ヨシュア記2:1-14 『求めている人がいる』 2019/06/02 松田健太郎牧師

ヨシュア記 2:1-14
2:1 ヌンの子ヨシュアは、シティムから、ひそかに二人の者を偵察として遣わして言った。「さあ、あの地とエリコを見て来なさい。」彼らは行って、ラハブという名の遊女の家に入り、そこに泊まった。
2:2 ある人がエリコの王に、「イスラエル人の数名の男たちが今夜、この地を探ろうとして入って来ました」と告げた。
2:3 それで、エリコの王はラハブのところに人を遣わして言った。「おまえのところに来て、おまえの家に入った者たちを出せ。その者たちは、この地のすべてを探ろうとしてやって来たのだから。」
2:4 ところが、彼女はその二人をかくまって言った。「そうです。その人たちは私のところに来ました。でも、どこから来たのか、私は知りません。
2:5 暗くなって門が閉じられるころ、その人たちは出て行きました。どこへ行ったのか、私は知りません。急いで彼らを追ってごらんなさい。追いつけるかもしれません。」
2:6 彼女は二人を屋上へ上がらせ、屋上に積んであった亜麻の茎の中におおい隠していた。
2:7 追っ手たちはヨルダン川の道をたどり、渡し場までその人たちを追って行った。門は、彼らを追う追っ手たちが出て行くと、すぐに閉じられた。
2:8 二人がまだ寝ないうちに、彼女は屋上の彼らのところへ上がり、
2:9 彼らに言った。「【主】がこの地をあなたがたに与えておられること、私たちがあなたがたに対する恐怖に襲われていること、そして、この地の住民がみな、あなたがたのために震えおののいていることを、私はよく知っています。
2:10 あなたがたがエジプトから出て来たとき、【主】があなたがたのために葦の海の水を涸らされたこと、そして、あなたがたが、ヨルダンの川向こうにいたアモリ人の二人の王シホンとオグにしたこと、二人を聖絶したことを私たちは聞いたからです。
2:11 私たちは、それを聞いたとき心が萎えて、あなたがたのために、だれもが気力を失ってしまいました。あなたがたの神、【主】は、上は天において、下は地において、神であられるからです。
2:12 今、【主】にかけて私に誓ってください。私はあなたがたに誠意を尽くしたのですから、あなたがたもまた、私の父の家に誠意を尽くし、私に確かなしるしを与え、
2:13 私の父、母、兄弟、姉妹、また、これに属するものをすべて生かして、私たちのいのちを死から救い出す、と誓ってください。」
2:14 二人は彼女に言った。「私たちはあなたがたに自分のいのちをかけて誓う。あなたがたが私たちのことをだれにも告げないなら、【主】が私たちにこの地を与えてくださるとき、あなたに誠意と真実を尽くそう。」

ヨシュア記について、ここしばらくお話が続いています。
ヨシュアはイスラエルの民を引き連れてヨルダン川を渡り、約束の地へと入ろうとしていました。
でも、この時点ではまだ渡っていないんですね。
ヨシュア自身も見てきたことですが、約束の地には強大な敵が待っています。
慎重になり過ぎるということはないのです。
彼らは、もう一度偵察隊を送って、敵地の様子を見てみることにしました。

偵察が送られたのは、強固な城壁を持っているために、この辺りでは倒すことが一番難しいであろうエリコという町でした。
偵察隊のふたりはその街の中に忍び込むと、ラハブという遊女の家に泊まったと書かれています。
旅人のふりをして怪しまれないようにするために、遊女のところに泊まるのは良い方法だったと思います。
しかし遊女の方は、彼らがイスラエルの斥候だということに気づいてしまったんですね。

この遊女の名は、ラハブと言いました。
しかしラハブは、彼らがイスラエルの斥候であることがわかっても、エリコの兵士に知らせようとはせず、それどころか彼らをかくまったのです。
ラハブは、その理由をこのように説明しています。
2:10 あなたがたがエジプトから出て来たとき、【主】があなたがたのために葦の海の水を涸らされたこと、そして、あなたがたが、ヨルダンの川向こうにいたアモリ人の二人の王シホンとオグにしたこと、二人を聖絶したことを私たちは聞いたからです。

奴隷だったイスラエルが、ファラオを撃退してエジプトから出てきたということを、彼らエリコの人々は知っていました。
そして、その後もアモリ人を倒したということも知れ渡っていて、彼らはイスラエルを恐れているというのです。
かなりの人数がいましたし、彼らが行くところで起こる奇跡や、倒してきた人々のことを考えれば、恐れを抱くのも当然のことかもしれません。

さて、今回の第一のポイントは、神さまの働きがあるところには、評判も広がっていくということです。

奇跡が起こったり、特別なことが起こったりするわけですから当然と言えば当然ですね。
例えばイエスさまがいらっしゃるところには、いつでも人があふれていました。
その噂はあっという間に広がり、ひと目でもイエスさまに会いたいという人たちがたくさんいたのです。

