ヨシュア4:1-7 「記念の石」2019/7/14 松田健太郎牧師

ヨシュア記 4:1-7
4:1 民全員がヨルダン川を渡り終えると、【主】はヨシュアに告げられた。
4:2 「民の中から部族ごとに一人ずつ十二人を取り、
4:3 その者たちに命じよ。『ヨルダン川の真ん中、祭司たちが足をしっかりととどめたその場所から十二の石を取り、それらを携えて渡り、あなたがたが今夜泊まる宿営地に据えよ。』」
4:4 そこでヨシュアは、イスラエルの子らの中から部族ごとに一人ずつ、あらかじめ任命しておいた十二人を呼び出した。
4:5 ヨシュアは彼らに言った。「あなたがたの神、【主】の箱の前、ヨルダン川の真ん中へ渡って行き、イスラエルの子らの部族の数に合わせて各自が石を一つ、その肩に担ぎなさい。
4:6 それがあなたがたの中で、しるしとなるようにするためだ。後になって、あなたがたの子どもたちが『この石はどういうものなのですか』と尋ねたとき、
4:7 あなたがたは彼らにこう言いなさい。『ヨルダン川の水が【主】の契約の箱の前でせき止められたのだ。箱がヨルダン川を渡るとき、ヨルダン川の水はせき止められた。この石はイスラエルの子らにとって永久に記念となるのだ。』」

ヨシュアたちは、約束の地との間を遮っていたヨルダン川を、いよいよ渡り始めました。
その途中で、ヨシュアは12部族が一人ずつを集めて石を拾わせました。
「担いで」と書かれていますから、大きい石だったことがわかりますね。
彼らはヨルダン川を渡り終わると、その石を積み上げて記念碑を作りました。
そして、このことを子孫に語り継ぐようにと命じます。
ヨシュア記の4章に書かれていることをまとめると、これで終わります。
それを、まるまる1章使って話しているわけですね。

そもそも、ヨルダン川を渡るというところまでに4章もかかっています。
24章の内の4章ですから、割合としてもずいぶん長いですよね。
ヨルダン川を渡るまでにそれほど長い時間がかかったということでしょうか?
別にそういうことではありません。
時間配分で言えば、ヨルダン川を渡るまでの出来事なんて数日で、カナンの地に入ってからの方が圧倒的に長いでしょう。
それではなぜ、ここまでにヨシュア記全体の6分の1が費やされているかというと、この出来事は、彼らにとってそれほど重要なことだったからです。

500年も前に、アブラハムに約束され、ここまで語り継げられてきた「約束の地」に入るということですから、彼らにとって大切だったのは当然のことですね。
だからそのために記念碑まで作ったわけです。

話してしまえばこれだけで説明できるような出来事ですが、これは私たちの信仰生活にも適用できることだと思います。
私たちにとってのヨルダン川とは何でしょうか?
そして、私たちにとって帰って来るべきポイントは、どこにあるのでしょうか?

① 洗礼を思い出す
聖書の中では、「水を通る」という出来事でいつも象徴されていることがあります。
それは、それまでの古い自分が死に、新しい自分としてスタートするということです。
新約聖書から出てくるバプテスマ(洗礼)は、このことを象徴しているわけです。

モーセと共に紅海(葦の海)を渡ったことも大きなことでしたが、ヨルダン川を渡ったことも同じくらい重要なことでした。
バプテスマのヨハネが、ヨルダン川で洗礼を授けていたことも、ユダヤ人にとってそれが大切な意味を持っていたことを表しています。

私たちにとっても、洗礼は信仰的に大切な出来事ではないでしょうか。
でも、思い出していただきたいのは「洗礼式良かったなぁ」とかそういうことではありません。

第一に、私たちは救われたのだということ。
神さまの愛が注がれていて、私たちの罪は赦され、贖われているという事です。
第二に、古い自分はもう死んで、今はイエスさまと共に新しい命に生きているんだということです。
この二つのことを、私たちはいつでも思い出し、何かあるたびに戻ってくる必要があります。
私たちの罪の性質は、すぐにこの恵みを忘れさせてしまうからです。

② 神の恵みを思い出す
私たちが覚えておき、またことあるごとに思い出すべきもう一つのことは、神さまが与えてくださった恵みです。
私たちは、人生の中で「あの時神さまが導いてくれた」とか、「あの時に神さまが助けて下さらなかったら今の私はない」という出来事があるのではないでしょうか?

