創世記37:5-11 『神様と一緒に世界に仕える』 2019/02/03 松田健太郎牧師

創世記 37:5 さて、ヨセフは夢を見て、それを兄たちに告げた。すると彼らは、ますます彼を憎むようになった。
37:6 ヨセフは彼らに言った。「私が見たこの夢について聞いてください。
37:7 見ると、私たちは畑で束を作っていました。すると突然、私の束が起き上がり、まっすぐに立ちました。そしてなんと、兄さんたちの束が周りに来て、私の束を伏し拝んだのです。」
37:8 兄たちは彼に言った。「おまえが私たちを治める王になるというのか。私たちを支配するというのか。」彼らは、夢や彼のことばのことで、ますます彼を憎むようになった。
37:9 再びヨセフは別の夢を見て、それを兄たちに話した。彼は、「また夢を見ました。見ると、太陽と月と十一の星が私を伏し拝んでいました」と言った。
37:10 ヨセフが父や兄たちに話すと、父は彼を叱って言った。「いったい何なのだ、おまえの見た夢は。私や、おまえの母さん、兄さんたちが、おまえのところに進み出て、地に伏しておまえを拝むというのか。」
37:11 兄たちは彼をねたんだが、父はこのことを心にとどめていた。

クリスチャンの生き方って、どんなものだと思いますか?
皆さんが、すでにクリスチャンとしての歩みを始めているとしたら、それはどんな生活でしょうか?

ある人は、罪を犯さず、清く正しく生きることがクリスチャンの生き方だと言います。
ある人は、出会う人すべてに伝道することだと言います。
外からはどのように見えているかというと、「日曜日に歌っている人たち」というイメージを持つ人が多いそうです。
変な怪しい人たちという印象を持たれるよりは良いかもしれませんが、閉じこもって歌を歌っているだけというイメージはとても残念なことです。
自分自身を振り返ってみてとき、私たちはどんな生き方をしているでしょう?
日曜日に教会に行っているだけで、後は普通の人と何も変わらないということはないでしょうか。

「あなたたちは地の塩、世の光です」とイエスさまは言いました。
簡単に言うとこれは、私たちが味気ないこの世界に味付けをし、汚れを清め、闇に光を灯すものだということです。
瓶の中に閉じこもっていたり、枡の下で輝いていたのでは意味がありません。
私たちは教会の外に出て、塩や光の役割を果たすことが求められているのです。
私たちが地の塩、世の光となるというのはどういうことを意味するのでしょうか?
そして、私たちはどのようにして地の塩、世の光としての役割を果たすことができるのでしょうか?
今日は、創世記の中に描かれているヨセフの人生をヒントにしながら、私たちのクリスチャンとしての生き方について考えてみましょう。


創世記の中にヨセフという人が出てきます。
ヨセフはお父さんによってえこひいきされていたので、他の兄弟たちからは嫌われていました。
しかし無神経なヨセフは、ある時自分が見た夢を兄弟たちに話します。
まるでヨセフが兄弟たちを支配するという話しのようなその内容に、彼は兄弟たちからの怒りを買うことになりました。
そうしてヨセフは、兄弟たちによって、奴隷として売られることになったのです。

奴隷となったヨセフは、エジプトでファラオの侍従長ポティファルに仕えました。
その時のことが、このように記されています。

創世記 39:2 【主】がヨセフとともにおられたので、彼は成功する者となり、そのエジプト人の主人の家に住んだ。

神さまはヨセフを祝福しました。
そのことを通して、ヨセフが仕えていたポティファルの家も祝福されたのです。
神さまは、私たちが心を込めて神さまに従い、人々に仕えるとき、私たちを通して、私たちが属するその場所を祝福します。
同じようなことは、お父さんの時もありましたね。
叔父であるラバンの家で羊の世話をしていた時、そこにはたくさんの祝福がありました。
ラバンはなるべく長く、ヤコブを彼のもとで働かせたいと思ったほどでした。

私たちがそこに働くことによって、その職場がうまくいく、栄えるということを考えたことがあるでしょうか?
私たちが頑張ってうまくいかせるのでも、栄えさせるのでもありません。
神さまが、祝福するのです。
そもそも、それを望んでいるかどうかということもあるかもしれませんけどね。


その後、ヨセフはポティファルの妻のたくらみによって牢に入れられることになりますが、今度はファラオの夢を読み解き、ファラオに仕えることになります。
誰にもわからなかった夢を読み解いたとき、それを聞いたファラオは驚いてこう言いました。

