祈りとは?

―考えてみましょうー
あなたは祈ったことがありますか? それは、どんな時で、どんな祈りでしたか?

クリスチャンじゃなくても、神様を信じていなくても、祈ったことがある人は多いと思います。
でも、多くの人にとっての祈りは、単なる気休めでしかないかもしれません。
祈りとは何か、どのように祈ればいいのかを知っていれば、祈りはもっと効果的になるはずです。

祈りとは何でしょう?
ひと言でいうなら、祈りとは、神様との対話です。
祈りは、神様との関係を築く上で基本中の基本なのです。

皆さんは知らない人ばかりの場所に行ったとき、どのようにして友達を作り、仲良くなるでしょうか?
私たちは誰かと話せば話すほど、その関係は深くなっていくものです。

イエス様は、しばしば人々から離れて静かな所に行き、ひとりで祈る時間をもちました。(マタイ14:23)
イエス様に必要なら、私達にはなおさら必要な事なのです。

1.主の祈りに学ぶ祈り方

それでは、イエス様が弟子たちに教えた“主の祈り”を土台にして、祈り方を学んでいきましょう。

<主の祈り>
マタイ 6:9b 『天にいます私たちの父よ。

御名があがめられますように。
6:10 御国が来ますように。
みこころが天で行われるように地でも行われますように。
6:11 私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。
6:12 私たちの負いめをお赦しください。
私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
6:13 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』
〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。

① 優しい神様
「天にいます私たちの父よ」

私たちは、神様を天のお父さんと呼びかける事ができます。
こんな身近な言葉で呼びかける事ができるのは、イエス様を通して私たちが神様の養子とされたからです。
私たちのお父さんは、厳しいところもあるけれど、私たちを優しく愛してくださいます。
そのような親しい関係の中で、天のお父さんとの会話を楽しみましょう。

② 賛美と感謝
「御名があがめられますように。」

次に、神様の御名をほめたたえましょう。
「あなたは素晴らしい方です。」「全地の王、救い主です。」
いろんな言葉があると思いますが、最初の内にはなかなか言葉が出てこないものです。

神様を知れば知るほどに、神様を賛美し、感謝する言葉が増えていきます。

③ 御心を第一とする
「御国が来ますように。御心が天で行われるように、地でも行われますように」

私たちはつい、自分の思いや要望を優先して祈ってしまいがちですが、私たちがまず何よりも祈り求めるべきは、神様の御心が実現するという事です。

祈りの目的は、祈りによって神様の御心を変える事ではなく、祈りを通して私たちが変えられていき、御心を求めるようになる事なのです。

イエス様は十字架にかけられる苦しみから逃れられるように祈りながらも、最後には神様の御心を求めて祈っています。〈マタイ26:39〉

④ 私たちの願い
「私たちの日ごとの糧を今日もお与え下さい。」

私たちの願いを伝える事も、祈りのひとつです。
これが私たちの祈りの原点と言ってもいいでしょう。
私たちは願っているものを“誰に”求めるかという事が大切な事です。
私たちが求めるべき相手は、この世界の創造主である神様です。
神様に不可能はないことを信じて祈りましょう。(マタイ21:22、マルコ11:24)

しかし、神様は私たちの全ての願いを叶えて下さるのではありません。
手紙の中でイエス様の弟のヤコブは、願い求めても与えられないのは、動機が間違っているからだと述べています。(ヤコブ4:3)

祈りの目的は私たちの願いが叶う事ではなく、私たちの心が神様の御心と一致していく事です。
私たちの願う事が御心と一致した時に、その願いは現実のものとなるのです。(Iヨハネ5:14-~15)

⑤ 罪の悔い改め
「私たちの負い目をお赦しください。私たちも私たちに負い目のある人たちを赦しました。私たちを試みに合わせないで、悪からお救い下さい。」

罪は、私たちの祈りを妨げます。自らの罪を悔い改めましょう。
罪を悔い改めるという事は、罪に背を向けて、神様に近づくという事でもあります。
神様との関係を深めるために、罪の悔い改めは不可欠なのです。

