ローマ9:1-13 『ローマ26 だから弟が選ばれた』 小林拓馬 2018/1/14

ローマ 9:1 私はキリストにあって真実を言い、偽りを言いません。次のことは、私の良心も、聖霊によってあかししています。
9:2 私には大きな悲しみがあり、私の心には絶えず痛みがあります。
9:3 もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです。
9:4 彼らはイスラエル人です。子とされることも、栄光も、契約も、律法を与えられることも、礼拝も、約束も彼らのものです。
9:5 父祖たちも彼らのものです。またキリストも、人としては彼らから出られたのです。このキリストは万物の上にあり、とこしえにほめたたえられる神です。アーメン。
9:6 しかし、神のみことばが無効になったわけではありません。なぜなら、イスラエルから出る者がみな、イスラエルなのではなく、
9:7 アブラハムから出たからといって、すべてが子どもなのではなく、「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる」のだからです。
9:8 すなわち、肉の子どもがそのまま神の子どもではなく、約束の子どもが子孫とみなされるのです。
9:9 約束のみことばはこうです。「私は来年の今ごろ来ます。そして、サラは男の子を産みます。」
9:10 このことだけでなく、私たちの父イサクひとりによってみごもったリベカのこともあります。
9:11 その子どもたちは、まだ生まれてもおらず、善も悪も行わないうちに、神の選びの計画の確かさが、行いにはよらず、召してくださる方によるようにと、
9:12 「兄は弟に仕える」と彼女に告げられたのです。
9:13 「わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ」と書いてあるとおりです。

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人気のCMですよね。
・本当に普通に選ぶならキジは選ばないし、犬と猿も選ばないですよね(笑)。クマとか
恐竜とか強そうなやつにしますよね。
・今回は、なぜ桃太郎は「キジ」選んだのか、のように、
★なぜ神様は「イスラエル」を選んだのか、というお話です。
●起<アウトラインの提示>
・9章からローマの後半に入っていきます。このチャートでいくと、この部分ですね
(チャート出す)。
・今までは、神の義認の全容解明や救い、その結果としてどういうことになるかを学んできました。いわば、今までがローマ書の前半ともいえるでしょう。ローマ前半のハイライトはこれだと思います。
「こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、
あなたを開放したからです」(ローマ8:1~2)
・キリスト・イエスにある私たちが、罪に定められることは決してありません。
・さて、ここまで神の義認、というテーマで救いの仕組みや、その結果が説明されてきましたが、そもそもローマ書の読み手は誰だったでしょうか。
・読んでいる人たちは、イスラエル人もいれば外国人もいましたが、みな、旧約聖書の知識が一定程度あったと考えられます。パウロも、旧約の土台の上で話しています。
・そうなると、イエスを信じる人が救われるのであれば、「では、イスラエルはどうなった?」という当然の疑問が出てきます。イスラエル人にとっては、神様が選んだのはイスラエル人であり、契約や律法というものは、彼らにとってとても大事なものだったからで
す。
・「アブラハムから始まった、イスラエル人への契約はなくなってしまったのか?」という疑問に応えていくのが、この9章から始まる部分です。
・今日は、前半がイスラエルについて。後半が、神の選びについて書かれています。順番にそれを見ていきましょう。