創世記 41:38 そこで、ファラオは家臣たちに言った。「神の霊が宿っているこのような人が、ほかに見つかるだろうか。」
41:39 ファラオはヨセフに言った。「神がこれらすべてのことをおまえに知らされたからには、おまえのように、さとくて知恵のある者は、ほかにはいない。
41:40 おまえが私の家を治めるがよい。私の民はみな、おまえの命令に従うであろう。私がまさっているのは王位だけだ。」
41:41 ファラオはさらにヨセフに言った。「さあ、私はおまえにエジプト全土を支配させよう。」

こうしてヨセフは、ファラオの次に地位のある立場に上り詰めました。
あっという間に副社長に出世したらすごいですね。
でも、ここで大切なのはそんなことではありません。
ヨセフの解き明かしによってエジプトは救われ、それが近隣の諸国まで助けることになり、やがては彼を売った兄弟たちや家族を救うことにもなったということです。
彼が最初に見た夢は、このようにして現実のものとなったのです。

私たち自身は、地位や力は持っていないかもしれません。
しかし、力のある人を動かすことによって、より大きなことを起こすことができます。
ヨセフは、神さまの言葉を取り次ぎ、必要としている人に伝えました。
それだけではなく、彼は骨身を削って、飢饉からエジプトを救う計画を実現するために働いたのです。


皆さんは、ヨセフに起こったことが自分にも起こると想像することはできますか?
もちろん、これはヨセフの人生であり私の人生と同じではありませんから、全く同じことが起こるわけではありません。
しかし、私たちはヨセフとともにいて下さった神さまと同じ神さまと共にいるのですから、私たちにも同じことが起こりうるのです。
では、どうすればそんなことが私たちの人生に起こるのでしょうか?

第一に、まず私たち自身が神さまと共に生きる喜びの中で生活することだと思います。
ヨセフは、兄弟によって奴隷として売られるという、とんでもない裏切りを受けました。
でも、ヨセフがその悲劇的な状況の中で嘆いているだけだったら、ポティファルはこんなにヨセフを評価し、仕事を任せたりしなかったでしょう。
ヨセフは、想像を絶するような悲劇の中で希望を抱き、その環境の中でも自分にできる最高の生き方をしようとしたのです。
ヨセフは、人間的には問題もありました。
しかし、どんな困難の中にあっても、神さまを信頼していました。
それがヨセフの強さであり、ポティファルたちを惹きつける魅力でもあったのです。

第二に、神さまが与えている賜物が活かされることです。
ヨセフの賜物は「夢」でした。
でも最初、彼は大きな失敗をします。
そのことを兄弟たちに話したために、彼らの怒りを買ってしまったのです。
ヨセフはその後、自分の人生を転落させたこの出来事についてよく考えたと思います。
その中で、「夢を解き明かす」という新たな賜物が開花したのかもしれません。
ヨセフは、神さまが「夢」を通して語りかけてくださることを知り、「夢」を解き明かす方法を知りました。
それが、ヨセフの賜物だったのです。

私たちに与えられている賜物は何でしょうか?
もしかするとそれは、ヨセフのように私たちの失敗と関係のあることかもしれません。
神さまは、その賜物を通して私たちを用い、そこに御業を起こすのです。

第三に、神さまがやろうとしていることをやるということです。
少し解説が必要かもしれません。
神さまがこの世界の創造者であり、神さまがこの世界を動かしています。
神さまには計画があり、神さまの計画は必ず実現します。

箴言 19:21 人の心には多くの計画がある。しかし【主】のはかりごとだけが成る。(新改訳第3版)

そして神さまは、ご自身の計画を私たちに教えてくださいます。

アモス 3:7 まことに、【神】である主は、ご自分の計画を、そのしもべである預言者たちに示さずには、何事もなさらない。

だからこそ私たちが神さまの導きを聞き、従うことが大切なのです。
そこには必ず最善の結果があるからです。
神さまは、どんな意味や目的があって、皆さんをその場所に遣わせ、何をさせようとしているのでしょうか?
今、私たちが遣わされている現場で、神さまは何をしようとしているでしょう?
神さまがその中でもともと計画していた人間関係、構造、仕組み、働きはどのようなものでしょうか?
ぜひ、神さまに聞いてみてください。
そして、何か導きを受けたなら、ぜひそれに従ってみましょう。
そこに、神の国が広がっていくのです。

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