映画と舞台とキリスト教シリーズ① 映画【レ・ミゼラブル】レビュー

画像引用:http://www.tohostage.com/lesmiserables/

オーストラリア出身の俳優、ヒュー・ジャックマンの代表作の一つのミュージカル映画「レ ・ミゼラブル」。直訳すると 「哀れ(悲惨)な人々」。日本での原作は昭和の時代に「ああ、無情」と訳されて出版されていたようだ。

原作者はヴィクトル・ユゴーだ。その小説がミュージカルとなり、映画となった。今回は、映画や舞台、歌舞伎、ミュージカルが大好きな私(のんのん)が、徒然なるままに感想を個人的に書いてみた。

ミュージカル映画としての出来は素晴らしい!

ミュージカル映画としての出来は素晴らしく、オープニングのダイナミックなシーン、荒れる海で何人もの男がロープを引っ張り、帆船をドックに引いていく様子……と、その重厚なハーモニーにまず心が掴まれる。ミュージカルは最初が肝心だ。

ストーリーの説明は省略するが、この物語には魅力的な登場人物が多数出演する。ハリウッドスターたちが、その魅力的な登場人物を、人によっては意外なくらいに完璧に演じ上げた。

主演のジャン・バルジャン役のヒュー・ジャックマンは、2004年にトニー賞主演男優賞を受賞し、トニー賞受賞式での司会パフォーマンスも評価され、エミー賞も受賞している。ミュージカルに定評のある俳優だ。近年の「グレイティスト ショーマン」でダンスと高音の伸びがキレイな歌唱力に魅了された人も多いことだろう。

コゼット役にはアマンダ・サイフリッドが抜擢された。映画「マンマ ミーア」で彗星のごとく現れ、美貌と美声でスターダムにのし上がった魅力的な女優だ。

ラッセル・クロウとアン・ハサウェイに関しては、当初「え!歌えるの!?」という感じであったが、作品をみるとその心配は無用であったとわかる。(ラッセルの歌唱力に関して賛否両論あるのはわからなくないが、役に合っていたと思う)それもそのはず、「レ・ミゼラブル」の出演者を決めるためには、すべてオーディションを実施したからだ。

大物ティラー・スィフトやエマ・ワトソンでさえも落選したとの噂があった。アン・ハサウェイは、かつて母親が「レ・ミゼラブル」の全米公演に出演していたことがあり、この役には並々ならぬ情熱を持っていたようだ。体重を5週間で11キロ以上落とし、髪を切られるシーンでは実際に自分の髪をカットした。アップで見ると、「あれ?歯も抜いてる?」と思うようなところもある。さらに、ハリウッドで有名になってもボイストレーニングをずっと続けていたとか。助演女優賞を数々獲得しているわけが、映画を見ればわかる。

また、この映画は大ヒットミュージカルの映画版とあり、楽曲も聞き応えがある。歌は別撮りではなく、撮影と同時に歌って録音し、リアルな音と表情を表現している。また、セリフにメロディがついてるところや、同じメロディを歌詞を変えて違う場面に使っているところが随所にあり、映画が見終わる頃にはお気に入りのナンバーを口ずさめるようになっているくらいだ。

 

神の愛にふれて

ミュージカル舞台版よりも、今回の映画の方が宗教色が少し強かったように思う。ラストは、「神の国への凱旋」ともとれる形のエンディングだった。伝えたかったメッセージは、「愛することは、神のそばにいること」(色々な訳あり)だろう。

暗闇から光へ〜ジャン バルジャン

パン一つを盗んだ罪で、19年間も投獄されたジャン バルジャン。働きたくても、前科ありで虐げられ、差別され、石を投げられてしまう。その中で教会の司祭に施しを受けるが恩を仇で返してしまう。しかし、司祭はそれすらも赦し、高価な贈り物も与える。世間や全てを憎み、悲しんでいた彼に愛と信頼が注がれる。

