罪とは? その2

聖書が教えている罪について、改めて考えてみましょう。

罪という言葉を聞くと、多くの人は次のことを連想します。
1.犯罪。盗んだり、殺したりすること。
2.1まではいかないけれど悪い行い。嘘をついたり、人を傷つけること。
しかし、聖書が教えている罪とは、1のことでも2のことでもありません

私たちがそれを理解していないと、私たちは自分の行いを正すことによって罪から離れることができたと勘違いしてしまいます。
そして、行いを正していない人々を裁くようになるのです。

私たちが福音的に聖書を理解していくためには、正しい罪の理解が不可欠です。
本当の罪から離れ、自由になるために、罪とは何かということをしっかりと理解しましょう。

アダムとエバは、エデンの園で何の不自由もなく、問題もなく暮らしていましたが、そこに招かれざる客が訪れました。それは、蛇の姿をした悪魔です。
悪魔と言うと、角が生えていて容赦なく人を殺すような、何か恐ろしいものを想像するかもしれません。
でも悪魔が私たちにできる事は、嘘をついて私たちが神様から離れるように誘惑する事です。
悪魔の目的はひとつ、私たちを神様から引き離す事なのです。
そしてこの悪魔は嘘をつき、エバに“善悪の知識の木”の実を食べるように誘惑します。

エバは、「その実を食べると目が開き、善悪を知る事ができるようになって、神様のようになる。」という言葉に誘惑され、その実を取って食べ、さらにアダムにも食べさせてしまいます。
人間は神様以外の者の声に耳を傾け、神様に背いてしまったのです。
これが、聖書の中で描かれている“罪”の正体です。

“罪”と聞くと、殺したり、盗んだり、人を傷つけたりという罪の行動のことを想像してしまうかもしれません。
でも聖書が教えている罪とは、私たちが神様から離れてしまった状態の事を指しているのです。
最初に神様に背いて、善悪の知識の木の実を食べて神様に背いた事を、罪の源という意味の言葉で“原罪”と呼びます。
そして神様から離れている罪の状態だから、私たちは罪の行いも犯してしまうというのが、聖書が教えている罪の構造なのです。

聖書が教えている“罪”をシンプルに説明すると、次のように定義する事ができます。

1.  神様と離れた状態

神様との約束を破り、“善悪の知識の木”から取って食べてしまったアダムとエバは、肉体的にすぐに死ぬという事はありませんでした。
しかしその時、アダムとエバは霊的に死んだ者となってしまっていたのです。
霊が死んでしまった人間は、霊的な存在である神様との関係を持つことができなくなってしまいます。
この時から人は、神様との関係が断絶してしまったのです。

でも人は、神様との関係がなくなる事でできてしまった穴を、他のもので埋めようとします。これを偶像崇拝と呼びます。
かつては自分たちで作った神々を崇めましたが、現代ではお金や仕事、ファッションなど、どんなものでも偶像にしてしまうのが私たち人間です。

 

2.  自分が神になろうとする事 (善と悪を自分で決める)

悪魔は、「これを食べた時、あなたの目は開かれて、神の様になる。」と言う言葉でエバを誘惑しました。
これもまた、私たちが抱えている本質的な罪です。
私たちの中には、全てのものをコントロールし、自分の思い通りにしたいという願望が渦巻いています。
しかし、私たちは全知全能の神様ではないのだから、全てが思い通りにいくはずがないのに・・・。

自分が神となろうとする事によって起こる最も大きな変化は、善と悪の価値観です。
神様が創られたままの私たちにとって、善とは神様に従う事であり、悪とは神様に背く事でした。
全ての善は神様とともにあり、神様から外れれば悪でしかなかったのです。
でも神様から離れてしまった私たちは、善と悪を自分で勝手に決めるようになってしまいました。

でも私たちは、それぞれに善と悪を決めてしまうので、そこには普遍性がありません。
人によって何が正しくて、何が間違っているかが違うのですから、そこには争いが起こります。
戦争を考えてみてください。
戦争は善と悪の戦いによって起こるのではなく、互いの善がぶつかり合う事によって起こる争いです。
相対的な善悪は、より大きな問題を生み出すものなのです。

3. 神様が創ったように生きない事(まと外れ)

“罪”と言う言葉を、聖書が書かれた言葉で直訳すると、“まとはずれ”という意味の言葉になります。
“まと”というのは、弓矢などの目標とするターゲットの事ですね。
神様が本来に求めていた生き方から、私たちは大きく“まと”を外してしまっているという事なのです。

神様は善であり、愛ですから、その計画の通りに生きていれば、この世界は素晴らしいものであるはずです。神様が創って下さったままの私たちとして全ての人が生きる事ができれば、私たちはみんな幸せだったはずなのです。でも神様との関係が壊れてしまった私たちには、神様の計画を知る事ができず、自分の善を信じている私たちは、普遍的な神様の善に従いたいと思えなくなってしまったのです。

