詩篇91:1-16 『全能者の陰に宿る』 2019/4/28 松田健太郎牧師

ヨシュア記 1:1-9
1:1 【主】のしもべモーセの死後、【主】はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに告げられた。
1:2 「わたしのしもべモーセは死んだ。今、あなたとこの民はみな、立ってこのヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの子らに与えようとしている地に行け。
1:3 わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたが足の裏で踏む場所はことごとく、すでにあなたがたに与えている。
1:4 あなたがたの領土は荒野からあのレバノン、そしてあの大河ユーフラテス川まで、ヒッタイト人の全土、日の入る方の大海までとなる。
1:5 あなたの一生の間、だれ一人としてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしはモーセとともにいたように、あなたとともにいる。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。
1:6 強くあれ。雄々しくあれ。あなたはわたしが父祖たちに与えると誓った地を、この民に受け継がせなければならないからだ。
1:7 ただ強くあれ。雄々しくあれ。わたしのしもべモーセがあなたに命じた律法のすべてを守り行うためである。これを離れて、右にも左にもそれてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたが栄えるためである。
1:8 このみおしえの書をあなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさめ。そのうちに記されていることすべてを守り行うためである。そのとき、あなたは自分がすることで繁栄し、そのとき、あなたは栄えるからである。
1:9 わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたの神、【主】があなたとともにおられるのだから。」

何となく神さまに導かれたように感じて、ヨシュア記からお話をしていきたいと思います。
ひとつは、令和になり、新しい時代が始まるということ。
そしてもうひとつは、教会がこれから移転しようとしているということですね。
新しい地に入って、新しい出発に向かっていくにあたって、このヨシュア記が示されたわけです。

ヨシュア記は、今小西さんがシリーズでお話ししてくださっているモーセの、次のリーダーです。
モーセが、イスラエルにとって祭司という立場のリーダーだったのに対して、ヨシュアは色感的なリーダーですね。
約束の地であるカナンに入っていくわけですが、彼らはそこに住んでいたカナンの人々と戦い、その地を勝ち取っていかなければなりませんでした。
400年間も奴隷として暮らし、実践経験がほとんどなかったイスラエルの人々にとって、屈強なカナン人たちとの戦いは恐ろしいものでした。
その戦いの指揮を執ったのがヨシュアだったわけですね。

僕たちは、この話をどのように捉えればいいのでしょう?
僕たちは、もちろんこの世界に侵略して、土地を占領しながら神の国の支配を広げるわけではありません。
僕たちの戦いは、神の国の福音を広げるための、霊的な戦いです。

神の国とは、神さまの支配があるところですね。
神さまに聞き、従う人たちのいるところには、神の国があるのです。
まず僕たち自身がそのような生き方をして、次に、そのような生き方をする人たちを増やしていく必要があります。
それが、僕たちに与えられている使命であり、戦いですね。

神さまはモーセに、こんな約束をしていました。
ヨシュア1:3 わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたが足の裏で踏む場所はことごとく、すでにあなたがたに与えている。

僕は、このような約束が、全てのクリスチャンに与えられているように感じています。
僕たちが足の裏で踏む場所が、ことごとく神の国になるのです。
皆さんはそのことを信じますか?

もちろんそれは、歩いたところが「僕たちの土地になる」とかそんな話ではありません。
また、そこが「キリスト教国」になるというようなつまらない話でもありません。
みんながキリスト教という宗教に所属しているとか、教会に行くとかというだけでは、世界がそれほど良くならないということは、過去においてキリスト教国だったヨーロッパがどうだったかとか、今のアメリカや韓国、フィリピンがどうかということを見ればよくわかります。
大切なのは、神さまの御心がそこに実現していくかどうかということです。
世界中で、人々の心が豊かになり、互いに愛し合い、赦し合い、仕え合い、喜ぶものとともに喜び、悲しむものとともに泣くような関係があったら良いと思いませんか?
世界中で、人々の関係が回復し、心と体が癒され、与えられている使命や目的に従って生きていけたら、素晴らしいと思いませんか?
僕たちが行くところ、どこでもそのようになっていくことが、神さまの願いなのです。

では、どうすればそれが実現するのでしょう?
僕たちが行くところ、どこでも神の国となるために、僕たちはどうしたら良いのでしょうか?

第一に、私たちが強く、雄々しくあるということです。
今日読んだ短い聖書のことばの中で、神さまは「強くあれ、雄々しくあれ」と3回も言っています。
それは、ヨシュアが恐れ、弱々しい状態にあったからだと思います。
僕たちも、恐れや弱々しさに取りつかれていませんか?
神さまは僕たちにも言います。
「強くあれ、雄々しくあれ」と。
なぜなら、どんな状況でも神さまがともにおられるからです。

第二に、神さまに従って生きるということです。

ヨシュア 1:7 ただ強くあれ。雄々しくあれ。わたしのしもべモーセがあなたに命じた律法のすべてを守り行うためである。これを離れて、右にも左にもそれてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたが栄えるためである。
1:8 このみおしえの書をあなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさめ。そのうちに記されていることすべてを守り行うためである。そのとき、あなたは自分がすることで繁栄し、そのとき、あなたは栄えるからである。

この時代には、モーセを通して与えられた律法に従って生きることが、「神さまに従う」ということでした。
僕たちはそうではありません。
なぜなら、僕たちには聖霊が与えられているからです。
僕たちは何か決められたことをそのまま守るのではなく、いつでも、どんな時でも神さまに聞き、それに従うことが大切なのです。

第三に、いつでも神さまがともにいることを自覚することです。

ヨシュア 1:9 わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたの神、【主】があなたとともにおられるのだから。」

皆さん、最近神さまとどれくらいお話ししていますか?
神さまに聞くということは、習慣にしなと、すぐに忘れてしまいますよね。
自分がするべきことは何か、いつでも聞きましょう。
そして、従いましょう。
僕たちが全てのことを神さまに聞き、従って行動するところに神の国があるからです。
逆に言えば、どれだけ多くの人たちがクリスチャンになっても、神さまに聞かない限り、従わない限り、そこには神の国がありません。
神さまを中心に生きるというのは、そういうことを言うのです。

それでは、今日も短く分かち合いの時間を持ちたいと思います。
お話が長くなったので、少ししか話せませんが、2~3人のスモールグループに分かれて、互いに分かち合ってみましょう。

1. 最近、神さまに示されて行動しているのはどんなことですか?
2. 神さまに聞き従うため、また強く雄々しくあれるために、互いに祈り合いましょう。

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