャンとは、もっと魅力的な人たちであるはずではないでしょうか?
だって聖書には、このように書かれているのです。

ローマ8:29 神は、あらかじめ知っている人たちを、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたのです。それは、多くの兄弟たちの中で御子が長子となるためです。

イエス様は、出会う人たちがみんな魅力を感じ、その話を聞きたいと思わされるような人でした。
そこにはいつも人々が集まり、子どもたちもイエス様のことが大好きでした。
その人柄を敏感に感じ取る、子どもたちに好かれるということは、イエス様の魅力は本物だったということです。
そして私たちクリスチャンは、そんなイエス様に似た者になるというのです。

私たちは、どうしてそのような魅力を失ってしまったのでしょう?
そして、どうすればイエス様の魅力を自分のものとすることができるのでしょう?

今回から僕のメッセージは新しいシリーズに入るわけですが、しばらくの間、魅力的な人とはどういうひとなのか、そして私たちが魅力的になるためにはどうすればいいのかということについて一緒に考えていきたいと思いってます。
今日はその第1回ということで、結論をお話ししたいと思います。(笑)

いきなり結論になんですかと思われるかもしれませんが、これは大切なことです。
先に結論を話しておかないと、魅力的な人間になるためにみんなで頑張りましょうという話になってしまうからなのです。

それでは結論です。
私たちはどうすれば、魅力的な人になることができるのでしょうか?
それは、私たちがキリストに似た者となっていくということなのです。

イエスさまの周りには、いつも人が集まっていました。
イエスさまは誰よりも知的で、愛にあふれ、人々に喜びを分かち合いました。
こどもたちが警戒心を解いてイエスさまのもとに行き、気難しい人々や、ケチで血も涙もない取税人たちでさえこころを開きました。
不安にさいなまれた人がイエスさまの前で平安を得て、人々はこぞってはなしを聞くために集まりました。
僕が知る限り、イエスさまほど魅力的な人はいません。
そんなイエスさまに似た者となるなら、私たちは確かに魅力的な人になるのではないでしょうか?

エペソ人への手紙にはこのように書かれています。

エペソ4:13 私たちはみな、神の御子に対する信仰と知識において一つとなり、一人の成熟した大人となって、キリストの満ち満ちた身丈にまで達するのです。
4:14 こうして、私たちはもはや子どもではなく、人の悪巧みや人を欺く悪賢い策略から出た、どんな教えの風にも、吹き回されたり、もてあそばれたりすることがなく、
4:15 むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において、かしらであるキリストに向かって成長するのです。

それでは、私たちはどうすればイエス様に似た者として成長することができるのでしょうか?
ただクリスチャンになって、救われたものとして生きているだけでは、残念ながら成長・成熟していくことはできません。
私たちは、クリスチャンになっただけでキリストに似た者になるわけではないのです。

私たちがキリストに似た者となるために必要な第一のことは、私たちの師であるイエスさまといつでもともにいることです。
一緒に住んでいると、動物でも飼い主に似てくるものです。
私たちはいつでも、どんな時でもイエスさまとともにいることによって、イエスさまに似た者として成長していくことができるのです。

第二に、イエスさまがしたことをまねるということです。
弟子は師をまねることによって学んでいくものです。
とはいえ、イエスさまのように水の上を歩くとか、奇蹟を起こしなさいということではありません。
イエスさまが接したように人と接し、イエスさまが愛したようにあいするということです。
それによって、私たちはイエスさまに似た者と近づいていくのです。

第三に、イエス様の言葉に聞き、従うことです。
イエスさまはあるとき、このように話しました。

マタイ7:24 ですから、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人にたとえることができます。
7:25 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家を襲っても、家は倒れませんでした。岩の上に土台が据えられていたからです。

私たちは、イエスさまのことばからもたくさんのことを学びます。
しかし、聞くだけでは何も変わりません。
私たちは、イエスさまのことばを聞いたなら、それに従う必要があるのです。

このようにして、私たちは次第に変えられていき、イエスさまに似た者へと近づいていきます。
もちろん、すぐにイエスさまのようなふるまいができるようになるわけではないでしょう。
でも、辛抱強くイエスさまから学び、変えられていく体験をしましょう。
その力は、自分の中から振り絞るものではなく、神さまが与えてくださるものだということを忘れないでください。
そうでなければ、表面的にまねをするだけで、中身が伴っていないにもかかわらず、イエスさまに似た者となったように錯覚してしまうからです。

これからこのシリーズの中で、イエスさまに似ることによってどのようになっていくのか、具体的なことを学んでいきます。
その中で、必ず今日のところに戻ってくることを忘れてはいけません。
大切なのは、「自分が」良い人間になって、魅力的になり、人から愛されることではありません。
私たちがキリストに似た者となって、神の国が広がっていくことが大切なのです。

この学びを通して、皆さんがますます魅力的なクリスチャンになっていくことができますように。
そして、本当に魅力的な生き方とはどのようなものなのか、知ることができる機会となりますように。

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