マタイ5:13-20 『地の塩、世の光として生きるー愛による律法の完成-』 2026/06/14 小西孝蔵
(初めに)先週、小学校の同窓会にでた。いつもの話題は、病気と趣味・旅行の話が中心。今回は、友人の一人が長崎五島列島福江島の隠れキリシタンの末裔で現在も信仰を持ち続けていることを知る。小さいころ後ろめたい気持ちでいたが、今は、世界遺産という評価の中で、晴れてルーツの旅辿ることができたことをシェアしてくれた。彼の話を聞いて、迫害の歴史に信仰を守り、後世に伝承してきた先人たちの姿に、地の塩としての存在とそこに現わされた神の栄光を見る想いがする。
1.山上の垂訓の背景
- 山上の垂訓の場所は、ガリラヤ湖のほとり、鳥のさえずる緑の丘。今から30数年前、家族旅行で訪問した印象深い場所。モーセによる律法の荒野とは対照的、キリストによる福音の祝福を象徴するような自然のたたずまいを感じた。
- 前回の箇所は、八福。前半は、神様との関係、後半は人との関係を現わす。即ち、「主に聞き、主に従う」、「御心を求め、御心を行う」、「信仰と実践」、「To beとTo do」など、二つの真理にまとめることもできる。この八福に於いて、山上の垂訓は、山上の福音であることが分かる。(前回要約参照)
本日のタイトル「地の塩と世の光」は、山上の垂訓の中でキリスト者の生き方を現わす有名な箇所。ミッションスクールの建学理念にもなっている。サブタイトル「愛は、律法を完成する」とともに、山上の垂訓のまとめの箇所にもなっている。
2. 地の塩と世の光
マタイ5章「13あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。」
- イエスの例えは、具体的な身近なものをたとえに利用。塩は、パレスティナは岩塩の大産地。①腐敗を防ぐ、②食物に溶け込んでいる、③生きるのに不可欠な存在であること。塩分の取りすぎはいけないが(日本人は平均摂取量7~8gでいいところを2割オ-バー)、不足すると、熱中症、けいれんや命にかかわることも。
- 塩は、社会の腐敗を防ぐ役割を果たす。企業の不正事件で、不正を改め、新体制に変えるときにクリスチャンが新しいリーダーに登用されることが多い。ただし、塩が効きすぎると排除されることもあるので、愛が伴わないとバランスを失する。
- 「地の塩」は、家庭において、社会や職場に於いて、そこに溶け込みながら神様から与えられた使命や責任を果たすことでもある。イエスは弟子たちにこう言われた。「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。」(マタイ16章24~25節)主に従う時に自分自身が負うべき十字架が与えられる。キリストの十字架を仰ぎつつ、キリストの痛みを共に担う。
- 「地の塩」としての生き方を若い人たちに語っているのが、内村鑑三の「後世への最大遺物」。この本は、岩波文庫不朽のベストセラー。私がお手伝いしている登戸学寮では、学生の入寮時にこの本の感想文を書くことが勧められる。そこで取り上げられる「勇ましい高尚なる生涯」とは、神の目から見て高価で貴い生き方であり、神から与えられた賜物を生かして、神と人とに仕える真面目な人生である。内村鑑三の「後世への最大遺物」は、アフガンで灌漑による農業開発を行った中村哲さんの愛読書でもあり、荒川放水路を開設した青山士(あきら)の愛読書でもあった。
マタイ5章「14あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。 15また、あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない。・・・ 16そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」
- 山上の町とは、ガリラヤ湖の北西に位置するサフェドという山上の町と言われている。ガリラヤ湖畔からよく見えて隠れることができないそうだ。
- 世の光は、自分の光を放つことではなく、キリストの光を反射すること。私たちが自分で光るのではなく、キリストの光を反射させる。イエスは、こう言われた、「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」。(ヨハネ8章12節)バッハは作曲を神の栄光のために捧げた。バッハの楽譜に書き込まれたSDGは、〝Soli Deo Gloria“(神の栄光のみ)。
3.キリストの愛による律法の完成
マタイ5章「17わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。 18よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされる」。
- 律法は、もともと神の律法で良きもの。神の律法によって罪の自覚が生じ、神に立ち帰らせて下さる。「地の塩、世の光」として生きることは、神の律法を実践することでもある。しかし、神様から離れ、自分の力で律法を守ろうとする「律法主義」が問題。律法主義は、実質よりの形式にこだわる、自分の見栄を張り、自己を神の座に置いて人を裁くというパリサイ主義でもある。
