み言葉とは?

―考えてみましょうー
あなたは聖書を読んだことがありますか? 読んでみてどのように感じましたか?

神様はどんなことを考えているのでしょう?
神様の意思を、はっきり知ってみたいと思いませんか? その方法があります。
それは神様の言葉、つまり聖書を知る事です。

聖書は、神様のことばです。

私たちは聖書を通して神様について知り、神様の御心を知る事ができるのです。
聖書にはこのように書かれています。

Ⅱテモテ 3:16 聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。

ここで言われている事のひとつは、聖書はすべて神の霊感によって書かれているという事。
それは、聖書を実際に記したのはもちろん人間ですが、神様が著者たちに霊感(インスピレーション)を与え、著者たちは神様の導きによって聖書を書いたという事です。

そして、神様の霊感によって書かれたものであるからこそ、私たちは聖書から学び、それに従って生きる事によって、神様の御心に近づくことができます。

このセッションは、神様の御言葉である聖書を読むことについて学んでいきたいと思います。

<コラム:聖書という書物>
聖書は、1000年以上の年月をかけ、およそ40人の人々によって書かれた書物を合わせたものです。
聖書は旧約聖書39巻、新約聖書27巻、合わせて66巻の書物によって成り立っています。
その内容は、律法の書、歴史書、小説、詩、知恵の言葉、戯曲、預言書、福音書、手紙、黙示録という様々な形で書かれています。
旧約聖書はヘブル語と一部がアラム語、新約聖書はギリシア語で書かれていて、現在2400カ国語の言語に翻訳されています。

聖書は三万部もの写本が発見されおり、古代に記された書物としてはけた違いに多く、私たちが読んでいる聖書の内容は、限りなく原文に近いという事がわかります。

私たちが読んでいる聖書には章や節が付けられていますが、これは活版印刷のために便宜上付けられたものであって、後の時代に作られたもので、しっかりと考えられて章や節の分けた訳ではありません。

聖書のすごいところは、この66巻の聖書が、1000年以上の年月をかけて、40人もの人々によって書かれているにも関わらず、そこには神様による救いの約束と成就という一本の線が通っている事です。
こんな書物は、他にありません。
この事実ひとつを取り上げたでも、人間業では不可能な奇跡だと言えるでしょう。

―聖書を読んでみましょうー
マタイの福音書11章28~30節を読んでみましょう。
感じたこと、気づいたことがあったら書き込んでみて下さい。

マタイ 11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」

どうやって聖書を読んでいけばよいでしょうか?

① 聖書の全体像をとらえながら読む

聖書の言葉を部分的に読んで理解するのではなく、全体像をとらえる必要があります。
全体像を把握していないとメッセージの受け取り方を間違えてしまう可能性があります。
例えば、律法を聖書全体から切り離して読むなら、それは従う事が著しく難しいルールでしかありません。

律法をがんばって守ろうとするなら、キリスト教は単なる宗教のひとつとなってしまうのです。(実際に、多くのクリスチャンがそのように聖書を理解してしまっています。)
聖書全体で語られているテーマを土台にして律法を読むなら、私たちが律法をどういうものとして受け取るべきかという事が分かってくるでしょう。

② 登場人物の罪や失敗から学ぶ

私たちがやってしまいがちなもう一つの事は、誰か好きな登場人物を見つけて、それを自分の模範にしようとする事です。
小説であればそれもいいかもしれませんが、聖書の中には模範になるような登場人物は(イエス様以外)ひとりもいません。
聖書に出てくる人たちは、みんな罪人なのです。

私たちはむしろ、彼らの罪、弱点から自分の姿を見出すべきです。
そもそも神様は、私たち一人一人を違う性質をもった存在として創っているのですから、他の人のマネをしても良い事はないでしょう。

③ 聖書のテーマとは?