できれば、「これまでの罪を赦してください。」という抽象的な祈りでなく、「〇〇の罪を赦してください。」と、具体的に祈りましょう。
そして、その罪から離れる力を神様に求めてください。
私たち自身の力だけでは、罪の力に勝つことはできないからです。

⑥ 全てをゆだねる
「国と力と栄えとは、とこしえにあなたのものだからです。」

最後に、私たちは祈ったすべての事を神様に委ねる事です。
委ねるという事は、私たちが努力をしないという事ではなく、その結果を神様に任せるという事です。
私たちは自分にできる事をやって、その結果は神様に任せるのです。

祈っているだけでは、東大に合格する事はできません。
できる限りの勉強をし、その結果を委ねるのです。
そしてその結果、東大に合格しなかったなら、神様の計画は他にあるという事かもしれません。
神様の御心を求めて祈り続けましょう。

⑦ イエス様の御名で祈る

これは主の祈りの中にない事ですが、私たちが祈るうえで大切な事なので加えておきます。
私たちの祈りが他の人とどう違うのかと言えば、“イエス様の名前”で祈る事ができるという事です。
イエス様はこのように言っています。

ヨハネ 14:13 またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。
14:14 あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。

イエス様の御名で祈るという事は、要望書に裁判所や国の印章が押してあるのと同じようなことで、私たちが神の子イエス様の権威によって祈る事ができるという事を意味しています。

もちろんこれは、「イエス様の御名によって祈ります」という事によって、祈りに効果が出るというような魔法の言葉などではありません。
私たちはイエス様の代理として、イエス様の名前で祈るという事ですから、イエス様が祈ろうとしている事を求めて祈る必要があるのです。

⑧ アーメン
「アーメン。」

祈りの最後に、クリスチャンの人たちが、「アーメン」と言っているのを聞いたことがあるでしょう。
しかしこの言葉は、祈りの締めくくりを表す言葉ではありません。

「アーメン」とは、ヘブル語で「まことに」とか「本当に」あるいは、「その通りです」という意味の言葉で、本来は祈っている本人ではなく、その周りにいる他の人たちがその祈りが自分の祈りでもある事を示すために使う言葉です。

 ―祈ってみましょうー
ここまでで、一度祈ってみましょう。

  1. 親しみを込めて、神様に話しかけましょう。
  2. 神様を賛美し、感謝しましょう。
  3. 神様の御心を、心から求めましょう。
  4. たちの願っている事を祈りましょう。
  5. 罪を悔い改めましょう。(具体的に)
  6. 全てを委ねましょう。
  7. イエス様の御名で祈りを締めくくります。

2.祈りの極意

① 静まった所で祈る

マタイ6:5~6を読みましょう。

マタイ 6:5 また、祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。
6:6 あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。

祈りは、人に見せたり聞かせたりするものではなく、神様と対話するためのものです。
落ち着いて、神様と二人きりになれるところで祈ってみましょう。

② いつでも祈る

コロサイ4:2、Iテサロニケ5:17を読みましょう。

コロサイ 4:2 目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい。

Iテサロニケ 5:17 絶えず祈りなさい。

もちろん静まった場所だけでなく、いつでも、どんな所でも祈る事ができます。
通勤通学の電車の中、トイレの中、人と話している途中でも、神様に祈る事ができます。

③ 一緒に祈る

マタイ18:19~20を読みましょう。

マタイ 18:18 まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。
18:19 まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。

ひとりで祈るだけでなく、他の人と心を合わせて祈る時、その祈りはもっと大きな力となります。
神の国がそこにあるからです。
その祈りに賛同する人は、「アーメン」と言ってその祈りに心を合わせましょう。

④ 執り成しの祈り

ローマ15:30を読みましょう。

ローマ 15:30 兄弟たち。私たちの主イエス・キリストによって、また、御霊の愛によって切にお願いします。私のために、私とともに力を尽くして神に祈ってください。

自分のためではなく、他の人のために祈る祈りを、執り成しの祈りと言います。
その人が自分自身で祈る事ができない時、心に平安がなく他の人の助けを必要としている時、権力者や自分たちのリーダー、教会や、私たちを傷つける人たちのためにさえも、私たちは祈る事ができます。