ジャン・バルジャンは、そこから第二の人生を始めることを決意する。この物語は大筋は、ジャン ・バルジャンの愛の物語ではあるが、ジャン・バルジャンは必ずしも毎回正しい訳ではない。彼を追うジャベールに対し、「あとちょっと」と言いながら何度も逃げだし、また裏切る。また、娘として育てたコゼットにずっと自分の過去を伝えず、偽り続けたところは、「人間らしいなぁ」と思う。それでも、彼は苦悩や葛藤をしながら、「愛を持って、善い行いをしたい」と願い、努力していたのは痛いほど伝わってくる。

正義と法の人〜ジャベール〜

一方で、「正しさと正義」を重んじ、最後には自殺してしまったジャベール。彼の人格は教会をバックに夜歌う名曲 「Stars(星よ)」に濃縮されている。歌詞の内容は次の通りだ。「He knows his way in the dark. But mine is the way of the Lord.Those who do follow the path of the righteous.Shall have their reward」ここの He はおそらく 神 であろう。「主は知りたもう。奴の道は闇だが、私こそ主(神)の道。正義の道を歩む者は必ず報われるだろう」と訳せる。その後、彼は、神に「必ず捕まえさせてください、その時まで休みません」と誓う。ジャベールの正義は、神への信仰と忠義が基盤にあった。

彼はとても真面目で忠実な者だった。ジャベールは、神の言う平和とは「規律を重んじてこそ成り立つ」と考えていたのであろう。しかし、ジャン・バルジャンによって、彼のアイデンティティは崩壊していく。

ユゴーの原作は、自殺までの苦悩を20ページに渡り描かれているようだが、ミュージカル版では簡潔にまとめたため、「なぜ死んだのか」と疑問に思う日本人は多かったようである。これについては、キリスト教的な理解が多少必要だ。なぜジャベールは自殺したのかについては、後に書く。

騎士道と武士道

私はこの物語に、ある種の「武士道」のようなものを感じた。武士には、主君に忠実で、間違いは死をもって償い、信念には命をかけるという考え方がある。レ・ミゼラブルの中では、「正しさと正義と法」が全てのジャベールと、大義名分のためには命も惜しまない革命軍の若者たちに武士道が垣間見れた。ジャベールは、主君を神として平和と秩序を願っていたし、革命軍の青年達もまた同じ神を信じ、民を守るのが使命と考えていたからだ。

ジャベールと革命の若者たちは、武士道のように忠義や正義、「死は隣り合わせ」ということを考えていたのではないかと思う。レ・ミゼラブルの舞台であるフランスやヨーロッパに見られる騎士道にも、武士道と同じようなものが根底にあるのではないかと思った。

愛は波紋のように

ジャン・バルジャンが司祭から受けた愛は、水面の波紋のように、様々な人に伝わっていく。ファンティーヌ、コゼット、下敷きになったのを助けたおじさん、マリウス、そしてジャベールへ……。

ジャベールからは、「悪」とされ、処罰の対象とみなされたジャン・バルジャンであったが、彼はジャベールにも影響を与えていくことになる。ジャベールは、人のために己を犠牲にするジャン・バルジャンの姿を何度も見、そして自分自身も彼から慈悲を受け、愛を感じることになる(ジャン・バルジャンは、まるで人を赦すキリストのようにも描かれている)。

ジャベールが明確に愛を感じて変わったのは、死んだガヴローシュに自分の勲章を授けたところだろう。(このシーンは、ラッセル・クロウの提案によるものだそうだ)明らかに、彼はここで変わっていたのだ。

ジャベールの苦悩、そして自殺〜I was blind, but now I see

沢山のレミゼの感想を読む中で、ジャベールの自殺は、「自分が絶対と思った正義が崩れたからだ」という意見が多く見受けられた。果たしてそれだけなのだろうか。

人は、愛されることで愛が分かるようになると、今まで見ていた景色が変わる。これは、神の愛に触れ、クリスチャンとして洗礼を受けた自分だから分かる。アメイジング・グレースを作ったジョン・ニュートンは牧師だが、かつて奴隷船の船長をしていた。人を奴隷として売る事に加担していた自分が赦され、愛を知り目覚めた時に、自分のしていたことを悔い、恥じたという。アメイジング・グレースの中で「私は見えなかった、しかし今は見える」という歌詞を残している。