●承<イスラエルについて>
・イスラエルについて、どういうイメージがありますか?
・パウロはめっちゃイスラエル愛してました。「__________キリストにあって真実を言う」とか、
「偽りも言わない」、「良心も聖霊によってあかししている」とか、これから言うことはマジでマジでマジなんですよっていってる感じです。
・2節では、「私には大きな悲しみがあり」、「心には絶えず痛みがある」と、イスラエルへの思いを強調しています。
・3節には、「自分がキリストから引き離されて、呪われてもいい」と言うほどです。日本語では、「目に入れても痛くない」とか、「ウソついたら針千本飲ます」とかいう表現はありますが、パウロにとって、キリストから引き離されることはそれ以上でしょう。
・だって、8章を思い出して下さい。38節から見て下さい。「死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません」と書いてあるんです。でも、その後すぐに、「キリストから引き離されてもいい」と言っています。パウロは、イスラエルはそのくらい大切な存在だと言っているのです。
・みなさんは自分がここまでしてもいいくらい愛しているものはありますか? それほど強烈な思いが、イスラエルに対してあったのです。
・4節、ここには、イスラエルに与えられた「7つの特権」について書いてあります。順番に見ていきましょう。
1:相続(子とされること)→「イスラエルはわたしの子、わたしの初子である」(出4:22)→イスラエルは「神の初子」です。それは今も変わりません。初子があるということは、その弟、妹もいるということですが、それは後で話します。
2:栄光(シャカイナグローリー)→神の栄光です。つまりどういうことでしょうか。
・ここで、ちょっと今日は新しい試みをしようかと。みなさんにアンケートに答えていただきます。(※紙とペンを配る)
<★ランダムボックス制度アンケート実施!>電通式!

「神の栄光」と聞いて、思い出す聖書のシーンをひとつ書いて下さい。もし思い浮かばなかったら「神の栄光」とは何だと思うか、書いて下さい。2~3分で、どうぞ!
・・・いかがでしょうか。(2,3個紹介)。
さて、特に神の栄光が表された箇所を紹介します。
★モーセの幕屋(出40:34)「そのとき、雲は会見の天幕をおおい、主の栄光が幕屋に満ちた」→その栄光があまりにも素晴らしく、モーセたちは幕屋に入れませんでした。
また、モーセが神様と話した後、その栄光を受けて、「モーセのはだが光を放った」とも書いてありますね。
★他にも、「ソロモンの神殿」、「山上のイエスとエリヤとモーセ」や、エゼキエルが幻で見た「新しいエルサレム」も、神のとんでもない栄光に満ちていました。
・これらの神様の特別な栄光、多くの場合雲や光で表わされるこの栄光を、俗に「シャカイナグローリー」と呼びます。どこかで聞くかもしれないので覚えておくといいかもしれません。
・さて、この神の栄光について、少し個人的な話をしたいと思います。
(イスラエルでの森牧使との話。ザアカイの例え、時間があれば)
・「神の栄光」が表れるとき、一人の人が悔い改めます。一人の人の人生が変わります。
3000人が一度に救われます。あなたが想像するより、はるかに素晴らしい方法で、素晴らしいことが起こる。それが「神の栄光」です。この「神の栄光」、あなたの人生でも体験したいと、思いませんか?
3:契約→神様とアブラハムとの契約です。
「わたしは、この、わたしの契約をあなたと結ぶ。あなたは多くの国民の父となる」(創世記17:4)
・創世記の神とアブラムの契約が、全ての始まりです。神様の契約は、まだ生きています。
神様はこのアブラハムとの契約をまだ守っておられます。「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう」。ですから、アブラハムの子孫、イスラエルを祝福し、彼らのために祈ることは重要なのです。
・複数形なのは、他にも様々契約があるからです、「約束の地の契約」や、「モーセの律法の契約」、「ダビデとの契約」などなどです。

