ローマ16:1-16 『ローマ43 主にある同労者たち』 2018/05/20 松田健太郎牧師

ローマ人への手紙16:1~16
16:1 私たちの姉妹で、ケンクレアにある教会の奉仕者であるフィベをあなたがたに推薦します。
16:2 どうか、聖徒にふさわしく、主にあって彼女を歓迎し、あなたがたの助けが必要であれば、どんなことでも助けてあげて下さい。彼女は、多くの人々の支援者で、私自身の支援者でもあるのです。
16:3 キリスト・イエスにある私の同労者、プリスカとアキラによろしく伝えてください。
16:4 二人は、私のいのちを救うために自分のいのちを危険にさらしてくれました。彼らには、私だけでなく、異邦人のすべての教会も感謝しています。
16:5 また彼らの家の教会によろしく伝えてください。キリストに捧げられたアジアの初穂である、私の愛するエパネイトによろしく。
16:6 あなたがたのために非常に労苦したマリアによろしく。
16:7 私の同胞で、私とともに投獄されたアンドロニコとユニアによろしく。二人は使徒たちの間でよく知られており、また私より先にキリストにある者となりました。
16:8 主にあって私の愛するアンプリアトによろしく。
16:9 キリストにある私たちの同胞者ウルバノと、私の愛するスタキスによろしく。
16:10 キリストにあって認められているアペレによろしく。アリストブロの家の人々によろしく。
16:11 私の同胞へロディオンによろしく。ナルキソの家の主にある人々によろしく。
16:12 主にあって労苦している、トリファイナとトリフォサによろしく。主にあって非常に労苦した愛するペルシスによろしく。
16:13 主にあって選ばれた人ルフォスによろしく。また彼と私の母によろしく。
16:14 アシンクリト、フレゴン、ヘルメス、パトロバ、ヘルマス、および彼らとともにいる兄弟たちによろしく。
16:15 フィロロゴとユリア、ネレウスとその姉妹、またオリンパ、および彼らとともにいるすべての聖徒たちによろしく。
16:16 あなたがたは聖なる口づけをもって互いにあいさつを交わしなさい。すべてのキリストの教会が、あなたがたによろしくと言っています。

皆さんは、友達と話していて、なかなか電話を切ることができないという経験をしたことがありませんか?
もう要件は終わって、「それじゃあまたね~」と切ろうとするのですが、他のことを思い出して「あ、そう言えばさ…」と言って次の話が始まってしまう。
そうやって何回も別れの挨拶をしながら、話は続いて気がつけば長電話になっている。
特に女性には、そのような体験をしたことがある方が多いかもしれませんね。

先週読んだ15章の最後は、「どうか、平和の神が、あなたがたすべてとともにいてくださいますように。アーメン。(ローマ15:33)」と締めくくられていました。
パウロはそこで手紙を終えるつもりでいたのですが、その後に別のことを思い出して再び書き始めています。
パウロは、それだけ強い思いをローマの教会の人々に対して持っていたということでしょうね。

さて、そのようにして付け加えられた16章ですが、パウロはここでどのようなことを話しているでしょうか?
実はそのほとんどが、「〇〇によろしく」という挨拶のことばなのです。

今日の個所では、このような人たちの名前が出てきます。
フィベ、プリスカとアキラ、エパネイト、マリア、アンドロニコとユニア、アンプリアト、ウルバノ、スタキス、アペレ、アリストブロ、へロディオン、ナルキソの家の主、トリファイナとトリフォサ、ペルシス、ルフォス、アシンクリト、フレゴン、ヘルメス、パトロバ、ヘルマス、および彼らとともにいる兄弟たち、フィロロゴとユリア、ネレウスとその姉妹、またオリンパ、および彼らとともにいるすべての聖徒たち。
この後にもまだ続きますから、パウロは本当にたくさんの人たちに対して、挨拶のことばを宣べていたことがわかります。

さて、今日の個所はこの通りほとんど挨拶しかないようなところなのですが、ここからも私たちが学び取ることのできるメッセージがあります。
神様はこの個所を通して何を教えてくださるのでしょうか?

