ダニエル1:17-20 『神さまと一緒に世界に仕える2』 2019/02/10 松田健太郎牧師
ダニエル 1:17 神はこの四人の少年に、知識と、あらゆる文学を理解する力と、知恵を授けられた。ダニエルは、すべての幻と夢を解くことができた。
1:18 少年たちを召し入れるために王が命じておいた日数が終わったので、宦官の長は彼らをネブカドネツァルの前に連れて行った。
1:19 王が彼らと話してみると、すべての者の中でだれもダニエル、ハナンヤ、ミシャエル、アザルヤに並ぶ者はいなかった。そこで四人は王に仕えることになった。
1:20 王は、知恵と悟りに関わる事柄を彼らに尋ねたが、彼らがそのすべてにおいて、国中のどんな呪法師、呪文師よりも十倍もまさっていることが明らかになった。
前回のメッセージでは、ヨセフという人の人生を通して、私たちがどのようにして地の塩、世の光となってこの世界に仕えたらいいかということをお話ししました。
私たちが神さまと共に喜びの中で生き、賜物を活かし、神さまがやろうとしていることに参加するとき、神さまが私たちを通して働いてくださるということでしたね。
今日は、ヨセフと同じように、異邦人に仕えて影響を与えたダニエルという預言者を通して、この世界に仕えるということについて学んでいきたいと思います。
ダニエルが活躍したのは、ユダがバビロン帝国によって占領され、強制移住させられた時代です。
ダニエルもまた、この捕囚政策によって強制移住させられたひとりでしたが、「その身に何の欠陥もなく、容姿が良く、あらゆる知恵に秀で、知識に通じ、洞察力に富み、王の宮廷に仕えるにふさわしい」人物だったので、直接王に仕えることになりました。
神さまは、ダニエルをバビロン帝国という異邦人の国の王のもとに置き、仕えさせるという計画を持っていたのです。
私たち自身を初め、私たちを取り巻く環境はいつでも異邦人の文化であり、私たちは異教の文化の中で生きていますから、ダニエルから学ぶことができることは多いのではないかと思います。
①
さて、ダニエルが最初に仕えたネブカドネツァルは、傲慢を絵にかいたような王でした。
自分の胸像を作らせるようなタイプの経営者がいますが、ネブカドネツァルはまさにそういうタイプです。
ダニエルは、まさにこんな王様の元で働きました。
まぁ、彼らは無理やり連れてこられたので選択の余地はありませんでしたが、それでも忠実に働きをしたのです。
ある時、王が不思議な夢を見ました。
ヨセフの時にも似たようなことがありましたよね。
しかしネブカドネツァルが意地悪なのは、夢の内容を教えもせずに「解き明かしをしろ、できなければバビロンの知者を皆殺しにする」というんですね。
親衛隊長のアルヨクから相談を受けて、ダニエルは祈りました。
ダニエル 2:19 そのとき、夜の幻のうちにこの秘密がダニエルに明らかにされた。ダニエルは天の神をほめたたえた。
その後も、ネブカドネツァルは巨大な金の像を作って偶像崇拝をさせようとして、従わないダニエルと友人たちを、燃え盛る炉の中に投げ入れて焼き殺そうとします。
しかし神さまは彼らを守り、なんと炎の中でも生きていたという奇跡が起こりました。
そんな傲慢だったネブカドネツァルも、最後は神さまの裁きを受けて、気がふれて獣のようになり、その経験を通して最後には悔い改めるというのが、ダニエルとネブカドネツァルの話です。
皆さんは、権威的で、自己中心で、自分は神さまだとでも思っているような、ワンマン社長の下で働きたいと思いますか?
できれば、こういう人の元では働きたくないですが、残念ながらこういうタイプの上司や社長は、まだ現代にもいたりしますね。
そんな社長のビジョンを言い当て、さらにそれを上回るアイデアを提案したり、社長が脱税や不正を強要しようとするときに、それに背いて首になりそうなところを奇跡的に乗り越えるというようなことが、現代にもあるかもしれません。
そして最後には、暴君のような社長も痛い経験の中で悔い改めるというわけです。
もちろん、同じような体験をするとは限らないわけですが、私たちはクリスチャンサラリーマンとしてのあり方のようなものを、ダニエルから学ぶことができます。
あるいは、ひどい上司の元で働くことになった時に、私たちに何ができるかということを学び取ることができるかもしれません。
②
さて、私たちに必要なことは、第一に神さまに対して忠実であるということです。
いつでも、どんな時でも神さまに聞き、従うということ。
ここ数週間繰り返しお話ししていることですが、これが私たちクリスチャンにとっての基本姿勢となります。
私たちは、クリスチャンではない環境の中に入ってしまうと、その世界の価値観に飲み込まれて、神さまの御心とは違うことを目指してしまいます。
会社や上司に求められることは、いつでも収益を上げることとか、数字を出すということですし、私たちも目の前の仕事でいっぱいいっぱいになってしまいます。
でも、そんな中でこそ、私たちは神さまの導きを第一にする必要があります。
大体、私たちが会社の仕事を一生懸命にやるだけでは、他の社員がやることと何も変わりません。
でも例えば私たちが、神さまの導きに従って心からお客様を愛し、仕えていくとき、普通に仕事をしているのとは違う結果が起こってくるのです。
第二に、権力者に媚びないということです。
ダニエルは、いわば捕虜としてバビロン帝国に連れてこられたわけです。
本来なら、彼らが少しでも逆らえば殺されても文句は言えないという状況でした。
しかしダニエルは、誰に対しても媚びることがありませんでした。
彼は、自らの信仰を貫き、殺されそうになるような危機も何度も通りましたが、神さまが助けてくれました。
私たちは、会社や社長に仕えるけれど、それ以前に神さまに仕える者なのです。
第三に、それでも相手を愛するということです。
神さまに仕え権力に媚びないということは、会社の敵になるということではありません。
相手と戦ったり、滅ぼしたりすることは私たちがするべきことではありません。
必要であれば、そこで戦うのは神さまの仕事です。
神さまが私たちに求めているのは、いつでも愛し、仕えることだからです。
聖書はこのように教えています。
ローマ 12:21 悪に負けてはいけません。むしろ、善をもって悪に打ち勝ちなさい。
テトス 3:1 あなたは人々に注意を与えて、その人々が、支配者たちと権威者たちに服し、従い、すべての良いわざを進んでする者となるようにしなさい。
こうして、過酷な環境の中でも神さまに聞き従って働いていく中で、神さまは状況を変えていきます。
ネブカドネツァルが神さまの取り扱いを受けて、最後には悔い改めたように。
その後、ベルシャツァルの時代でバビロン帝国が滅ぼされ、ペルシア帝国が台頭してユダヤ人たちが解放されることになっていったように。
私たちは、どんな時でも神さまに信頼して、神さまの導きに従っていく必要があります。
私たちがクリスチャンでいるのは、教会のなかだけのことではありません。
あるいは、他のクリスチャンといるときだけが、クリスチャンの時間ではありません。
いつでも、どこでも神さまに従い、イエスさまとともに歩むこと、それが地の塩、世の光として生きることであり、クリスチャンの生き方なのです。
これからも、神さまと一緒にこの世界に仕えていきましょう。