ローマ11:25-36 『ローマ32 ONE NEW MAN』 小林拓馬 2018/02/25

【メッセージ:ONE NEW MAN・ローマ11章25~36節】
▼FOOK
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▼起
・2人の人が1人となった。悟空とベジータがそうなったように、聖書にもそういう話が書いてあります。今日はそのお話です。
・聖書には、「やわらかい食べ物」と「固い食べ物」がある。今日は固い食べ物のお話です。
・でも、良薬口に苦し。素晴らしいメッセージが今日の箇所に隠されています。
・私もテレビの仕事をしていますから、「難しいことを、分かりやすく伝える」がモットーです。ご安心してください。それでは参りましょう。

▼ポイント1(25~27節):「異邦人が先、イスラエルが後」
・今日の話は奥義。英語の翻訳「ESV」で、ここのタイトルは「神のミステリー」です。
一見不思議なことが書いてあります。
・それは何か。25節。

25:兄弟たち。あなたがたが自分を知恵のある者と考えないようにするために、この奥義を知らずにいてほしくはありません。イスラエル人の一部が頑なになったのは異邦人の満ちる時が来るまでであり
26:こうして、イスラエルはみな救われるのです。「救い出す者がシオンから現れ、ヤコブから不敬虔を除き去る。これこそ、彼らと結ぶわたしの契約、すなわち、わたしが彼らの罪を取り除く時である」と書いてあるとおりです。

・「自分を知恵のある者と考えないようにするため」とわざわざ書いてあります。この当時の人々にとっても驚きの神の計画が書かれています。

・では、その「奥義」とは何か。
1:イスラエル人の一部が頑なになった。それによって異邦人に救いが来た。
2:イスラエル人が頑なになったのは、異邦人の満ちる時が来るまでである。
3:こうして、イスラエルはみな救われる。
・この箇所からは、いくつか誤解されているところがあります。

誤解1:イスラエルは全て頑なになった。
誤解2:ゆえにイスラエルは神に見放された。
誤解3:神の計画は「クリスチャン・教会」に移った

・誤解1は、「イスラエルの一部が」という部分で分かる。そもそも、12弟子から始まり、パウロやバルナバなど、福音を伝えたのはユダヤ人クリスチャンであった。先週のデイビッドさんのメッセージにもあったが、イスラエルにも、イエスをメシアと信じている人は
一定数いる。少ないが。日本のクリスチャンと同じくらい。イスラエルの国家的救いが実現していないのは、まだその時が来ていないからである。

・誤解2は、明らかな間違いである。にも関わらず、「キリスト教」の常識となっている。
宗教改革を実現したルターでさえ、ユダヤ人を民族的に差別する発言をしている。しかし、「こうしてイスラエルはみな救われる」のである。実現していないのは、「異邦人の満ちる時」がまだ来ていないからである。

・誤解3は、この後の箇所をよく理解していないために起こる誤解だ。この誤解をしたまま聖書を読むと、「イスラエル」を「クリスチャン」と無意識に読み替えて聖書を読んでしまう。旧約のイスラエルに対する預言を全て自分事として読んでしまう。そのために、よく理解できない箇所が出て来る。ローマではハッキリ、イスラエルと異邦人を区別してかいてある。

▼誤解が解けたところで・・・
★異邦人の満ちる時とは何か。
クエスチョン Q:どういう意味だと思いますか? 何人救われたら満ちる時なのでしょうか?(紙に書いてもらう)

・いろんな意見があると思います。何人救われたら「異邦人の満ちる時」なのか、正直僕も分かりません。聖書翻訳のミニストリーをしている人たちの中には、「福音が全ての言語で伝えられたら」と考える人もいるでしょう。

・「満ちる」とは、ギリシャ語で「プレイロマ」。
→船に人がいっぱい乗っているイメージ。満ち満ちとした状態。
→「プレイロマ」は、古い布切れを継当ててするたとえの場面でも使われている単語。「つぎあて」。直訳は「欠けを満たすもの」です。

・新共同訳では、「異邦人全体が救いに達するまで」

・口語訳では、「異邦人が全部救われるに至る時」

・素直にみことばを受け取れば、「異邦人が全員救われたら」終わりです。でも、冷静に考えて、地球上全ての人がイエス様を信じるとは限らないですよね。しかし、「神にはどんなことでもできる」とイエスは言っています。

