ルツ記1:15-21,2:12 『あなたは何を残すか?』 2018/07/18 西郷純一先生

日付:180715 題: 「あなたは何を残すか?」 聖書:ルツ記1章1-9、16-17節、2章12節

1:1 さばきつかさが治めていたころ、この地に飢饉が起こった。そのため、ユダのベツレヘム出身のある人が妻と二人の息子を連れてモアブの野へ行き、そこに滞在することにした。
1:2 その人の名はエリメレク、妻の名はナオミ、二人の息子の名はマフロンとキルヨンで、ユダのベツレヘム出身のエフラテ人であった。彼らはモアブの野へ行き、そこにとどまった。
1:3 するとナオミの夫エリメレクは死に、彼女と二人の息子が後に残された。
1:4 二人の息子はモアブの女を妻に迎えた。一人の名はオルパで、もう一人の名はルツであった。彼らは約十年の間そこに住んだ。
1:5 するとマフロンとキルヨンの二人もまた死に、ナオミは二人の息子と夫に先立たれて、後に残された。
1:6 ナオミは嫁たちと連れ立って、モアブの野から帰ることにした。【主】がご自分の民を顧みて、彼らにパンを下さった、とモアブの地で聞いたからである。
1:7 彼女は二人の嫁と一緒に、今まで住んでいた場所を出て、ユダの地に戻るため帰途についた。
1:8 ナオミは二人の嫁に言った。「あなたたちは、それぞれ自分の母の家に帰りなさい。あなたたちが、亡くなった者たちと私にしてくれたように、【主】があなたたちに恵みを施してくださいますように。
1:9 また、【主】が、あなたたちがそれぞれ、新しい夫の家で安らかに暮らせるようにしてくださいますように。」そして二人に口づけしたので、彼女たちは声をあげて泣いた。

2:12 【主】があなたのしたことに報いてくださるように。あなたがその翼の下に身を避けようとして来たイスラエルの神、【主】から、豊かな報いがあるように。」

序  論
●私たち夫婦は、5日午後、先々週日本を襲った台風が日本海北部を通り過ぎる頃に日本に着いた。すぐにその足で北海道に入った。その一方で、西日本を激しい雨が襲い、多くの方々の命を奪い、各地に被害をもたらした。ここに、改めて犠牲者、被害者と、そのご家族に、深い哀悼と同情を表すと共に、一刻も早く、かつ十分な救援の手が伸べられることと、回復と復興を祈りたいと思う。
●日本は、7年前の東日本大震災以来、多くの自然災害に遭遇してきた。しかし、その痛みと苦しみの中で、幾たびも、多くの被災者「自身」の口を通して言われたことは、「つなぎ・つながりの大切さ」を筆頭に、「すべてを失って、人生で一番大切なものが何かが分かった」という言葉であった。
●そんな中、何度も何度も、様々な場所・機会に、日本全国の人々が、励ましと祈りを込めて歌ってきた、そして、今でも歌っている歌がある。それは「花は咲く」と言う歌である。どんなに、私たち海外にいる者たちもその歌で心を一つにして、祖国を、被災地を思い、祈ったことか?
●その歌の最後の部分に、「いつか生まれる君に、私は何を残しただろう」という歌詞がある。苦難の人生、夢中で生きるこの人生の最後に「私は何を残すだろう」? あの震災を通して人々が感じたことは、震災のように一瞬にしてすべてを失う人生であろうと、私は最後に何を残すのだろうかという問いであった。
●今日は、このテーマを中心に「ルツ記」から学びたい。ルツは異邦人の女であった。今で言うなら、真の神様を知らないノン・クリスチャンであった。しかし、そのルツは、やがて、信仰の人となり、救い主の先祖となり、イスラエルの人々の賞賛の的となる。その始まりはどこにあったのか? 「義母ナオミは、嫁のルツに何を残したのか?」を考えたい。

本  論
Ⅰ.なぜ、今日は、ナオミについて学ぶのか? なぜ「ルツ記」の主人公のルツじゃないのか?
「ナオミ」について学ぶ価値と意味はどこにあるのか? 「ナオミ」の偉大さはどこにあるのか?