⑤ 癒しのための祈り

使徒の働き6:6、ヤコブ書5:15を読みましょう。

使徒 6:6 この人たちを使徒たちの前に立たせた。そこで使徒たちは祈って、手を彼らの上に置いた。

ヤコブ  5:15 信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。

イエス様の弟子たちは、イエス様から力を受けて、病気の人たちに手を置いて祈りました。
すると、人々の傷や病気は癒されたと記されています。
私たちもイエス様の弟子であり、神様の力は決して過去だけのものではありません。
イエス様の弟子である私たちを通しても、神様の力は働くのです。
癒しのために祈りましょう。

大切なのは、癒されることを心から信じて祈る事です。(マタイ9:22、13:58など)
しかし、すぐには癒されない事もあります。
その時も、あきらめず繰り返し祈り続けましょう。(ルカ11:5~10)
また、生きている間には癒されない事もあります。(IIコリント12:7~10)
全ては神様の御心次第ですが、神様にすべて信頼して、すでに癒されたと信じて祈りましょう。

⑥ 祈り方がわからない時

ローマ8:26、エペソ6:18を読みましょう。

ローマ 8:26 御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。

エペソ 6:18 すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。

祈る時、言葉が見つからなくて、どのように祈ったらいいかわからない時があります。
そんな時は、聖霊に祈りを委ねましょう。すると、聖霊が祈りを導いてくれます。その祈る言葉自体が祈りの答えになる事もあれば、私達には理解できない霊の言葉(異言)として出てくることもあります。

しかし異言は、他の人たちが聞いても意味が分からないものであり、聞かせる意味もありません。
それどころか、他の人たちのつまずきの原因にもなるものです。(Iコリント14章)

Iコリント 14:2 異言を話す者は、人に話すのではなく、神に話すのです。というのは、だれも聞いていないのに、自分の霊で奥義を話すからです。

14:15 ではどうすればよいのでしょう。私は霊において祈り、また知性においても祈りましょう。霊において賛美し、また知性においても賛美しましょう。
14:16 そうでないと、あなたが霊において祝福しても、異言を知らない人々の座席に着いている人は、あなたの言っていることがわからないのですから、あなたの感謝について、どうしてアーメンと言えるでしょう。

14:23 ですから、もし教会全体が一か所に集まって、みなが異言を話すとしたら、初心の者とか信者でない者とかが入って来たとき、彼らはあなたがたを、気が狂っていると言わないでしょうか。

14:28 もし解き明かす者がだれもいなければ、教会では黙っていなさい。自分だけで、神に向かって話しなさい。

異言の祈りこそ、人から離れて静まった所で、神様とふたりきりになって祈るべきものでしょう。

⑦ 神様の声を聞くこと

私たちの祈りは、一方的に神様に願いを伝えるだけのものになってしまいがちです。
しかし、これまで何度も話してきたことですが、祈りとは対話です。
話すだけでなく、聞かなければ、それは対話にはなりません。

私たちは神様の御心を知り、それに従う必要がるのですから、話すこと以上に神様の声を聞くことに多くの時間を費やしましょう。
神様の声に耳を傾ける最もシンプルな方法は以下の通りです。

  1. 神様の声を聞く前提条件として「どんな御心に対しても従う」という決意をする。
  2. 導きを求めている事に関して祈る。
  3. 静まる中で、心に思い浮かんだことが神様の導きである可能性が高い。
  4. 神様の導きは、私たちの願望とはまったく違う事が多い。
  5. そこで得た答えが、聖書の真理と矛盾していないかどうかを確認する。
―祈ってみましょうー
神様の声に耳を傾けてみましょう。
その中で、何か気づいた事があったら、書き記しておきましょう。
祈ったことを記録したり、祈りの中で「語られた」と感じたことを書き記しておくと、神様がどのように答えて下さっていたかを後で確認する事ができます。

実践編~福音に生きるために