聖書の全体像で語られている重要なテーマは、3つの事に集約できます。

1.神の愛

神様は私たちを愛しています。
神様があらゆる方法で人と関わり、救おうとしている姿を、聖書の中で見る事ができます。

2.人の罪

「私たちが神様から離れてしまったこと。」それが罪の根源です。
そのために、私たちは神様が創られたようには生きない、生きられない存在となってしまいました。
その罪が起こす様々な問題が、聖書の中では描かれています。
そこにあるのは人の愚かさであり、しかしそれを補い、包み込む神様の愛へと繋がっていくものなのです。

3.神からの救いの道(イエス・キリスト)

人は救いを必要としているというのが、聖書の中で描かれている事です。
その救いの道が、神のひとり子による罪の贖いです。

イエス様が十字架にかかる事が神様からの救いの道であるという事が、聖書の全体を通して(もちろん旧約にも)描かれています。
救い主とは誰か、いつ、どのようにして地上に来て、何をするのかを描いているのが、聖書の大きな目的のひとつです。

④ へブル文化とヘレニズム文化

聖書は、二つの文化の影響を受けています。へブル文化と、ヘレニズム文化です。
へブル文化は、聖書の中心となる民族であるへブル人(イスラエル人)の文化です。
へブル文化は東洋的な文化と言ってよいでしょう。
その表現方法は、情緒的であり、抽象的であり、象徴的で、絵画的です。

一方でヘレニズム文化とは、新約聖書の時代にイスラエルを支配していたローマ帝国にあった、ギリシアの文化です。
ですから、ヘレニズム文化は西洋的な文化です。
その表現方法は、現実的であり、具体的であり、実際的で、理論的です。

日本の文化も本来は東洋的な文化ですが、それを歌の中に見る事ができます。
盆踊りなどで有名な、“炭坑節”の歌詞を見てみましょう。

月が出た出た 月が出た (ヨイヨイ)
三池炭坑の 上に出た
あんまり煙突が 高いので
さぞやお月さん けむたかろ (サノ ヨイヨイ)

私たちは、この歌詞から三池炭鉱の様子を豊かにイメージする事ができるのではないでしょうか?
しかしこの歌詞は、決して現実的ではありません。
煙突がどれだけ高かろうと、実際の月と地球の距離を考えたら、月に煙が届くはずはないからです。
そもそも、月は煙たがったりしません。(笑)
これが、東洋的な文化による情景の描写であり、へブル文化の影響下で書かれている聖書の大部分は、このように情緒的、抽象的、象徴的、絵画的な表現をされているのです。

炭坑節を西洋文化的に表現するとこのようになります。

三池炭坑の上に、月が出ました。
しかし30mの高さの煙突からの大量の煙によって、月がほとんど隠れています。

正確かもしれませんが、情緒も何もあったものではありませんね。

現代の日本は、西洋文化の影響を受けているため、聖書を読む時に西洋文化的な読み方をしてしまいがちです。
そうすると、聖書の言葉を誤解してしまったり、「事実と違う」という事が気になって信じる事が出来なくなってしまったりしまいます。

とは言え、聖書の中には、ヘレニズム文化的に書かれているものもあります。
それは、パウロ書簡(パウロが様々な教会に送った手紙)です。
パウロの手紙は、読むのが難しく感じる人も多いですが、とても理論的で実際的です。

異邦人であるルカが、異邦人のために書いたルカの福音書も若干ヘレニズム的ですが、ルカが実際に見た事ではなく、他の弟子たちから聞いた事をまとめたものですから、ヘブル文化の影響が多く残っています。

―聖書を読んでみましょうー
次の聖書の言葉を、ヘレニズム(西洋)文化的に理解すると、どのような事になるでしょうか?

マタイ 5:29 もし、右の目が、あなたをつまずかせるなら、えぐり出して、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに投げ込まれるよりは、よいからです。
5:30 もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切って、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに落ちるよりは、よいからです。

次に、ヘブル(東洋)文化的に理解すると、どういう言葉として受け取れるでしょうか?
  • 他にも、雅歌をヘレニズム的な読み方で解釈し、絵で描いてみるとおもしろいです。
  • この観点から考えると、創世記に記されている天地創造は、どの様に考える事ができるでしょうか?

