新しい命とは?

イエス・キリストは十字架で命を投げ出し、私たちの罪を贖って救いの道を開きました。
しかしイエス様は、死から3日目に蘇ったのです。

―考えてみましょうー
3日目に蘇るなら、イエス様はどうしてわざわざ死ぬ必要があったのでしょうか?

イエス様が私たちの罪を贖うために自らの命を犠牲にして下さったと考えた時、私たちはイエス様の愛の大きさに圧倒されます。
ところが、その3日目に蘇ったという話を聞くと、何だかそのありがたみが半減してしまうようにも感じてしまうかもしれません。
イエス・キリストの蘇りにはどのような意味があり、私達にはどのような関係があるのでしょうか?

1. 神様の力の証のため

詩編16:1を読みましょう。

詩篇 16:10 まことに、あなたは、私のたましいをよみに捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。

イエス様の復活は旧約聖書の中にも預言され、イエス様ご自身も自分がこれから死に、3日目に復活することを予言していました。
イエス様が復活したことそれ自体が、神様とイエス様の力の表れであり、神であることの証でした。

2. 人が復活する事の証のため

Iコリント15:13~17を読みましょう

Iコリント 15:13 もし、死者の復活がないのなら、キリストも復活されなかったでしょう。
15:14 そして、キリストが復活されなかったのなら、私たちの宣教は実質のないものになり、あなたがたの信仰も実質のないものになるのです。
15:15 それどころか、私たちは神について偽証をした者ということになります。なぜなら、もしもかりに、死者の復活はないとしたら、神はキリストをよみがえらせなかったはずですが、私たちは神がキリストをよみがえらせた、と言って神に逆らう証言をしたからです。
15:16 もし、死者がよみがえらないのなら、キリストもよみがえらなかったでしょう。
15:17 そして、もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。

聖書には、私たちがやがて復活することが書かれています。
多くの人たちがそれを信じていませんでしたが、イエス様はご自身が復活することを通して、それが本当であることを示しました。
イエス様の復活は、天国で私たちが持つことになる“栄光のからだ”というものであり、ラザロを始め他の何人かの人々が経験したような、蘇生とは全く別のものです。

聖書には、2種類の復活がある事が記されています。
ひとつ目の復活は、私たちが永遠に神様と共に過ごすことができるようになるため。(黙示録20:4~6)
この時に復活する人たちは幸いだと聖書は教えています。

第2の復活は、第2の死、永遠の裁き、滅びに至るための復活です。(黙示録20:7~15)
復活した後のイエス様は、魚を食べたり、弟子たちに幽霊ではないことを示しつつ、壁をすり抜けたり、短時間で長距離を移動するという、普通の状態では不可能なことをしました。
それによって、私たちが復活した時、どのような状態なのかを少し垣間見ることができます。

3. 死ののろいを打ち破った証のため

Iコリント15:20~22、15:54~55を読みましょう

Iコリント 15:20 しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。
15:21 というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。
15:22 すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリスト」によってすべての人が生かされるからです。

15:54 しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた」としるされている、みことばが実現します。
15:55 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」

イエス様の復活は、それによって死という呪いが打ち破られたことを意味しています。
人が命の源である神様から離れた時、死という呪いを受けました。
でも、私たちと同じように罪を持たず、神様から離れたことのなかったイエス様は、私たちの罪を贖ってくださったのです。

イエス様が本当に罪の呪いを贖ったなら、死はその力を失ったはずです。
イエス様の復活は、死の呪いが打ち破られたことを意味しているのです。

ヨハネ 11:25 イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。
11:26 また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」

―考えてみましょうー
救いを手にしたなら、復活した私たちは千年王国に住み、その後新天新地(天国)で永遠の時を過ごす事になります。天国とは、どのような所だとが思いますか?

 

<コラム:天国ってどんな場所?>
ある人は、永遠に休むことができる場所だと信じます。
ある人は、天国ではずっと賛美を歌っていると信じています。
それぞれに聖書的な根拠もありますが、それは天国の部分的なイメージです。
永遠に休むとしたら、天国はとても退屈でつまらない場所になるでしょう。
ずっと賛美しているとしたら、歌が好きな人には素晴らし事ですが、歌が好きでない人には苦痛になるかもしれません。

すべての人にとって完璧で、素晴らしい世界とはどんな世界でしょう。
それは、最初に創られた世界、エデンの園です。
神様が創ったこの世界は、すでに神様が良かったと思えるような素晴らしい場所でした。
イエス様が天に帰って用意している新しい世界もまた、それに近いのではないでしょうか。そして、天国がエデンの園と近いものであるならば、そこには世界を管理するという、もともと私たちに与えられていた仕事も存在するのではないでしょうか?

私たちが最も幸せを感じるのは、私たちが本来創造された自分として生きる時です。
私たちにはそれぞれに与えられた目的と使命があるならのであり、それがフルに活かされることが、私たちにとって最大の幸せであるはずでしょう。
天国が素晴らしい幸せにあふれたものならば、天国では私たちを活かしてくれるようなたくさんの仕事がある事でしょう。

天国のイメージが変わると、この世界で生きる生き方も変わってきます。
天国が休む場所であるならば、生きている間は辛くても苦しくても耐え続け、ギリギリまで働き続ける生き方が正しい生き方になるでしょう。

天国が賛美する場所であるならば、今の内から歌が上手になっておかないと、天国で恥ずかしい思いをしてしまうでしょう。
しかし、天国が私たちを活かす仕事がある場所であるならば、私たちがこの世界に生きている内から、その喜びを探し、見つけ、味わう事も可能であるはずです。

今生きるこの世界は、天国に行くまでの練習の場所です。
天国ではよりその力が活かされ、深まり、広がるとしたら、それは何と素敵な事でしょう。
これもまた、聖書の言葉をヒントにしたひとつのイメージでしかありません。
天国では、このような私たちの想像なんてはるかに超えた、素晴らしい世界が待っている事でしょう。楽しみですね!