 

良かれと思ってしたことが、最悪の結果になってしまうという経験はないでしょうか?
自覚できればいい方で、自分が正しいと思ってやっている事が、問題をどんどん大きくしてしまっている事は少なくありません。
私たちは、何も悪い事をしようと思っているのではなく、良い事をしようと思って行動するのですが、神様から離れているので、良くない結果をもたらしてしまう事が多いのです。

<コラム:行いの罪について>
聖書が教える罪の根源は、神様から離れることだという事を学んできました。
私達が神様から離れているから、私達は本来の道から外れ、行いの罪を犯してしまうわけです。
では、行いの罪に関しては、どうでもいいという事でしょうか?
もちろんそうではありません。出エジプト 20:2-17を読んでみましょう。

ここに記されている十戒をはじめとして、様々な律法が聖書には出てきます。
律法には、罪の行いから離れるようにと厳しく記されています。
そのため、神様は私たち人間にいろいろな行動に制限をし、型にはめ、それに合わない人を罰しようとしているのだというイメージを持っている方たちがたくさんいます。

神様が行いの罪から離れるように私たちに願っているのは、私たちを型にはめたいからではありません。
行いの罪は、私たちが神様から離れている事の表れであるという事がひとつ。
そして行いの罪とは、私たち自身や、互いを傷つけるものだからです。

行いの罪には、必ず傷と痛みが伴います。
それは自分自身を傷つけたり、他の人たちを傷つけるものなのです。
中には、直接人を傷つけていないように感じる罪もあります。

例えばポルノを見る事などは、誰も傷つけていないように感じるかもしれません。
しかしポルノを見る事は、女性の価値を傷つける事であり、見る人々の中で女性を見る価値観に傷がついています。
そうして歪んだり傷ついた価値観が、結果的に大きく女性を傷つける事になっていくのです。

神様はわたし達を愛していて、わたし達が互いに愛し合う事を願っています。
神様がわたし達に罪から離れる事を求めている時、神様はわたし達を型にはめて、違反者を罰したいと思っているのではなく、わたし達が自分を傷つけ、互いに傷つけあう事を悲しんでおられるのです。

律法には:
・ 神様がイスラエルの人々のために定めたルール。
・ 人々が、律法をすべて守ることができない罪人だと自覚するためのもの。
・ 来るべき救い主が、どのような方であるかを示すための型。
という三つの目的があります。

―考えてみましょうー
神様が創った世界は素晴らしく、完璧なものだったはずなのに、私たち人間はそれを台無しにし、この世界をたくさんの苦痛があり、悲劇があり、問題だらけの場所にしてしまいました。
しかも私たちは、それを神様のせいにして、神様が私たちを苦しめているように思ってしまう事さえあります。もしも皆さんが神様の立場だったら、どのように感じるでしょうか?

いい加減な気持ちで創ったものなら、それがどうなろうとどうでもいいと思えるかもしれません。
しかし、神様は心を込めて、愛をもってこの世界を創造しました。
それを私たちが壊し、台無しにしてしまい、互いに傷つけあっている事は、神様には許し難いことでした。

ローマ 1:18 というのは、不義をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不敬虔と不正に対して、神の怒りが天から啓示されているからです。

私たちは、神様の怒りのもとにあります。
本来なら、神様は怒りに任せてすぐに私たちを滅ぼしても、何もおかしくはありませんでした。
でも神様は、すぐに世界を滅ぼすという選択はしませんでした。
そうは言っても、命の源である神様から離れてしまった人間は、放っておいても滅びるかない状態です。
聖書の中では、人は最後に裁きを受けると書かれています。
神様の裁きの前に、正しいものとされるような人は、世界には誰もいません。
これまで見てきたように、神様から離れて罪人となった私たちには、神様の目に適うような正しい行動ができないからです。

ローマ 3:10 それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。
3:11 悟りのある人はいない。神を求める人はいない。
3:12 すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行う人はいない。ひとりもいない。」
3:13 「彼らののどは、開いた墓であり、彼らはその舌で欺く。」「彼らのくちびるの下には、まむしの毒があり、」
3:14 「彼らの口は、のろいと苦さで満ちている。」
3:15 「彼らの足は血を流すのに速く、
3:16 彼らの道には破壊と悲惨がある。
3:17 また、彼らは平和の道を知らない。」3:18 「彼らの目の前には、神に対する恐れがない。」

でも神様は、私たちが罪によって滅びるままにしては置きませんでした。
人間が罪を犯したその直後から、神様は救いの道を計画し、それに向けて動き始められたのです。

次回は救いについて考えてみましょう。

 

入門編~福音って何だろう?