2026-07-26 / 最終更新日時 : 2026-07-20 crossroads キリスト教は初めてという人のために 祈りについて改めて考えてみる──罪と救いの理解が変わると、祈りの意味も変わる これまでの記事で、 聖書の「罪」と「救い」の本来の意味を見てきました。 罪=悪い行いではなく、神との関係の断絶 裁き=神の怒りではなく、壊れた状態の当然の結果 救い=罰の免除ではなく、神との関係の回復 神の国=死後の場所 […]
2026-07-26 / 最終更新日時 : 2026-07-26 crossroads メッセージ 申命記4:9-10(4:1-49) 申命記3 『神の言葉を忘れないために』 2026/7/25 けんたろ 申命記4:9-10(4:1-49) 4:9 ただ、あなたはよく気をつけ、十分に用心し、あなたが自分の目で見たことを忘れず、一生の間それらがあなたの心から離れることのないようにしなさい。そしてそれらを、あなたの子どもや孫た […]
2026-07-26 / 最終更新日時 : 2026-04-29 crossroads 聖書通読 206日目 イザヤ書37~39章・詩篇76篇:ヒゼキヤの祈りと奇跡の救い、病からの回復、そして誇りへの警告 イザヤ37章:ヒゼキヤの祈り ― 主がアッシリヤを打ち破る 36章でアッシリヤの脅威が迫る中、 37章は 信仰の逆転劇 が描かれる章です。 ヒゼキヤの応答 衣を裂き、荒布をまとい、主の宮に入る イザヤに助けを求める ラブ […]
2026-07-25 / 最終更新日時 : 2026-07-20 crossroads キリスト教は初めてという人のために 救いについてもう一度考える――救いとは“天国行くこと”ではない 前回の記事では、 聖書の「罪」という言葉が日本語のイメージと大きく異なることを見つめました。 日本語の「罪」は 「悪いことをした」「道徳的に間違った行為をした」という意味を強く持ちます。 すると罪の結果として、「罰」とい […]
2026-07-25 / 最終更新日時 : 2026-04-29 crossroads 聖書通読 205日目 イザヤ書35~36章:荒野の回復と救いの道、アッシリヤの脅威と信仰の試練 35章:荒野が花咲く ― 回復と救いの約束 35章は、イザヤ書の中でも特に美しい「回復のビジョン」が描かれる章です。 裁きの預言が続いた後に突然現れる、希望の光 のような章です。 荒野が花咲く 荒野と砂漠が喜び、花が咲き […]
2026-07-25 / 最終更新日時 : 2026-07-25 Tomo 礼拝案内 2026年7月26日の礼拝案内 * 聖餐式と愛餐会があります。 Zoomで参加の方はパンとぶどうジュースを。 会堂に来られる方は皆で分け合える一品をご持参いただけたら嬉しいです。 (なくても参加お待ちしております) ※ 9/3に映画「ボン […]
2026-07-24 / 最終更新日時 : 2026-04-29 crossroads 聖書通読 204日目 イザヤ書31~34章:エジプトへの依存の警告、王の統治による回復、諸国への裁きと救いの希望 31章:エジプトに頼る者への「わざわい」 ― 真の助けは主のみ ユダの民はアッシリヤの脅威に怯え、 強大な軍事力を持つエジプトに助けを求めようとしました。 しかし神さまは言われます。 「エジプトに下る者にわざわい」 エジ […]
2026-07-23 / 最終更新日時 : 2026-07-18 crossroads キリスト教は初めてという人のために 罪についてもう一度考える――99%の人が誤解している罪の正体 日本語で「罪」と聞くと、 「悪いことをした」「道徳的に間違った行為をした」というイメージが強くあります。 しかし── 聖書が語る「罪」とは、これらの日本語のイメージとはまったく違う概念です。 むしろ、 日本語の「罪」と […]
2026-07-23 / 最終更新日時 : 2026-04-29 crossroads 聖書通読 203日目 イザヤ書28~30章:指導者への警告、偽りの頼りと真の救い、そして回復の約束 28章:エフライムとエルサレムへの「わざわい」 ― 傲慢と霊的鈍さ 28章は、北イスラエル(エフライム)と南ユダ(エルサレム)の指導者への厳しい警告から始まります。 エフライムの傲慢 酔いしれた指導者たち 真理を聞こうと […]
2026-07-22 / 最終更新日時 : 2026-07-18 crossroads キリスト教は初めてという人のために 信仰について考える 第7回:信仰の成熟──イエスにとどまり、いのちの実を結ぶ 1. 導入──信仰は「始まり」だけでなく「育ち続ける」関係である ここまでのシリーズで、 信仰の始まりを丁寧に見つめてきました。 信仰は“信じる努力”ではなく、神のいのちの流れに身を置くこと 信仰は“宗教的信心”ではなく […]