それは、彼女が、次世代のために大切な「信仰を残した」ことにある。
1.具体的には、ナオミが、義理の娘であったルツに、自分の「信仰を残した」ことである。
2.7年前のあの「大震災」「津波」そして「原発事故」で、直接の被災者である方々はもちろんのこと、日本中の人々、否、世界中の人々が、
(1)目の前にあったものが、また、今まで粒々辛苦として積み上げて来た大切なものが、一瞬にして消えて行くという経験と事実の中で、
(2)それら失ったものへの悲しみと悲嘆の中で、その回復・再建に取り組みつつ、皆が考えたことは、「人生とは何か?」であった。
(3)すなわち、地震によっても津波によっても原発事故によっても、決して失われること、奪われることのない、永遠的・絶対的価値あるものの存在と、それが何であるかを、これまで以上に求めるようになった。
(4)「花は、花は、花は咲く、いつか生まれる君に。花は、花は、花は咲く、私は何を残しただろう」というあの歌は、私たちは、それを次の世代に生きる人々に、その大切さを残したいという願いとして私たちの心に響いたのではないか?!
3.私たち夫婦を育ててくれた牧師が、よく私たちに言ったことがある。それは、「人の価値は、その人が去るときに分かる。その人が何を残して行くかで分かる。牧師も同じである。その牧師の価値は、その牧師が去るとき、どんな人を残していくかで分かる」であった。
4.私たちは、自分の人生を通して何を残そうとしているのだろうか?
(1)アメリカの実業家、鋼鉄王アンドリュー・カーネギーは「子孫に財産を残すほど愚かなことはない」と遺言に書き残し、その巨万の富を全て慈善事業に寄付したという。
(2)サザエさんの漫画:「子孫に美田を残さず」という言葉に感銘・同意するお父さんに、カツオが言ったこと、「お父さんは『美田を残さず』ではなく『残せず』でしょう」。
(3)私たちのような、特に財産を持っていない多くの人々は、「教育」「知的財産」の機会を与えることこそが、子どもに残してやれる最高のものと信じている。
(4)しかし、果たしてそうだろうか?! 教育の大切さを否定しているのではない。
●しかし、最高位の大学で教育を受けながら、必ずしも幸せになっていない人々がどのくらいいるだろうか?!
●また、そのような最高の知的な財産を持っている人々が、その能力を用いて、社会的にかえって大きな負の影響を与えるような犯罪を犯している例も枚挙にいとまがない。
●それでは、私たちは、次世代に何を残すべきなのか?
5.今日、学ぼうとしているナオミは、次世代のために何を残したか?「信仰」であった。
(1)具体的には、特に、息子の嫁のルツに「信仰」を残したのであった。
(2)ナオミには、この世的には、人々に残せるような、また与えるような、財産も教育もなかった。家族さえなかったのである。
●彼女と夫のエリメレクは、かつて、ベツレヘムが飢饉に見舞われたとき、食糧を求めて、二人の息子を連れて、約150キロメートルほど離れた、異国・異教の地「モアブ」に移り住んだのであった。
●しかし、その地で主人はほどなく死んだ。その後二人の息子はどちらもモアブの娘をめとった。しかし、事もあろうに二人の息子とも、老母であるナオミとそれぞれの嫁を残して、子どももいないまま父の後を追うように死んでしまったのである。ナオミは、今や二人の異邦人の嫁が未亡人としてそばにいるだけで、文字通りに何もかもを失ってしまったのである。
●彼女は、ここで大決心をする。それは、二人の嫁の将来を考え、彼らが、今からでも再婚するチャンスのためにも、離縁して、二人をモアブの家族のもとに帰し、一方、自分は故郷のベツレヘムに帰ることであった。
●二人とも、しゅうとめであるナオミについて行こうとした。しかし、ナオミの再三の勧めと説得で、弟息子の嫁であったオルパは泣きながらも、別離を決意し、モアブの地の家族のもとに戻った。
(3) しかし、ルツは、最後まで、ナオミについて行くという決心を変えなかった。
その理由は何であったか?
●それは、単にルツがナオミを好きだったからという以上の理由であった。
●その理由を、聖書は、ルツ自身の言葉と、やがて後にルツと結婚することになるボアズの言葉を通して明確にしている。すなわち、
●ルツの言葉:「あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です」(1章16節)。これは同時に彼女の信仰告白であった。さらには、後に彼女を妻に迎えることになるボアズの言葉にもそれを見る。
●ボアズの言葉「あなたがその翼の下に避け所を求めてきたイスラエルの神、主から、豊かな報いがあるように」(2章12節)。ここにもルツがナオミについて来た理由は、ナオミの信じる神様への信仰を求めていたからであると表現されている。
●すなわち、ルツがナオミについて来た理由は、ナオミの信じている同じ神を信じて、ナオミと同じ信仰をもって、これからの自分の人生を生きたかったからである。
(4)すなわち、ナオミは異教文化で育った嫁のルツに、人間的には「この信仰に本当にご利益があるのか?」と問いたくなるような状況の中で、ルツの心の中に「信仰」をしっかりと植え込み、残したのである。

