出エジプト16:9-24 『荒野で主が養われる』 2018/09/08 小西孝蔵

2018年9月9日 「荒野で主が養われる」
2018.9.8
小西孝蔵
出エジプト16章9~24節
16:9モーセはアロンに言った、「イスラエルの人々の全会衆に言いなさい、『あなたがたは主の前に近づきなさい。主があなたがたのつぶやきを聞かれたからである』と」。 16:10それでアロンがイスラエルの人々の全会衆に語ったとき、彼らが荒野の方を望むと、見よ、主の栄光が雲のうちに現れていた
16:11主はモーセに言われた、 16:12「わたしはイスラエルの人々のつぶやきを聞いた。彼らに言いなさい、『あなたがたは夕には肉を食べ、朝にはパンに飽き足りるであろう。そうしてわたしがあなたがたの神、主であることを知るであろう』と」。
16:13夕べになると、うずらが飛んできて宿営をおおった。また、朝になると、宿営の周囲に露が降りた。 16:14その降りた露がかわくと、荒野の面には、薄いうろこのようなものがあり、ちょうど地に結ぶ薄い霜のようであった。 16:15イスラエルの人々はそれを見て互に言った、「これはなんであろう」。彼らはそれがなんであるのか知らなかったからである。モーセは彼らに言った、「これは主があなたがたの食物として賜わるパンである。 16:16主が命じられるのはこうである、『あなたがたは、おのおのその食べるところに従ってそれを集め、あなたがたの人数に従って、ひとり一オメルずつ、おのおのその天幕におるもののためにそれを取りなさい』と」。 16:17イスラエルの人々はそのようにして、ある者は多く、ある者は少なく集めた。 16:18しかし、オメルでそれを計ってみると、多く集めた者にも余らず、少なく集めた者にも不足しなかった。おのおのその食べるところに従って集めていた。
16:19モーセは彼らに言った、「だれも朝までそれを残しておいてはならない」。 16:20しかし彼らはモーセに聞き従わないで、ある者は朝までそれを残しておいたが、虫がついて臭くなった。モーセは彼らにむかって怒った。 16:21彼らは、おのおのその食べるところに従って、朝ごとにそれを集めたが、日が熱くなるとそれは溶けた。 16:22六日目には、彼らは二倍のパン、すなわちひとりに二オメルを集めた。そこで、会衆の長たちは皆きて、モーセに告げたが、 16:23モーセは彼らに言った、「主の語られたのはこうである、『あすは主の聖安息日で休みである。きょう、焼こうとするものを焼き、煮ようとするものを煮なさい。残ったものはみな朝までたくわえて保存しなさい』と」。 16:24彼らはモーセの命じたように、それを朝まで保存したが、臭くならず、また虫もつかなかった。

1. 初めに
この夏は、日本列島に災害が相次ぎますね。7月に発生した西日本広島など西日本の未曽有の集中豪雨被害、先週関西地方を襲った戦後最大級の台風被害、今週北海道で起きた震度7の大地震の被害・・・。災害は、いつどこで起こるのか予想がつかない、枕して安心して寝られるところがないといってもいいかもしれません.
先週、ワールドビジョンのアジア会議で訪れたフィリピンも日本と同様、火山、地震、台風の常襲地帯ですが、フィリピンの人たちが、今年は、台風が殆ど来ない、日本にばかり行っているという話を聞き、日本がフィリピン、台湾の分まで引き受けている感じがしますね。
いずれにしても、主が守って下さらないとすれば、主が養って下さらないとすれば、私たちは、不安な毎日を過ごさざるを得ないことを実感する今日この頃です。

2.前回の振り返り
モーセシリーズ3回目。一貫したテーマは、二つ。一つ目は、モーセがキリストをさし示す「型」となっていること(ヨハネ5章46節)。二つ目は、モーセは、神の前に立って、常に、民のためにとりなしをしている、神と人に仕えるサーバントリーダーの象徴でもあること。
前回は「主が戦われる」のタイトルで出エジプトの奇蹟を学ぶ。迫りくるエジプト軍に対し、雲の柱、火の柱による背後の主の守り。神の杖とモーセの挙げた手は、神の臨在、超自然的な力の介在があって、イスラエルの民は、危機から脱出できたというお話でした。

2. 民のつぶやきとモーセの叫び

エジプトでの奴隷から解放されてから3日目に水がない、マラと行くところに着いて、有ったと思った水は苦くて飲めないとモーセにつぶやく。荒野で水も食料もなく、餓死するのではと民は、訴えかけた。そこでモーセは、主に叫んだとある。強い口調の必死のとりなし。神はこのつぶやきを聞かれ、飲める水に変えるととともに、エリムというところのオアシスに導かれる。それから、約1週間歩くと、再び、民のつぶやきが始まる。エジプトで食べていた肉がない、パンがないと。主は、荒野でイスラエルの民に必要なものを知っておられ、責任をもってその必要を満たされる。

 荒野での水とマナの奇蹟の目的は、それを通じて、神の栄光があらわされ、主のみ名が崇められるようになる。(出エジプト16章10,12節)

マタイ7章7~11節
「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。 7:8すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。 7:9あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。 7:10魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。 7:11このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。」

4.マナは、天から与えられる恵み

1)夕方になると、飛来するウズラの肉が与えられた。毎朝、地表を薄くおおう白く、甘い食べ物が与えられた。この食べ物は、マナと呼ばれ、ヘブライ語でマーン・フー、「これは、何というものだろうか」という意味。アラビア語では、マンと呼び、「賜物」(天からの恵み)を表す意味。余談ですが、日本語でマナは、「真菜」(真の食べ物)という意味。長女の名前は、出エジプトのマナからとったが、日本語の真菜の意味は、後日知った。
マナは、ぎょりゅうという木から分泌される樹液ないしその木に生息する虫の分泌物とも解されるが、いずれにしても、200万人分の食料となるので相当の分量であろう。