4. 新しい命に生きる道を開くため

Iペテロ1:3を読みましょう

Ⅰペテロ 1:3 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。

私たちに与えられた新しい命は、復活の時だけのものではありません。
新しい命は、イエス様と出会い、その関係を築いた時から始まっています。
私たちは神様との関係の中で生き始めた時、すでに新しい命の中で生き始めているのです。

人が神様から離れたことによって、霊的に死んだ状態になったことを覚えているでしょうか?
そのために、神様との関係が断絶していたのが、罪の状態でした。
しかし新しい命を得た時、霊的にも新しい命を得た私たちは、神様との関係が回復したのです。

私たちがクリスチャンとして生きる事のだいご味は、天国に行ける事だけでなく、この新しい命に生きる事にあります。
しかし、せっかく神様との関係が回復したのに、多くのクリスチャンがこの喜びを体験していません。これはすごくもったいなくて、残念な事です。
この福音入門コースの学びは、皆さんが新しい命に生きる事の喜びを体験できるようになる事を目的にしています。

―考えてみましょうー
あなたは、クリスチャンとして生きるというのはどんな生き方をすることだと思いますか?

クリスチャンとは、イエス様の十字架による救いを受け入れ、復活の命を与えられた人の事を言います。
だから本来、私たちがクリスチャンとして生きるという事は、新しい命に生きるという事です。

新しい命に生きるようになると、どんな事が起こるのでしょうか?
霊的に死んでいた私たちは、新しい命を得る事によって神様との関係が回復します。

それは自分が神になるのではなく、神様に従って生きることであり、自分を偽らず、ありのままの自分を見出すことでもあります。

そして、神様との関係が回復によって本当の愛を体験する私たちは、間関係の回復も体験する事になります。
私たちが新しい命に生きる時、私たちは創造されたままの自分として生きる事ができるようになるのです。
それはつまり:

  1. ユニークであり、(別々の存在として創られた)
  2. 神に似た者であり、(神に似せて創られた)
  3. 神と愛し合い、(神を愛し、愛される者として創られた)
  4. 互いにも愛し合い、(互いに愛し合う者として創られた)
  5. 自立し、(自由意志を持つ者として創られた)
  6. 世界をよく治め、(世界を管理するために創られた)
  7. 永遠に生きる(永遠の存在として創られた)      

という事です。

洗礼(バプテスマ):

イエス・キリストを救い主として受け入れ、クリスチャンとしての信仰を持った時、教会〈=キリストの体〉に繋がる証として洗礼式を執り行います。
少量の水を額に付けたり、水を頭から垂らす事もありますが、本来は川の水に全身浸って行っていました。

イエス様ご自身も、バプテスマのヨハネから洗礼を受けて、信仰を持ったしるしとして受けるべきことをお手本となって表しました。また、このようにも命じています。

マタイ 28:19 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、
28:20a また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。

洗礼は、水の中に入った時に古い自分が死に、水から出た後は新しい命に生きる事を象徴しています。
あくまでも象徴ですから、「洗礼を受けていなければ救われていない」という事ではありませんが、私たちが新しい命に生きていく事を自覚するためには、とても有効な礼典だと思います。

 

聖書には、他にも『聖霊のバプテスマ』というものが記されています。
バプテスマのヨハネは水で洗礼を与えましたが、イエス様は聖霊のバプテスマ(洗礼)を与えると言われています。
聖霊のバプテスマに関しては、教団や教派が支持している神学によって解釈が変わります。

クロスロード・インターナショナル教会では、水の洗礼のように象徴として執り行うものではなく、聖霊によって本当に新しい命を得て、その命に生き始める事を『聖霊のバプテスマ』として解釈しています。

そこには、聖霊派の人たちが主張するように奇跡的な体験が伴う事もありますが、本当に大切なのは奇跡という表面的な出来事ではなく、実質的な神様との関係の回復です。

―考えてみましょうー
あなたは、新しい命に生きていますか? 私たちが、創られたままの自分により近づいていくためには、どうしたらいいと思いますか?

私たちはどうしたら、より本来の自分に近づき、新しい命の中で生きていくことができるのでしょうか?

① 神様との関係を築き、深める事。

まず大切なのは、私達を創造した神様を知り、その関係を深める事です。
神様は、私達の事を私達以上によく知り、理解しています。
私達は神様との関係を深める事によって、本当の私たち自身の姿を見出し、そこに近づいていく事ができるのです。

また、罪の影響を受けてしまっている私たちは、聖霊様の助けなしに本来の私たちとして生きる事は難しい事です。
私たちが私たちであるために、神様との関係は不可欠なのです。

② 神様の御心を実行すること。

私たちが新しい命に生きるためには、単に知識を増やしたり、理屈を理解するだけでなく、実際にそのような生き方を始める必要があります。
私たちの価値観が変わり、行動が変わるのでなければ、私たちの人生が変わる事は絶対にありません。

それでは、神様との関係を築き、深め、御心を実行するために何をする必要があるのでしょうか?

  1. 祈ることで神様と対話をする
  2. 聖書を読み、自分の人生に適用する
  3. 神様を愛し(礼拝)、互いに愛し合う
  4. 自分に与えられている使命を見出し、神様と人に仕える
  5. 日々、神様の導きに耳を澄ませ、御心に従う
  6. 神様とともに生きる事の喜び、福音を伝える

これに関しては、さらに深く学びを進めていく必要があります。
次回からは、以上のトピックに従って、クリスチャンとしての生き方を実践的に学んでいきましょう。

入門編~福音って何だろう?