イエスさまが天に帰られた後のペンテコステでも、すごいことが起こりました。
お祭りで人がたくさんいる中、突然すごい風が舞うような轟音が響き渡り、そこにいた弟子たちが突然外国語で話し始めたのです。

イエスさまが行くところ、あるいは聖霊を受けた弟子たちが行くところでは、どこでも大きな騒ぎが起こりました。
その出来事が知れ渡り、まだ彼らを見たことがない人たちまでもが、その評判を聞くのです。

私たち日本人は、あまり目立たないことや、ひっそりと過ごすことを美徳とする傾向があります。
だから、僕たちクリスチャンの生き方もひっそりと、隠れるようになってしまいがちです。
でも、そこに神さまが働かれるなら、隠れていることはできません。
必ず知られるようになるということを覚えておく必要があると思います。

クロスロードも、一部の人たちの間では有名になってきているようです。
キリスト教のイベントに行ったりすると、初めて会う人たちに知っていると言われることがたくさんあります。
でも、残念なのはクリスチャンの間でしか知られていないということです。
これからはもっと、地域の中で知られるような存在になるように、神さまの業を世に広げて行く必要があるなぁと思わされています。

2つ目のポイントは、神さまの業が知れ渡ることによって、救われる人が出てくるということです。
遊女ラハブは、まさにそういう人でした。
エリコに忍び込んだ斥候は、ラハブに伝道したわけでも、説得したわけでもありません。
ラハブは、自ら神さまを求め、イスラエルの神を信じていたのです。

私たちが、優先的に福音を伝える必要があるのは、神さまに応答している人たちです。
多くの場合私たちは、家族や知り合い、身近な人など、自分経伝えたい人を優先に考えてしまうのではないでしょうか?
気持ちはわかるのですが、まず私たちが届かなければならないのは、神さまの語りかけに対して、すでに応答している人たちです。
その人たちは、伝道する前から神さまを求めているのですから、伝えるのは簡単です。
教会に連れて行こうとか、伝道集会に連れて行くとか、個人伝道が上手い人に合わせようとか考えなくても、誰にでもできます。

もちろん、身近な人たちに伝えても無駄とは言いませんし、説得はしない方が良いと言うわけでもありませんが、自分にとって大切な人たちを救おうとするあまり、すでに救いを求めている人たちが蔑ろになるようなことは避けなければなりませんね。

さて、今日の第3のポイントは、ラハブのように受け入れる人がいる一方で、反対する人たちはもっとたくさんいるということです。

エリコの人たちは、イスラエルの人々を恐れていましたが、その大半はイスラエルを敵視していました。
ラハブだけが神さまを求めていたのであって、大半は何とかしてイスラエルを倒そうとしていたのです。
彼らは降伏して明け渡すよりは、守りを厚くして、何とかイスラエルの脅威をやり過ごそうとしていました。

私たちが神さまに従いながら、神さまの働きを広げ、福音を宣べ伝え、救いを受け取る人たちが出てくると、そこには必ず迫害も起こるのです。
そこに起こる神さまの御業が大きければ大きいほど、迫害も大きくなるということを覚悟しなければなりません。

実はこれって、例えばビジネスの世界でも普通に言われていることで、新しいことをすれば反対する人たちは必ず出てくるし、誰にも反対されないことは、やる価値もないことだとも言われています。
芸能人のような人たちの中でも、アンチと言われる人たちが出て来てやっと一人前みたいな部分もあります。

ましてや、神の国に関わることであれば、より大きな反対が起こっても当然なのかもしれませんね。
イエスさまはこう言っています。

マタイ 5:10 義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。
5:11 わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。
5:12 喜びなさい。大いに喜びなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのですから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々は同じように迫害したのです。

敵が私たちを恐れるなら、そこには必ず攻撃が来ます。
そのことを恐れず、驚かず、神さまに従い続けることが大切ですね。
そこには、必ず救われる人たちがいることも忘れてはなりません。
たとえそれが小さな成果であるように思えても、心配する必要はありません。

この時に救われたのは、ラハブという娼婦とその家族だけでした。
屈強な戦士が仲間になったわけでも、知恵や知識のあるリーダーが加わったわけでもありません。
しかし、このように弱く罪の中にあったラハブが救われることが、この時には大切だったのです。

エリコが落ちた後、ラハブはイスラエル人との間に子どもを授かり、それがルツ記に登場するボアズとなります。
ボアズはルツとの間に生まれたオベデからは、エッサイが出ます。
そしてエッサイの子どもは、あのダビデ王です。
この、カナン人の娼婦の血筋から国王が生まれ、それはやがて救い主イエス様へと繋がっていくということです。

全ては、私たちが神さまに聞き、従う所から始まります。
神の国拡大の働きのために、神さまに聞き従おうではありませんか。

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