4:律法→律法はイスラエルを通して示されました。
・神様は、アブラハムと契約をし、その子孫であるモーセを通じて、イスラエルの民にご自身の生き方の基準を示されました。それが律法です。これは、あくまでも「当時の文化背景に合わせた、当時の人々への生き方の基準」であって、現代にそのまま当てはめるこ
とはできません。しかし、参考にはなるでしょう。
・イスラエルの人が、最も重要な律法として、誰でも暗唱できる一節があります。何だか分かりますか?
(ヘブライ語読む)実はこれです。
「聞きなさい、イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである。心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」(申命記6:4~5)
・イエス様が、一番大切だとしてあげられた律法です。そして、全ての律法を要約できる一文です。今の時代も、この律法は生きています。
5:礼拝→礼拝には規定があった。幕屋、祭り、いけにえなど。
・出エジプトの際に、幕屋や聖所の作り方、いけにえの捧げ方が、ものすごく詳細にかかれています。祭司の服装やお風呂の入り方まで決められていたんですよ!
・幕屋の設計には、それぞれきちんと象徴的な意味があり、福音への「伏線」となっているのですが、細かすぎるのでまた別の機会に学びたいと思います。
6:約束→神の国民となる約束です。複数形で書かれています。
・アブラハムに契約、モーセに律法が与えられ、そして今度はダビデに約束がされます。
「わたしは、あなたの息子の中から、あなたの世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。(中略)わたしは、彼をわたしの家とわたしの王国の中に、とこしえまでも立たせる。彼の王座は、とこしえまでも堅く立つ」(1歴代誌17:11~14)
・これは、近眼的にはソロモンに対しての祝福の約束ですが、もっと大きい目線では、ダビデの系図から出た、イエス様についての預言です。だって、ソロモンの王座はとこしえまでも堅く立っていませんから。ダビデも、「わたしにはるか先のことまで告げて下さいました」と、より長いスパンの約束ということを告白しています。
・ダビデへの約束というのは、実はメシアが出るよという約束でした。

★複数形なのは、イエス様は再臨するからです!
7:父祖たち→アブラハム、イサク、ヤコブの族長たち
「アブラハム、イサク、ヤコブの神、すなわち、私たちの父祖たちの神は、そのしもべイエスに栄光をお与えになりました」(使徒3:13)
・メシアであるキリスト。イエスの系図はダビデの系図。
・これはもう言わずもがなですね。イエスは肉としては、アダムからアブラハム、イサク、ヤコブを通り、そしてダビデの家系から生まれました。
・どうでしょう。パウロはこれらの7つの要素をあげて、イスラエルがいかに神様の計画の中で特別な存在か強調しています。
・しかし、今日、一番大切なのは次の箇所です。
●転<神の救いは行いではなく選びによる>
・しかし! この言葉は転換点です!
・現代文で習いましたよね? 魔法の言葉、「しかし」。これが出てくると、今まで話していた前提すべてがくつがえります。今までイスラエルの権利について話していましたが、そこで「しかし!」が入ります。その次に一番伝えたいことが入ります。何か。それは、
「神のみことばが無効になったわけではありません」
ということです。
・これは9章しか読んでいないと分かりづらいですが、ローマ全体で読むと。
★行いや生まれに関係なく、ただイエスを信じる信仰にのみよって救われる。と、書いてあるのに、元々はイスラエル人に7つの権利があった。
・ローマ前半の記述が正しいのなら、その元々の権利はどうなっちゃったの? という、当時の読み手として当然の疑問に答えているのです。それゆえの「しかし」なのです。
★★神様のイスラエルへの契約はムダではなく、それまでの「伏線」でした。
・信仰による救い、イエスの犠牲とイスラエルへの契約は両立可能なのである。これからそれを見ていきましょう。
▼アブラハムの例え
・アブラハムには、子どもがいませんでした。女奴隷ハガルによって、イシュマエルが生まれます。その後に、例の「契約」が結ばれます。契約が結ばれた後、アブラハムはサラとの間に子どもができると信じず、笑いましたが、御使いはこう答えました。