- 律法主義のもう一つの問題は、自分の仕事を自分の力に頼って行うことによって、思い煩うことになること。それが重荷になってやがて疲れてくる。私にとって、いまだに抜けきれない習性だが、長女から、自分も似ているところがあると言われる。性格的には、楽天家でいられる家内に似ないで、私に似てしまったとすれば、申し訳ない(笑い)。重荷を共に負ってくださる主に委ね、主の導きによって使命・責任を果たすようにすれば、思い煩わなくて済むといつも自分に言い聞かせている。箴言16章3節「汝のなすべきことを主に委ねよ、そうすれば、あなた方のはかりごとは必ず成る。」
- モーセの律法に象徴される旧約の律法は、守られなければ裁かれるという石に刻まれた律法である。キリストの贖いと復活により、モーセの律法は、心に刻まれた生きた律法に変えられた。エレミヤが預言した新しい契約は、キリストの十字架と復活によって実現した。「わたしは、私の律法を彼らのうちに置き、その心にしるす。私は彼らの神となり、彼らは私の民となると主は言われる。」(エレミヤ31章33節)
- 360以上もあると言われるモーセ律法の中で何が最も大切なのか、律法学者がイエスに問うた。答えは単純明快。「心を尽くして神を愛することと、己のごとく隣人を愛すること」(マタイ22章36~38節)の二つ、さらに一言でいえば、「神が私たちを愛して下さるように、私たちも互いに愛し合うこと」(ヨハネ15章12節)に尽きる。
- 神様の愛、字架によるキリストの愛こそが律法を完成するということが今日の結論。私たちがなすべきことは、そのキリストの愛を受け入れ、主と共に御心を行うことに尽きる。神の愛を受けているから、人を愛することができる。キリストが十字架に於いて私たちの身代わりとなって罪を赦し、永遠のいのちを下さった。その無償の愛に動かされて、私たちは、愛を実践することができる。
ローマ人への手紙13章8互に愛し合うことの外は、何人にも借りがあってはならない。人を愛する者は、律法を全うするのである。 9「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」など、そのほかに、どんな戒めがあっても、結局「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」というこの言葉に帰する。」
- 今進行中の朝ドラ「風薫る」の主人公大関和さんは、日本の近代看護の先駆者と言われた看護師。彼女は、クリスチャンの津田梅子、大山捨松らとともに、明治の鳴館時代に欧米での留学から帰国し、日本の女子教育、看護、福祉の土台を作った。
- 彼らの仲間に、日本の知的障碍者の母となった石井筆子女史がいた。山田火砂子監督により映画化、NHKの特集番組で織り上げられた。大山巌の妻、日本赤十字社の創設にもかかわった大山捨松とも親交があった。石井筆子は、米国留学を終え、同郷のエリート官僚(小鹿島果)と結婚したが、生まれてきた3人の娘は、いずれも知的障害ないし病弱。そのうえ、すぐに夫を亡くし、絶望のどん底でキリスト信仰を得て救われた。その後、滝乃川学園で知的障害者のために働き、再婚した学園長の石井亮の死後も学園長を継いでその重責を担った。彼女の見返りを求めない介護の心は、キリストの愛から与えられたものであることを証ししている。
マタイ25章40節「すると、王は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』。
- 私たちも、目の前に看護や介護を必要としている親や配偶者がいる。私の母からは、」自宅で介護し続けるのを期待されていたが、現実問題として、難しい。施設で暮らす方が安全で快適。私たちに代わって、施設や病院で介護、看護して下さるスタッフさんに心から感謝したい。彼らは、クリスチャンでなくても神様から助け手として遣わされ、神様から注がれた愛をもって接して頂いていると信じて感謝している。
- 最後に、本日のまとめとして、①キリストがその愛によって律法を完成して下さったこと、②キリストが私たちを愛してくださったように、私たちも互いに愛し合うこと、③キリストの愛に動かされるとき、自分の努力や義務感からではなく、聖霊の助けにより、誰かのために行動しようという気持ちにさせられる。このことをパウロが具体的に教えてくれる箇所を紹介して終わります。
コロサイ3章「12だから、あなたがたは、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者であるから、あわれみの心、慈愛、謙そん、柔和、寛容を身に着けなさい。・・・。主もあなたがたをゆるして下さったのだから、そのように、あなたがたもゆるし合いなさい。 14これらいっさいのものの上に、愛を加えなさい。愛は、すべてを完全に結ぶ帯である。 15キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。・・・いつも感謝していなさい。」
(祈り)
