十戒(2)偶像を作らない(過去ブログより)

出エジプト 20:4 あなたは自分のために偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、いかなる形をも造ってはならない。
20:5 それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、【主】であるわたしは、ねたみの神。わたしを憎む者には父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、
20:6 わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。

僕たちは何でも型にはめたがる傾向があるよね。 
その方が楽だからだ。 

「神様はこの様なお方である。」 
という型があれば、僕たちはなんだか安心できるような気がする。 
でも、その型が自分にとって都合のいい形になってしまってはいないかな。 

神様には、優しさもあれば、厳しさもある。 
愛情にあふれるとともに、怒りや悲しみももつ方だ。 
全知全能でありながら、限界のある人にもなって下さった方でもある。 

僕達も含む、この世の全てのものに形を与えたのは神様だ。 
僕たちが、神様に形を与えることなんてできるはずがない。 

僕たちが神様を、自分の勝手な理解によって型にはめようとする時、僕たちは神様の本質を見失ってしまうよ。 
僕たちは自分の理解に神様を合わせようとするのではなく、神様の存在そのものを認識する必要がある。 
そして、神様という存在は、僕たちの理解や認識を超えてしまっている事も忘れてはならないね。

Iコリント 2:14 生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらはその人には愚かなことであり、理解することができないのです。

ヨハネ 4:24 神は霊ですから、神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければなりません。」

木や石を掘って神様の姿を作り、それを拝む偶像崇拝。
結局のところ、その行為の根底にあるのは、僕達が神を思い通りに動かしたいという事何だと思う。
僕たちは天のお父さんに背を向け、「あなたが言う事を聞いてくれないなら、俺たちは俺達の神を作る。」という事。
考えてみれば、酷い話だ。
聖書ではそれを、“霊的な姦淫”、つまり“信仰の浮気”だと言っている。
 
それは神様が最も悲しみ、怒りを覚える罪なんだ。
「主であるわたしはねたむ神であるから・・・」と神様は言う。
何だかこわい・・・。(^-^;A
 
嫉妬は見苦しい・・・なんて言うけれど、でもそれは、それだけ本気だという事だよね。
愛している人が浮気をした時、それを見逃す事は愛なんかじゃない。
相手がどうでもいいから、そう思えるんだ。
自分が傷つきたくないために、そう思いこもうとする人もいる。
 
でも神様は、こんな僕たちを”嫉妬するほどに”愛し、僕たちのためにハートが傷つくほどに、僕たちを大好きだという事なんだよ。
そんな神様の心を踏みにじるような事をするのは、もうやめようじゃないか・・・。
 
まとめ: 僕たちに神様を作る事はできない