・私は、神様の救いの計画は、人間が想像できるものよりも、もっと素晴らしいことだと信じます。だからこそ「奥義」なのです。私達は、ただ、神様の計画の素晴らしさに期待しつつ、地道に目の前の1人から福音を伝えていこうではありませんか。

★ローマ10:14~15
14:しかし、信じたことのない方を、どのようにして呼び求めるのでしょうか。聞いたことのない方を、どのようにして信じるのでしょうか。宣べ伝える人がいなければ、どのようにして聞くのでしょうか。
15:遣わされることがなければ、どのようにして宣べ伝えるのでしょうか。「なんと美しいことか、良い知らせを伝える人たちの足は」と書いてあるようにです。

▼こうしてイスラエルはみな救われるとは何か。→イザヤ59章の預言。

イザヤ59:15:主はこれを見て、公正がないことに心を痛められた。
16:主は人がいないのを見て、とりなす者がいないことに唖然とされた。それで、ご自
分の御腕で救いをもたらし、ご自分の義を支えとされた。
(中略)
19:そうして、西の方では主の御名が、日の昇る方では主の栄光が恐れられる。それは、
主が激しい流れのように来られ、その中で主の息が吹きまくっているからだ。
20:「しかし、シオンには贖い主として来る。ヤコブの中の、背きから立ち返る者のとこ
ろに。―主のことば」
21:「これは、彼らと結ぶわたしの契約であるー主は言われるー。あなたの上にあるわた
しの霊、わたしがあなたの口に置いたわたしのことばは、あなたの口からも、あなたの子
孫の口からも、子孫の子孫の口からも、今よりもとこしえに離れないー主は言われる」

・主は人を救おうとされた。
・西の方でも、日の昇る方でも、すなわち東の方でも、全世界で主の御名が褒め称えられ、主の栄光が恐れられます。日本はどんな国ですか? 「日の出ずる国」。本来主の民ではない異邦人が、「主の息」、すなわち主の霊によって主を恐れるようになります。異邦人の救
いがまず先ということが、イザヤの預言からも分かります。

・そして、シオン、すなわちイスラエルに贖いが来ます。はじめは背いたイスラエルの民、をも、神は救おうとされています。

・なぜなら、前回私がメッセージした箇所で学んだように、神様がアブラアム、イサク、ヤコブと結んだ「契約」は「変わりがない」からです。

・神様は、イスラエルの民族的・国家的な救いを約束しています。1948年に、イスラエルは国家として奇跡的な復活を遂げました。何度も攻め込まれても、イスラエルは復活しました。しかし、霊的な復活はまだ来ていません。私達は、イスラエルの救いを祈る必
要があります。

・しかし、忘れてはならないのは順番です。まず「異邦人の時が満ち」、「こうしてイスラエルはみな救われる」のです。異邦人である私達は、まず目の前の1人の異邦人に福音を伝えようじゃありませんか。

▼ポイント2(28~29節): ★イスラエルは捨てられていない。

28:彼らは、福音に関して言えば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者ですが、選びに関して言えば、父祖たちのゆえに、神に愛されている者です。
29:神の賜物と召命は、取り消されることがないからです。

・さっきも言った通り、神の契約は変わりません。イスラエルの民は、神が送ったメシア、イエスを「まだ」信じていません。しかし、彼らは神によって選ばれている民です。アブラアム、イサク、ヤコブの子孫なのです。神の選びの民なのです。

・29説は、よく神様から召しを受け取った人が、辛いことがあったときに「自分への召命は変わらない」と励ましを受ける箇所です。もちろん、神の召命を感じ、辛い時に神の計画は変わらないと信じてまた歩み出すことは大切です。しかし、ここは文脈を見れば、「イスラエルを選んだ神の選びは変わらない」という意味なのです。

・ヘブル4章は非常におもしろい箇所です。神の安息について書いてある箇所です。
一部抜粋。

1:こういうわけで、私たちは恐れる心を持とうではありませんか。神の安息に入るための約束がまだ残っているのに、あなたがたのうちのだれかが、そこに入れなかったということのないようにしましょう。
3:もっとも、世界の基が据えられたときから、みわざはすでに成し遂げられています。
4:なぜなら、神は第七日について、あるところで「そして神は、第七日に、すべてのわざを終えて休まれた」と言われ・・・
7:神は再び、ある日を「今日」と定め、長い年月の後、前に言われたのと同じように、ダビデを通して、「今日、もし御声を聞くなら、あなたがたの心を頑なにしてはならない」と語られたのです。
8」もしヨシュアが彼らに安息を与えたのであれば、神はその後に別の日のことを離されることはなかったでしょう。
9:したがって、安息日の休みは、神の民のためにまだ残されています。