遡って考えてみると、実はクリスチャンになるずっと前から、神さまは私たちの人生の中に導きを与え、奇跡によって助け、祝福を与えてきたはずです。
私たちの上には、神さまの恵みが満ちているのです。

ところが、私たちはすぐにそのことを忘れてしまいます。
そして、何かあるたびに心配になったり、不安になって、神さまではなく自分の判断を選んでしまうのです。

私たちも、与えられている恵みや祝福を覚えて、記念碑を作ってみてはどうでしょうか?
実際に何かを建てたりする必要はないかもしれませんが、心の中で、それぞれのポイントに錨を降ろして、ポイントを作っておくのです。

僕にとっては、奈緒美が授かった時の出来事が大きな記念碑になっています。
結婚してから8年間授からなかった子どもが与えられたのは、父が働いていた会社が倒産し、僕たち家族も経済的に大打撃を受けていたその最中でしたから、僕たちには特別な意味がありました。
神さまがあの危機を乗り越えさせてくださったという体験があるから、私たちは様々な危機の中でも、神さまに信頼して歩むことができます。

皆さんにとって、水が分かれて乾いた地を歩むような、神さまの祝福体験は何でしょうか?
どのような時に神さまの助けを感じ、奇跡を体験したでしょうか?
もしかすると、その体験はこれから起こるのかもしれません。
その時を、記念として覚えておいてください。
そして、次に何かあった時にも、「神さまがともにいるから大丈夫だ」と確認できるようにしましょう。
心の中に記念碑を作ることは、私たちの信仰を大きく助けることになるのです。

③ 神さまのみわざを語り継ぐ
ヨシュアは、ヨルダン川でのこの出来事を子孫に語り継ぐようにと命じました。
私たちも、私たちが体験した神さまの恵みを、信仰の子孫に語り継ぐ必要があります。

私たちクリスチャンは、神さまのことを伝える時に、なんだか理屈っぽいことばかりを伝えてしまう傾向があるように思います。
西洋文化の影響を受けて、トラクトを使って、「神・罪・救い」のことを説明したり、説得するように訓練されてしまった部分もあります。

福音について説明できることはもちろん大切なことだし、素晴らしいことでもあるのですが、それを伝えるのはもっと後のことです。
私たちがまず、伝える必要があるのは、神さまが私に何をして下さったかという体験ですね。
「神さまが、私の人生にこんなことをして下さいました。」
「あなたにも同じような体験がありませんか? それが神様です。」
「その祝福や導きを、もっと自主的に、意識的に受け取り、神さまに聞き、従って生きることが、クリスチャンの生活なのです。」

それを聞いて、「私も神さまと共に生きたいです」と応答する人がいたら、そこで初めて福音について説明すればいいんです。
その人は体験が先に合って、受け取りたいという気持ちが大きいので、福音をするする吸収していくことができます。

そのためにも、私たちは日々証していくことが大切だと思います。
「神さまがこんな祝福をプレゼントしてくれたんですよね。」
「神さまに示されて、従ったらこんなことが起こったんです。」
その体験は、私たち自身にとって、ことあるごとに思い出す大きな記念碑となりますが、他の人たちを救いに導く道しるべにもなることを覚えておいてください。

神さまが体験させてくださる一つ一つの出来事は、その場限りの恵みではなく、もっと大きな影響力を持つ可能性を秘めた祝福なのです。

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