2)毎朝、一人当たり、1オメル、約2,3リットルずつ集めなさいと命じられた。

 「16:17イスラエルの人々はそのようにして、ある者は多く、ある者は少なく集めた。 16:18しかし、オメルでそれを計ってみると、多く集めた者にも余らず、少なく集めた者にも不足しなかった。おのおのその食べるところに従って集めていた。」

多く集めたものも、少なく集めたものも、全体として、一人当たり、必要なものが満たされた。余分に集めたものを翌日腐っていて食べられなかった。
要するに、集めるという労働の対価として、マナが与えられるのではなく、あくまで、一方的な恵みとして、マナが必要なだけ与えられるのです。
3)安息日の分は、8日目に2倍取れる。安息日に主を覚え、第一にすれば、必要な食べ物は備えられる。
マナの奇蹟は、少年の5千人の持っていた5つのパン、2匹の魚から、5千人の食料を生み出されたイエスの奇蹟に似ている。
我々の祈りは、主の祈りにある「日用の糧を今日も与えたまえ」に尽きる。

5.今日の箇所から学ぶこと3つ。

1) どんな苦難でも主は私たちを養って下さる、だから思い煩うことはない。
① 皆さんは、人生の荒野で経済的な欠乏やや精神的な困窮に落ちったことがありませんか。主に祈り求め、目の前のなすべきことをしていれば、主は、必ず、備えてくださる。
働かなくていいのではない。働くもの食うべからず。しかし、主の恵みは、私たちの働きに左右されることなく、注いでくださる。
今回のフィリピンでワールドビジョンの支援地域であるスラム街に行った。子供たちは、ごみの山から集めてきたプラスチックや空き缶を売ってお金に換えて、家を支え、学校に通っている。ゴミ集めのために学校に通えない子も沢山いる。マナを集めるように、ごみを集めて、必死に生きている。外からの支援はわずかであるが、それでも、神様は、養ってくださる。

② 今回、改めて気づいたことは、フィリピンの子供たちの笑顔、大会で発表してくれた、スポンサーチャイルドの成長した姿、自分たちが受けた恵み、教育の機会を生かして、仲間の子供たちを暴力や虐待から守りたいという情熱に学ばされた(将来、ワールドビジョンのPresidentになったとしたら、子供の意見を聞く)。彼らは、貧しいがゆえに、学校に行けることに感謝している、医者や看護婦さん、職人さんになって働きことに夢と希望を持っている。
他方、新学期が始まって不登校になる子どもたちが多い日本。全く対照的。
日本は、恵まれすぎているゆえに、周囲からのプレッシャーに悩まされる。

③ マタイ6章31~34節

「6:31だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。 6:32これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。 6:33まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。 6:34だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」

(私の拙い経験でも、今、二つの会社の赤字、二つのキリスト教団体(学生寮)の赤字の処理に当たっている。時には、どうなるのかと心配も。でも、神様が、必ず養ってくださることを信じている。)

2) マナは、天からの恵み、キリストのいのち。人と分かち合うもの。

私たちは、各自、神様の尽きることのない恵みをいただいている。それを人との出会いの中で分かち合うことで輪が広がっていく。世界中の貧しい弱い立場にある子供たち(Most Vulnerable Children)、日本の経済的、精神的、肉体的にハンディを負っている子供たちに支援の手を差し伸べるのは、キリストに対してしていることと同じです。
チャリティの語源は、ラテン語でカリタス、神の恵みという意味です。神様から頂いた恵みを受けとって、自分のためだけに使うのではなく、人に捧げることが本当のチャリティなのです。
キリストを受け入れ、永遠の命を得ることにより、人に与える人に変えられる。なぜなら、キリストのいのちは、尽きることがないから。最後に、キリストがモーセを引用しながら、パンの奇跡の意味を語っておられる聖書箇所を読んで終わりましょう。
ヨハネによる福音書6章
「6:31わたしたちの先祖は荒野でマナを食べました。それは『天よりのパンを彼らに与えて食べさせた』と書いてあるとおりです」。 6:32そこでイエスは彼らに言われた、「よくよく言っておく。天からのパンをあなたがたに与えたのは、モーセではない。天からのまことのパンをあなたがたに与えるのは、わたしの父なのである。 6:33神のパンは、天から下ってきて、この世に命を与えるものである」。 6:34彼らはイエスに言った、「主よ、そのパンをいつもわたしたちに下さい」。 6:35イエスは彼らに言われた、「わたしが命のパンである。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決してかわくことがない。」
(関連聖書箇所)

マタイ7章7~11節
求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。 7:8すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。 7:9あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。 7:10魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。 7:11このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか

マタイ6章31~34節
6:31だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。 6:32これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。 6:33まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。 6:34だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。

ヨハネ6章31-35節
6:31わたしたちの先祖は荒野でマナを食べました。それは『天よりのパンを彼らに与えて食べさせた』と書いてあるとおりです」。 6:32そこでイエスは彼らに言われた、「よくよく言っておく。天からのパンをあなたがたに与えたのは、モーセではない。天からのまことのパンをあなたがたに与えるのは、わたしの父なのである。 6:33神のパンは、天から下ってきて、この世に命を与えるものである」。 6:34彼らはイエスに言った、「主よ、そのパンをいつもわたしたちに下さい」。 6:35イエスは彼らに言われた、「わたしが命のパンである。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決してかわくことがない。

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