・以下のことが分かります。
・神様は創造の七日目に休まれた。
・その七日目の休みは、「今日」も継続している。今も毎日が安息日なのである。
・神の民、すなわちイスラエルには、まだ神の安息に入る余地が残されているのです。
・神の底知れない計画は、いまだ実行の途中。しかし、私達は恐れることはありません。

ヘブル4:10:神の安息に入る人は、神がご自分のわざを休まれたように、自分のわざを休むのです。

・私達は、既にイエスを通して安息を得ています。自分の力でなんとかしようとする必要はないのです。

▼ポイント3(30~32節):★なぜイスラエルは反抗したのか。私たちのためである。

30:あなたがたは、かつては神に不従順でしたが、今は彼らの不従順のゆえに、あわれみを受けています。
31:それと同じように、彼らも今は、あなたがたの受けたあわれみのゆえに不従順になっていますが、それは、彼ら自身も今あわれみを受けるためです。
32:神は、すべての人を不従順のうちに閉じ込めましたが、それはすべての人をあわれむためだったのです。

・イスラエルの民が頑なになったのは、私達、異邦人にまで救いが及ぶためであった。
・イスラエルが逆らわなければ、私達は救いに預かることすらできなかった。
・しかし、神の計画は、既に旧約聖書の時代がら、異邦人、イスラエル人両方の救いだった。イエスを見たシメオンは、イザヤの預言を引用してこう言った。
私の目があなたの御救いを見たからです。あなたが万民の前に備えられた救いを。異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの栄光を。(ルカ2:30~32)

・先週の箇所でオリーブの木の話が出てきました。
・私たちは異邦人で、接ぎ木された枝です。
・イスラエルが本来栽培された枝。
・接ぎ木されるために、一旦本来の枝が折れる必要性があった。
・実際のオリーブの木の写真を見てみて下さい。
・オリーブの木は、枝が広がっていくのではなく、★接ぎ木で幹が太くなり、1本の木になっていく・・・。→ONE NEW MAN
・接ぎ木したオリーブの木は、病気にも強く、より多くの実をつけるようになるのです。

★イスラエルが逆らったから、「じゃあこっちでいいや」ということで、異邦人の私達が選ばれたのではなく、最初から全てを救う神様の計画だったのです!

・そして、エペソには、イスラエルと異邦人がひとつになるという、もう一つの奥義が書いてあります。

★エペソ2:15~16・3:5~6
15:様々な規定から成る戒めの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、この二つをご自分において、新しい一人の人に造り上げて平和を実現し、
16:二つのものを一つのからだとして、十字架によって神と和解させ、敵意を十字架によって滅ぼされました。

★エペソ3:5~6
5:この奥義は、前の時代には、今のように人の子らに知らされていませんでしたが、今は御霊によって、キリストの聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されています。
6:それは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人も共同の相続人になり、ともに同じからだに連なって、ともに約束にあずかる者になるということです。

・このもう一つの奥義が今回のタイトル、ONE NEW MAN、「新しい一人の人」です。
・イスラエルと異邦人は、キリストにあってひとつになります。
・イエスにあって、「共同相続人」になるのです。
・アブラアム、イサク、ヤコブらを通して与えられた約束は、今や、この奥義によって、私達にも与えられている、救いの約束なのです!

▼結(33~36節):神の計画、その奥義は計り知れない

33:ああ、神の知恵と知識の富は、なんと深いことでしょう。神のさばきはなんと知り尽くしがたく、網の道はなんと極めがたいことでしょう。
34:「だれが主の心を知っているのですか。だれが主の助言者になったのですか。
35:だれがまず主に与え、主から報いを受けるのですか」
36:すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。

・今日は、神様の奥義は、いかに深いか。いかに素晴らしいかを学びました。
・異邦人が救われて、それからイスラエルがみな救われる。
・それは初めから神様の計画でした。
・神様の計画は、もっと深いものです。私達にそれを全て知ることはできません。
・しかし、私達は、神様の偉大な計画に期待しながら、一歩ずつ、福音を伝えていこうではありませんか!
(終わり)