私は、「ジャベールも同じ気持ちだったのではないか」と推測する。劇中、彼は牢獄で生まれたと明かしている。牢獄で生まれた子供が、警察隊長というエリートになるには、相当な苦労があり、相当な「実績」を残したことだろう。彼は「正義」の名のもとに人々を虐げ、そして、殺しなどの大罪でもないのにもかかわらず、執拗にジャン・バルジャンを追い回した。ジャベールが自殺する前には、何人、自分が虐げた人々の顔が浮かんだだろうか。

「私はジャンバルジャンの世界から逃げたい」というジャベールの最期の言葉がある。それは、罪意識や、正義の名のもとに悪を正す世界(=一部仕事や組織も入る)からの逃避願望を現していたのではないだろうか。彼は世を正す警察隊長であり、たくさんの部下を抱えていた。自分が変わると、絶対と思っていた組織には戻れなくなる。仕事人間として生きた人に、仕事が無くなったら何が残るのか(日本にはそんな団塊世代のサラリーマンが多いと聞く)。

それに比べて、悪人のジャン・バルジャンは人を救い、助けてばかりいた。ジャベールは彼を見て「眩しい」と感じたのではないか。(キラキラした人が眩しい時は誰しもがあると思う)同時に愛と裁きの神の存在も迫って感じられた事だろう。忠義を尽くした神への恐れと、自分の存在価値の崩壊…。(しかし、死ななくても、本当はイエス様は赦してくれるのだが)映画だけでは推測でしかないが、私はなんとなくそんなことを彼に思う。このあたりのラッセル・クロウの熱演は、流石であった。

 

私たちの中のジャベール

クリスチャンの世界にも、自分の中にもジャベールはいる。「それは聖書には書いてありません」、「それは正しくありません。あなたは間違ってます」と「律法」のもと、他人を裁く人々だ。ジャベールのように「正しさ」だけを追い求めていくと、そこで誰かを傷つけても全く気がつかない。

本来、法律や警察は、みんながルールに従って平和に生きるためにあるものではないのか。フランス革命で民衆のための政治にしたはずなのに、いつの間にかまた貴族の都合のよい国になってしまった物語の時代背景からも、そんなメッセージを受け取れる。

聖書における律法は「愛」である。

「愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。」第1ヨハネ4章7.8節

「彼は答えて言った、『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。また、『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』とあります。」 ルカによる福音書 10章27節

真面目で忠実なジャベールのボタンのかけ間違いはここだった。正しさは、必要である。しかし、それだけではダメなのだ。大切なのは相手を愛することだ。人間が作ったルールからは違ったり、ジャン・バルジャンのようにやり方を間違えたりすることもある。間違えはあっても、何よりも愛することを一番にすることこそ、神は望んでいることだ。

「互に愛し合うならば、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての者が認めるであろう。」ヨハネによる福音書 13章35節

クリスチャンは、キリストの弟子であるということだ。それは、正しく生きる事ではない。
神ではないので、完璧になれないし、間違いもある。そして、それが人間の姿だ。人間はどんなに努力や修行をしても神にはなれない。

しかし、神に従い愛を持って行動した時に、私たち弟子は、師匠のキリストのように変えられて似せられていくのである。作中のジャン・バルジャンのように。愛とは何かをいつも考えて、行動していきたい。

レ・ミゼラブルは、「愛することは、神のおそばにいること」という言葉で締められる。それこそが、ジャン・バルジャンと、彼の愛した人々の物語であったように思う。現実では虐げられたり、苦悩が多かった人たちは、死んだ後に神の国に入った。民衆の歌は、天国に凱旋する凱旋歌へと変わった。彼らは、争いもなく、飢えも苦しみもない神の国で愛の人として永遠に生きていくのだ。これこそが、クリスチャンの醍醐味なのである。

長くなるので、名曲の一つ一つや、子役の名演技、後のハリー・ポッター新シリーズの主役、エディ・レッドメイン、監督については触れられなかった。一文にはなるが、彼らの功績も讃えたい。

 

ライター 高瀬季子

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