① 人々の支え
この個所から学び取ることができる第一のことは、本当にたくさんの人たちがパウロの働きに関わっていたということです。
パウロがたくさんの人たちに福音を伝えた、それもあるかもしれません。
でもそれ以上に思うのは、パウロがたくさんの人たちによって支えられていたということだと思うのです。

こうしてたくさん名前が記されている中で、私たちに知ることができるのはプリスカとアキラくらいですね。
彼らのことは使徒の働きの中で何度か出てきますが、パウロの働きを助けた夫婦でした。
彼らはもともとローマの出身でしたが、ローマのユダヤ人追放政策によってコリントに移り住んでいました。
そこでパウロと出会い、一緒に働きをするようになりました。
彼らはコリントで教会を生み出す手伝いをし、エペソの教会開拓に関わり、アポロという教師に聖霊のバプテスマについて教えたこともありました。
この手紙の中に名前があるということは、最終的にはローマに戻ることができたのでしょうね。
彼らは、特別な教育を受けたわけでも、エルサレムやアンテオケの教会から役職に任命されていたわけでもない普通の夫婦でした。
しかし、彼らの助けなしに、パウロがあれほどの働きをすることはできなかったでしょう。

そのような支え、同労者たちが、パウロにはたくさんいました。
キリストのからだとしての働きは、牧師や伝道者のような限られた人たちだけがするものではありません。
実際、牧師や伝道者だけで働きをすることなんてできないのです。
私たちクリスチャンはみんな繋がりを持って、互いに助け合い、祈り合うことができます。
それが、私たち教会という共同体に与えられている最大の強みでもあり、素晴らしいところなのではないでしょうか。

② 女性の働き
さて、今日の聖書個所から学び取ることができる第2のことは、女性の働き手の多さです。
このリストの真っ先に出てきたのは、フィベという女性の名前でした。
これは、彼女がこの手紙を受け取ってローマの教会に持って行ったからでしょうね。
とは言え、当時は男性優位の社会でしたから、こういう場面でたくさんの女性の名前が出てくることは特殊なことだったと思います。
パウロだけではなく、聖書にはたくさんの女性も登場しますね。
それぞれが神様に与えられた役割を果たして働きをしています。
キリストのからだとしての働きには、女性たちの助けも欠かすことができないのです。

もうひとつ面白いのは、先ほども出てきたプリスカとアキラのことです。
彼らは夫婦でしたが、プリスカが妻でアキラが夫です。
妻の方が先に書かれているのです。
他の夫婦は夫の名前が先に出てくるのに、彼らだけは妻のプリスカが先に書かれています。
これは想像でしかありませんが、おそらく妻のプリスカの方が主導的にこの働きをしていたからではないでしょうか。
あるいは、奥さんがおしゃべりで、旦那さんは寡黙な家庭だったのかもしれません。
理由はともあれ、多くの人たちにとっては、プリスカの方が印象的だったのでしょう。

現代日本の教会では、女性の方が圧倒的に多いですから、女性の活躍は必要不可欠ですね。
女性が自由に発言し、力を発揮できる場が、教会にも大切なのだと思います。

③ 聖なる口づけ
今日の聖書から学ぶことができる第3のことは、聖なる口づけをもって互いにあいさつをかわすことです。
そういうわけで今日から、私たちは握手ではなく聖なる口づけであいさつをしましょう!
…ということではもちろんありません。(笑)

ローマでは、家族のように親しい関係では、口づけをもってあいさつすることが普通の習慣だったのです。
大切なのは、私たちが口づけをするかどうかということではありません。
私たちの関係が、主にある家族としての親密になっていくことが大切なのです。

ユダヤ人クリスチャンと、異邦人クリスチャンとの間にギャップと、わだかまりがあったローマの教会にとって、聖なる口づけで互いにあいさつできるような親密な関係は、パウロから与えられた大きな宿題となったことでしょう。

私たちの間に、このような親密さはあるでしょうか?
私たちはもちろん口づけはしませんが、問題を一緒に乗り越えることができるような親密さがあったら、どれほどすばらしいことでしょうか。

さらにパウロは、そのすぐその後でこのように書いています。

16:16b すべてのキリストの教会が、あなたがたによろしくと言っています。

このような親密な関係は、ひとつの教会の中にとどまるべきことではありません。
世界中にある全ての教会が、キリストにあってひとつのからだであり、ひとつの家族です。
その中にはいろんな違いがあり、分かりあいにくい部分もあり、なかなか実感を伴って考えることができないことがあることも事実でしょう。
しかしそれでも、私たちは主にあってひとつです。
それぞれに課題や問題を抱えてはいますが、神様を愛する心においてひとつとなっていくことができるように、心から願わないではいられません。

祈りましょう。