「いや、あなたの妻サラが、あなたに男の子を生むのだ。あなたはその子をイサクと名づけなさい。わたしは彼とわたしの契約を立て、それを彼の後の子孫のために永遠の契約とする」(創世記17:19)
「イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれるからだ」(創世記21:12)
・その後も、人間的には神様の契約が信じられないような記述があります。今日は読みませんが、ぜひ読んでほしいです。創世記22章。アブラハムがイサクを捧げなさいと言われて、一悶着あった後、アブラハムはイサクと別れ、別々に帰ります。「その後、アブラ
ハムに次のことが伝えられた」とそのあとわざわざ書いてあります。何が伝えられたか。
アブラハムの兄弟ナホルにたくさんの子どもが生まれたよ~というニュースでした。
・アブラハムは、与えられた子どもと気まずい関係になってしまった上に、兄弟にたくさんの子どもがいるという状況を聞き、どう思ったでしょうか。がっかりしたことでしょう。
しかし、聖書にはこう書いてあります。「アブラハムは信じた。それが彼の義と認められた」。
▼ヤコブとエサウのたとえ
・さて、次のたとえがもっと重要です。
「子どもたちが彼女の腹の中でぶつかり会うようになったとき、彼女は、『こんなことでは、いったいどうなるのでしょう。私は』と言った。そして主のみこころを求めに行った。
すると主は彼女に仰せられた。『二つの国があなたの胎内にあり、二つの国民があなたから別れ出る。一つの国民は他の国民より強く、兄が弟に仕える』」(創世記25:22~23)
・ここでいう兄はエサウで、弟はヤコブでした。
・★生まれる前に、ヤコブが神様によって選ばれていたのです。
・ここで、今日最後のアンケートです!
<★なぜエサウは選ばれなかったのか?アンケート実施>
(2~3分、2,3個紹介)。
●結
・はい。いよいよ、今日のメッセージの最後のポイントです。
・色々な意見がありましたが、応えはシンプルです。
★エサウとヤコブは、エサウが悪かったからヤコブが選ばれたのではなく。

★神の選びによってヤコブが選ばれた。
「主があなたがたを恋い慕って、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの民よりも数が多かったからではない。事実、あなたがたは、すべての国々の民のうちで最も数が少なかった。しかし、主があなたがたを愛されたから、また、あなたがたの先祖たちに誓わ
れた誓いを守られたから、主は力強い御手をもってあなたがたを連れ出した」(申命記7:7~8)
★行いによらず、神の選びによって一方的に救うという、神の計画を強調するために、弟のヤコブが選ばれたのである。これは、イエス様の「伏線」です。
★神様の旧約のアブラハム、イスラエルに対する約束は無になったのではなく、後のイエスの恵みによって救われるということの伏線であり、今の時代も生きている契約なのです。
・次のメッセージの箇所のフライングですが、「したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです」(ローマ9:16)
→私達は、普段行いによる救いではないと知りながらも、どこか「クリスチャンらしさ」を自分にもとめていませんか? また、それを兄弟姉妹にもとめていませんか?
→「地の塩、世の光」であることは大切です。しかし、その尺度は人間的な「いい人」の尺度でしょうか?
→「選びによる」事を覚えて、まず主に感謝しましょう。そして、「約束の保証」として与えられている  聖霊様によって、ますますイエスに似たものとされいきましょう。また、イスラエルのために、祈りましょう。
・最後に、みことばを3つ読みます。
「というのは、世界の相続人となるという約束が、アブラハムに、あるいはまた、その子孫に与えられたのは、律法によってではなく、信仰の義によったからです」(ローマ4:13)
「そのようなわけで、世界の相続人となることは、信仰によるのです。それは、恵みによるためであり、こうして約束はすべての子孫に、すなわち、律法を持っている人々にだけでなく、アブラハムの信仰にならう人々にも保証されるためなのです。『わたしは、あな
たをあらゆる国の人々の父とした』と書いてあるとおりに、アブラハムは私たちすべての者の父なのです」(ローマ4:16)

・アブラハムに与えられた契約、モーセの律法、そしてダビデへの約束は、イエス様によって成就し、完成しました。私たちは、彼らの「伏線」を通して、イエス様を知り、その救いを受け取っています。
・最後に一緒に読みましょう。
「あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。主は、地の面のすべての国々の民のうちから、あなたを選んでご自分の宝の民とされた」(申命記14:2)
・私達は、「宝の民」として神様に選ばれています。

(以上)