Iコリント12:4-12 『魅力的な人は一心不乱に生きる』 2018/10/07 松田健太郎牧師

Iコリント 12:4 さて、賜物にはいろいろの種類がありますが、御霊は同じ御霊です。
12:5 奉仕にはいろいろの種類がありますが、主は同じ主です。
12:6 働きにはいろいろの種類がありますが、神はすべての人の中ですべての働きをなさる同じ神です。
12:7 しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊の現れが与えられているのです。
12:8 ある人には御霊によって知恵のことばが与えられ、ほかの人には同じ御霊にかなう知識のことばが与えられ、
12:9 またある人には同じ御霊による信仰が与えられ、ある人には同一の御霊によって、いやしの賜物が与えられ、
12:10 ある人には奇蹟を行う力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、ある人には異言、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。
12:11 しかし、同一の御霊がこれらすべてのことをなさるのであって、みこころのままに、おのおのにそれぞれの賜物を分け与えてくださるのです。
12:12 ですから、ちょうど、からだが一つでも、それに多くの部分があり、からだの部分はたとい多くあっても、その全部が一つのからだであるように、キリストもそれと同様です。

魅力的な人とは、どういう人でしょうか?
僕は、何かに打ち込んでいる人、熱中している人にはすごく魅力を感じます。
時々テレビなんかで取り上げられますが、跡取りになる人もいなくて、80代の疲れた体に鞭を打ちながら、真剣に何かを造っている職人さんの姿を見ると、カッコいいですよね。
また、誰も成し遂げたことのない大きなプロジェクトに打ち込んで、何とか道を切り拓こうともがくビジネスマンの姿も、美しいと思います。
何かに一生懸命に取り組む姿は美しく、魅力的に感じるものなのだと思うんです。

じゃあ、何でも一心不乱にやっていれば魅力的なのかと言うと、うちの子は、一心不乱に3DSのゲームをやっていたりするのですが、その姿はあまり魅力的には見えません。(笑)
一生懸命にやっているように見えたとしても、単に自分が楽しんでいるだけでは、その人の中から輝く魅力は見えてこないようです。

さて、僕はここしばらく、「魅力的なクリスチャンになる」というシリーズでお話しをさせていただいています。
なぜなら、私たちが大好きなイエス様は、とても魅力的な人だったからです。
そして、私たちクリスチャンが成長すると、キリストに似た者になると聖書には書かれています。
そうなのであれば、私たちはクリスチャンとして成長するほどに、もっと魅力的な人にもなっていくはずなんじゃないかと思ったのです。

最近、魅力を持っている人には共通点があることに気がつきました。
それは、彼らが何か使命感のようなものを抱いて物事に取り組み、そこにやりがいや、生きがいを感じているということです。
使命感がなければ、傷む節々と悪力のない手で、何かを生み出す作業などできません。

やりたくないけど義務だからがんばってやっている人たち、生活のために仕方がなくやっている人たちを考えてみてください。
実を言えば大半の人たちはそういう生き方をしていたりするわけですが、残念ながらそういう人たちの姿には、あまり魅力を感じないのではないでしょうか。
しかし、「自分にとってそれをやることには意味があるんだ、目的があるんだ」と心から信じている人には魅力があります。
どうでしょう?
私たちはこのような使命感、やりがい、生きがいのようなものを持っているでしょうか?

実は、私たちクリスチャンにとって、使命感を持って物事に関わっていくということは、とても大切なことなんです。
なぜなら、私たちには確かに使命が与えられているからです。

神さまが私たちに与えている使命には、大きく分けると3つの種類があります。
第1にそれは、私たちがこの世界を管理するということ、それはすべての人に与えられている使命です。

創世記 1:26 神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」

第2に、福音を延べ伝え、世界中の人たちをキリストの弟子とすること。これは、すべてのクリスチャンに与えられている使命です。

マタイ 28:19 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、28:20 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。

そして第3に、それぞれの人たちに与えられている別の使命です。私たちはその使命に従って賜物(ギフト)が与えられているのだと今日の聖書箇所には書かれていましたね。

もしも神さまがいなくて、私たちが偶然できた存在でしかないのだとしたら、私たちが使命感を持って何かに取り組むというのはバカバカしい話です。
だってそんなのは、単なる思い込みでしかないのですから。
でも、私たちを創造した神さまが本当に存在し、その神さまが本当に私たちを愛し、本当に私たちのための使命を与えているなら、それは一心不乱に取り組む価値のあることです。
私たちの命は、そのためにあると言っても過言ではないのかもしれません。

さて、使命、やりがい、生きがいということについて話をすると、必ず受ける質問があります。
それは、「どうしたら私の使命は見つかるのでしょうか」という質問です。
そこで、使命、やりがい、生きがいを考えるための図を紹介しておきたいと思います。

これを作ったのは、起業家でありブロガーのMarc Winnという人だそうです。
この方がクリスチャンなのかどうかは、実を言うとよくわかりません。
でもここに反映されている考え方は、とても聖書的価値観と矛盾していません。

神さまが本来最初に創造した私たち、つまり神さまから離れて罪びとになる前の私たちは、こんな風に生きることができたのではないかと思うんですよね。

逆に言えば、自分にとって「生きがい」のある生き方を見つけることができたなら、それは神さまが創ってくださった本来の自分を知るヒントになるでしょう。
この図は、そのためにも大きな参考になるのではないかと思います。

さて、この図は4つの輪によって構成されていますね。
好きなこと、得意なこと、稼げる(報いを受けられる)こと、そして必要とされていることです。

自分にとって、この4つに当てはまることは何なのかを考えてみてください。
あるいは、自分の将来がこの図に近づいていくように考えていくといいのかもしれません。
今の自分に足りないものは何か、それが欠けているのであれば、私たちは次に何をする必要があるのか、考えるための材料としてはとても参考になりますね。

しかし、それでも自分の使命や生きがいが見つけられないという人がいるかもしれません。
どうしたらいいでしょうか?
それはね、わからなくていいんです。(笑)
実を言えば、自分にどんな使命が与えられているかとか、どういう人として創られているかなんて、簡単にわかるようなものではありません。
わかったように思うことがあっても、それはほんの一部のことでしかありません。

多くの場合、私たちは「何をするか」ということにとらわれ過ぎているように思います。
どの会社に就職して、どんな仕事をすることがみこころなのか、牧師なのか、普通の仕事なのか、そんな風に考える必要は何もありません。
私たちにとって本当に大切なのは、「何をするか」ではなくて、「誰に聞くか」ということなのです。
それはつまり、神さまに聞き、神さまに従うことです。
それが、私たちクリスチャンに与えられている最大の特権じゃないですか。
神さまはかつて、イスラエルの人々にこう言いました。

ホセヤ 6:6 わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない。全焼のささげ物よりむしろ、神を知ることである。

エレミヤ 7:23 ただ、次のことを彼らに命じて言った。『わたしの声に聞き従え。そうすれば、わたしはあなたがたの神となり、あなたがたはわたしの民となる。あなたがたが幸せになるために、わたしが命じるすべての道に歩め。』

求められているのは、何になるか、何をするかということではなく、神さまを知り、神さまに聞き、神さまに従うことです。
私たちが、神さまに聞き従うなら、そこには自ずと何をするべきかということが見えていきます。
だから私たちは、安心して神さまの声に耳を澄ませていればいいのです。
そして、神さまが教えてくれる「今何をするか」ということに従うなら、それが未来に繋がっていきます。
神さまの声に、一心不乱に従って行こうじゃありませんか。

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