右の絵は、聖書の雅歌に記されている言葉を、文字通りに絵にしたものです。
乙女の美しさを称える言葉なのですが、日本人の感覚では文字通りに受け取ると、化け物のような姿になってしまいます。

「聖書の言葉は字義どおりに読んで受け取らなければならない。」と言う人たちもいますが、それが必ずしも正しいとは限らないことがわかりますね。(笑)

通読とディボーション

神様の言葉は、「霊的な食事」とも言われるものです。
私たちが毎日食事をするように、神様の言葉に毎日触れる事が、私たちの神様との関係を深め、信仰を成長させていきます。

通読とは、聖書を読み進めて全部読むことです。
神様の言葉に毎日触れ、聖書の全体像を理解するためにはとてもいい方法です。
ムリのないペースで、意味がわからなかったとしても、とにかく読み進める事を考えましょう。
聖書は全部で1192章ありますので、毎日4章ずつ読めば1年足らずで全部読むことができます。

このウェブサイトにでは、1日5章読み進める通読の解説も行っています。
参考にしてみて下さい。

ディボーションというのは、神様とのふたりきりの時間を味わう事です。
祈りと聖書の言葉を通して、神様との時間を毎日過ごしてください。

初心者の方には、いくつかの出版社からディボーションガイドという雑誌が発行されているので、それを使いながらやるとどのように聖書の言葉を受け取り、祈ったらいいのか学ぶことができます。

しかし、ガイドを使うと、ディボーションではなく勉強になってしまいがちであり、御言葉から直接神様の声を聞く力を奪ってしまう傾向があるので、あまりお勧めはできません。

個人的には、通読をしながら、以下の方法でディボーションをする事をお勧めします。

  1. 心を静めて、神様と祈りの時を持つ。
  2. 「御言葉を通して語りかけて下さい。」と祈ってから聖書を読む。
  3. 読み終わったら黙想し、一番心に留まった段落をもう一度読んでみる。
  4. 必要であれば、何度か読み返しながら黙想し、神様が語ろうとしているメッセージを受け取る。
  5. 必要であれば、ネットや注解所、聖書のガイドなどを使って、その個所の解釈を調べてみる。
  6. 神様からのメッセージを受け取り、何をどのようにしたらよいか計画し、書き記す。
  7. 神様に従って、受け取ったメッセージをなるべく早い内に実行に移す。

スモールグループと分かち合い

ひとりで聖書を読み進め、通読を続けることは難しいものです。
できれば、2~3人のスモールグループで同じ聖書個所を読み進めながら、受け止めたメッセージの分かち合いをするといいでしょう。

 

以下のガイドに従って、スモールグループでの分かち合いをする事をお勧めします。

  1. 3人以上だと集まる事が難しい事もあり、人数は2~3人にしましょう。
  2. 互いの聖書理解を聞いて、参考にしましょう。
  3. 同じ聖書個所でも、受け取るメッセージは人それぞれです。互いに受け取った事に関して、批判したりしないようにしましょう。
  4. 週に一度会い、どのようなメッセージを受け取って何をしたか、それによって何が起こったかという事を分かち合いましょう。
  5. 祈りの課題を出し合い、互いに祈り合いましょう。

神様に教えられたことを生活に適用し、実践する

この言葉をもう一度思い出してください。

Ⅱテモ 3:16 聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。

多くのクリスチャンが、聖書を学ぶだけで満足してしまいます。
しかしそれでは、知識が蓄えられただけで人生は何も変わっていません。
大切なのは、神様に教えられたことを実践する事です。
これは、神様に従って実際に行動してみないとどうにもなりません。

本を読んだり、人から教わっただけで自転車に乗れるようになる人はいません。

自分の部屋を出、教会を出て、人を赦し、愛しましょう。
誰かのために祈り、自分が抱えていたものを手放して委ねましょう。
罪を悔い改めて、誘惑から離れましょう。
神様を信頼し、すべての事を委ねていきましょう。
そのためには、神様の力が不可欠です。

祈りをもって臨みましょう。

実践編~福音に生きるために