Ⅱ.それでは、ルツをそこまで引き付け、そこまで影響を与えた、ナオミの信仰とはどんなものであったのか?

A.それは、苦難と試練の連続の中での信仰であった。まさに、物事がうまく行かない、負け組の人生の信仰であった。彼女の人生は、極めて波乱万丈なものであり、苦難の連続であった。
1.人間的に、世的に言うなら、誰がこんな人生を魅力的だと思うか。
普通考えることは、神様を信じて、物事が順調に進んでいく、すなわち「家内安全無病息災」であると、「いいなー」と感じ、自分もそんな信仰を持ちたいと思うものである。
2.しかし、驚くべきことは、ここではその反対である。神様を信じても、試練の連続のナオミの人生を、長男の嫁としてすぐそばでよく見ていたルツが、そのナオミの人生、ナオミの信仰、ナオミの信じる神様を自分のものとしたいと思うのである。
3.ナオミの信仰は、実に、暗闇の中で、輝く光のように、試練の中で、輝く信仰であった。
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B.しかし、だからと言って、ナオミの信仰は、大それたもの、特別な「優等生」信仰というものではなかった。
1.それは、間違いも、失敗もする信仰であった。
(1)ある聖書学者たちは、そもそもベツレヘムが飢饉に襲われたとき、ナオミと夫のエリメレクが、「約束の地」を捨ててモアブに移住したことは判断の間違いであったとも言う。
(2)私たちは、神様を信じてクリスチャンになったからと言って、人間でなくなるわけではない。それゆえ、私たちは、いっぱい間違いもする。判断の間違いだけでなく、罪を犯し、人を傷つけてしまうことさえもある。
(3)ナオミもそういう信仰者の一人であった。異邦人・異教徒であった嫁のルツを深い信仰者へと導いたナオミの信仰は、決して間違いをしない、優等生信仰ではなかった。
(4)次女がTeen Agerになった頃、私にこのように言った。「Daddy, I know you are not perfect.」。彼女は、その後でこう言った。「でも、そんな失敗もするお父さんやお母さんが、失敗しながらも、それを神様にお詫びして、前に進もうとしている姿が、私を励まし、そんなお父さんやお母さんを赦し、受け入れて、成長させている神様を、私も信じたくなる」と。
2.また、ナオミの信仰は、極めてカジュアルなありのままの信仰であった。
(1)ナオミが、ルツと共に、モアブの地から故郷のベツレヘムに戻って来たとき、彼らを迎えた村人たちとの会話をもう一度見たい。1章19-21節「・・・・」。
(2)第一に、彼女の信仰は、神様の前に「フリのない」「ありのまま」の信仰であった。
●彼女は言った。神さまは、「私をつらいめにあわせ」た。「私を卑しくした」「いっぱい持っていたのに、素手で帰された」など。
●これらの言葉は、普通、多くの人々が持っている「模範的信仰者」のイメージとは思えない。まるで神様に向かって不信仰から文句を言っているようにさえ見える。しかし、それが、ここでポイントである。
●「 詩篇」を見ると驚くことは、祈りの中で、神様に文句を言い不満を投げつけているダビデをはじめとするたくさんの聖徒たちの姿を見る。
