紀元1世紀の教会を訪れる(序文)

この短い物語は、西暦1世紀半ばの初期キリスト教の集会に参加したときの様子を描こうとしたものだ。舞台としてローマが選ばれたのは、当時の一般人の生活の詳細が他のどの国や街よりもよく分かっているからである。

教会のホストとしては、アキラとプリスカを選んだ。彼らはパウロと長いつながりを持っていたので、彼らの家での集まりは、おそらくパウロの手紙が示唆する路線に沿ったものになるだろうと考えたからである。

人物の描写は、できる限り何らかのデータに基づいて描くように努めた。
資料がない場合には推測するしかなかったが、自分勝手な解釈にならないように配慮している。

この研究で利用された資料は、聖書やローマ・ギリシャの他の文学資料、考古学や碑文の証拠から得られたものである。その多くは、パウロの「共同体」についての本格的な研究から導かれた。

「初期の家庭集会とその歴史的背景 (アンゼア, シドニー 1979) 」は、オーストラリアのシドニーにあるマッコーリー大学で数年にわたり執筆されている。
この冊子で紹介されている教会観の根底にある、聖書的な根拠を知りたい人は、そこで確認することができるはずだ。

残りの資料、特に1世紀のローマの生活に関連する資料については、南ドイツのチュービンゲン大学で休暇期間中に研究を行った。
キリスト教起源研究所が与えてくれた援助によって、この作業は簡単で楽しいものになった。

この記事の作成にあたり、多くの方々のご協力をいただいている。
チュービンゲンのクリスティール・ゲマインデのメンバー、特に スコット・バーチ― には、準備期間中お世話になった。

キャンベラのリズとピーター・ユイルには校正を読んでもらい、キャンベラのクリーヴとルース・モンティ、シドニーのジャム・ロルフとハンフリー・ババッジには、付随する討論用の質問を作成してもらい、最後にシドニーのヘキサゴン・プレスのケン・ロルフには最初の励ましと親切なコメントと編集の労をとってもらった。

 

この文章を書くにあたって私が願うのは、たとえその内容が不十分であったとしても、クリスチャンがここに、かつて教会がそうであったように、そして今もそうありうるように、何かを垣間見ることができれば、ということだけである。

20世紀の間に、私たちは大切なものを失ってしまった。
歴史を遡って、初期のキリスト教徒が行ったことをそっくり真似ることはできなくても、彼らの集まりの本質的な特徴を、20世紀に相応しい方法で表現することはできる。
そのためには、私たちの今のやり方を大きく変える必要があるが、そこから得られるものは計り知ることができない。

特に私は、教会をあきらめているクリスチャンや、クリスチャンではないが求めている人たちを念頭に置いている。
これらの人たちが、本書を通して求めているものをよりはっきりと知り、やがて私と同じように、週を追うごとにそれを見つけ出すことができるようになることを願っている。

これらのことがすでに現実となっている、多くのスモールグループの人々に、この小さな物語を捧げる。

第2版のための序文

この小さな冊子が再販されるのは喜ばしいことである。
この4年間、神学と非神学、聖職者と信徒、大人と若者、信徒と教育など、さまざまな文脈でこの教材が使われているのを観察してきた。
いずれも、その場にいる人にふさわしいレベルの議論が展開されていたと思う。

また、ドラマチックに演出されたものもあり、これも大きな成功を収めている。
その結果、初期キリスト教の礼拝と私たちの礼拝の違いを、明らかに感じ取ることができるようになり、より多くの釈義や解説ができるようになっている。
私たちは、キリスト者のコミュニケーションにおいて、イエスが語られてきたことを、あまり実践してこなかったのだ。

この物語を読み直すと、文学的にはいかに不十分だったかがよくわかる。
最初にこのアイデアを思いついた時、私は、私より優れた人が、私が集めたデータを使って、それを書き上げてくれることを期待していた。
この物語に、神学的な不備を見出す人がいることも解っている。

例えば、部外者が聖餐に参加することに関しては議論の余地があるだろうが、誰かが集会に参加したとき、もてなしのルールに違反し、信仰を告白する可能性を否定して、その人物を排除することは、私には到底考えることができない。(1コリント14:16、24-25)

過越祭の前例からして、子どもの同席に関しては疑いようがない。
また、聖餐が比較的にカジュアルであることを疑問視する声もあるようだ。
おそらく、イエスの言葉がコリント人への手紙第11章などでも繰り返し引用されているからだろうが、福音書に色々なバージョンがあることを考えても、それが本当に重要なことであるかどうかは何とも言えない。

これももしかするとだが、集会は一般的にはもっと形式的なものだった可能性もないとは言い切れない。
ただし、使徒言行録20章にあるトロアスでの集会の記述からは想像もつかないことではあるが。

ヘキサゴンプレスのケン・ロルフの協力による新しい形式の本は、ストーリーをより充実させ、これまで同様、ジュディ・クリンガンのエレガントなイラストは本文に生命を吹き込んでくれている。

ロバート・バンクス