●私たちの神様への祈りはどうであろうか? ただ願いごとをつらつらと、或いは繰り返し並べて、神様にお願いするだけの、通り一遍の祈りではないか。不信仰じゃいけないと思い、不信仰を隠して、さも信仰があるような言葉を使い、信仰があるフリをした祈りではないか?
●しかし、旧約の聖徒たちの祈りは違った。自分の中にあるありのまま、信仰も、不信仰も、フラストレーションも皆、神様に包み隠さずにぶつけた。クリスチャンはこんなことを言っていいのかなどというフリを一切捨てて。
●これがナオミの信仰であった。神様の前にフリの無い、ありのままの信仰であった。
(3)第二に、彼女は人の前でも、飾らない、肩を張らない、ありのままの人であった。
●もう一度、1章の19-21節を思い出していただきたい。「・・・・」
●そこには、神様の前に自分のありのままの気持ちを伝えるだけでなく、メンツも、恥も、外聞も気にせず、ありのままの自分を人々の前にさらけ出したナオミの姿がある。
●ベツレヘムは、当時、まだ小さな田舎町、というより村であった。そんな小さな村だったから、言うまでもなく、ナオミがルツを連れ帰ったとき、村中の人々が出てきたであろう。特に、女性たちは、鵜の目鷹の目で彼らの様子を伺い、好奇心の目をもって彼らを見つめていたであろう。皮肉まじりの挨拶もいっぱい飛び交ったであろう。
●彼女は、よく分かっていた。「今自分がベツレヘムに帰ったら、みんなの笑いものになるだけだ」ということを。普通の人ならプライドが許さなかったであろう。多くの人は、神様の御心より、自分のメンツとプライドを優先する。
●しかし、ナオミは違っていた。彼女は、ありのままを人々の前にさらけ出した。
3.彼女はこのように神と人との前にありのままをさらけ出す信仰をもっていたが、同時に、彼女は決して、信仰の中核である「神様は全能者」であると言う信仰を失うことはなかった。
(1)そのことは、前述の1章21節の彼女の言葉にもハッキリと表れている。
(2)彼女は苦難・試練の中、また祈りが思うように答えられない状況の中でも、決して「神なんかいないんだ」「神様といえども結局は何もできないんだ」とは言わなかった。
(3)なぜか分からないし、それはつらい、それは苦しい、現実にあれもこれも失ったと彼女は正直に言った。しかし、神様ご自身を疑わなかった。

結  論
●私たちは、子どもたちに、次世代に何を残すか? 財産?教育? ナオミはルツに信仰を残した。
●ナオミからルツへの、その信仰の遺産相続がなかったら、ナオミ自身とルツのその後の人生の祝福はなかったであろう。さらには、ダビデの誕生も、ひいては主の誕生も、すべては違ったものになったであろう。世界の歴史は変わっていたかもしれない。
●私たちも何を残すに勝って「信仰」を残すものとなりたい。
その信仰とは、いわゆる「模範的信仰」と言われるようなガチガチなものではなく、不完全で、間違いもいっぱいする信仰であり、カジュアルでありのままの信仰である。
それを今生まれている君に、これからいつか生まれてくる君に、人々に、世界に残すものでありたい。

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