ヨシュア記7:1-9 ⑧ 『信仰者の敗北』 2019/08/11 松田健太郎牧師

ヨシュア記 7:1-9
7:1 しかしイスラエルの子らは、聖絶のもののことで不信の罪を犯し、ユダ部族のゼラフの子ザブディの子であるカルミの子アカンが、聖絶のもののいくらかを取った。そこで、【主】の怒りはイスラエル人に向かって燃え上がった。
7:2 ヨシュアはエリコから人々をベテルの東、ベテ・アベンの近くにあるアイに遣わすとき、その人々に次のように言った。「上って行って、あの地を偵察して来なさい。」そこで、人々は上って行って、アイを偵察した。
7:3 彼らはヨシュアのもとに帰って来て言った。「民を全部行かせないでください。二、三千人ぐらいを上らせて、アイを打たせるといいでしょう。彼らはわずかなのですから、民を全部やって、骨折らせるようなことはしないでください。」
7:4 そこで、民のうち、およそ三千人がそこに上ったが、彼らはアイの人々の前から逃げた。
7:5 アイの人々は、彼らの中の約三十六人を打ち殺し、彼らを門の前からシェバリムまで追って、下り坂で彼らを打ったので、民の心がしなえ、水のようになった。
7:6 ヨシュアは着物を裂き、イスラエルの長老たちといっしょに、【主】の箱の前で、夕方まで地にひれ伏し、自分たちの頭にちりをかぶった。
7:7 ヨシュアは言った。「ああ、神、主よ。あなたはどうしてこの民にヨルダン川をあくまでも渡らせて、私たちをエモリ人の手に渡して、滅ぼそうとされるのですか。私たちは心を決めてヨルダン川の向こう側に居残ればよかったのです。
7:8 ああ、主よ。イスラエルが敵の前に背を見せた今となっては、何を申し上げることができましょう。
7:9 カナン人や、この地の住民がみな、これを聞いて、私たちを攻め囲み、私たちの名を地から断ってしまうでしょう。あなたは、あなたの大いなる御名のために何をなさろうとするのですか。」

さて、エリコに劇的な勝利をしたヨシュアたちですが、次の戦いはそう簡単にはいかなかったようです。
次の戦いは、エリコから15kmほど離れたアイという、比較的に小さな町でした。
エリコとの戦いが終わると、ヨシュアはすぐに偵察隊を送り出したようです。
帰ってきた偵察隊は、このように報告しました。

ヨシュア 7:3 彼らはヨシュアのもとに帰って来て言った。「民を全部行かせないでください。二、三千人ぐらいを上らせて、アイを打たせるといいでしょう。彼らはわずかなのですから、民を全部やって、骨折らせるようなことはしないでください。」

そこでヨシュアは三千人をアイ攻略のために送りましたが、彼らはあっという間に敗北し、逃げ帰ってきたのです。
しかもその時に、36人の人たちが殺され、それを聞いたヨシュアたちは、意気消沈してしまいました。
驚くべきことに、信仰深くリーダーシップを発揮していたヨシュアでさえ、神さまへの信頼が崩れてしまうほどに衝撃を受けてしまったという事です。
ヨシュアたちは、どうして今回は敗北してしまったのでしょうか?

① 「聖絶」しなかったアカン
ヨシュアたちの敗北には、二つの問題があったと思います。
第一の問題は、アカンの神さまに対する裏切りだったことが1節に書かれています。

7:1 しかしイスラエルの子らは、聖絶のもののことで不信の罪を犯し、ユダ部族のゼラフの子ザブディの子であるカルミの子アカンが、聖絶のもののいくらかを取った。そこで、【主】の怒りはイスラエル人に向かって燃え上がった。

エリコを倒した際、アカンと言うイスラエル人が、聖絶のもののことで問題を起こしたというのです。
まずは、「聖絶」とは何かという事についてお話ししておく必要があると思います。

「聖絶」を可能な限りシンプルに説明すると、「神さまのものとする」という言葉になると思います。
これは、イスラエルの人々が約束の地であるカナンに入る前に命じられていたことです。
カナンの地は、アブラハムの時代から、神さまに背いて酷い状態となっていました。
そこで神さまは、ある時は世界を洪水で滅ぼし、ある時には硫黄によってソドムとゴモラを滅ぼしたように、カナンの地を白紙の状態に戻す必要がありました。
今回は、洪水でも硫黄の炎でもなく、イスラエルという民族の移住によって、カナンの人々は一掃されなければなりませんでした。

普通の侵略戦争であれば、その地にある財産を分捕って自分のものとしたり、現地の人々を捕らえて奴隷にしたりします。
しかし、聖絶するように命じられた人々に関しては、完全に世界から一掃させてしまわなければなりません。
それは、彼らの影響力、あるいは感染力があまりにも強くて、彼らを近くに置いていたり、彼らの文化と接するだけでも、イスラエルの人々は堕落してしまうからです。
イスラエルにとって、今のカナンの状態は忌み嫌うべき状態であるという事を認識するために、彼らが彼ら自身の手で手を下す必要があったわけです。

だから、アカンがこの戒めを破り、カナンの財産の一部を取っておこうとしたことは、大きな問題でした。
「もったいないし、これくらいいいだろう」という軽い気持ちで始めたことが拡大して、結局はカナンの地の富や文化、偶像崇拝に取り込まれて行ってしまうのです。

それを破ったアカンは、仲間から石を投げられて殺されなければなりませんでした。
私たちの感覚からすると、かなり厳しい判決に感じられます。
でもこれは、単に盗みをしたということではなく、神への反逆であり、イスラエル全体のモラルを低下させることでした。
アカンもまた、聖絶される側に立たなければならなくなったわけです。

② 司令官を無視したヨシュア
イスラエルがアイに敗北してしまったもうひとつの問題は、彼らが神さまの戦略を尋ねなかったことです。
イスラエルがアイと戦った時の流れをもう一度見てみましょう。

7:2 ヨシュアはエリコから人々をベテルの東、ベテ・アベンの近くにあるアイに遣わすとき、その人々に次のように言った。「上って行って、あの地を偵察して来なさい。」そこで、人々は上って行って、アイを偵察した。
7:3 彼らはヨシュアのもとに帰って来て言った。「民を全部行かせないでください。二、三千人ぐらいを上らせて、アイを打たせるといいでしょう。彼らはわずかなのですから、民を全部やって、骨折らせるようなことはしないでください。」
7:4 そこで、民のうち、およそ三千人がそこに上ったが、彼らはアイの人々の前から逃げた。

ヨシュアがアイ偵察隊を送り、偵察隊は状況を報告して、ヨシュアがそれに従った判断をして人々を送り出しました。
これまでの彼らには当たり前のやり方でしたが、ここには主の軍の将がいることを忘れています。
彼らは、司令官であるイエスさまをほったらかしにして、自分たちで判断をしてしまったのです。

この辺りの話は、来週もう一度しますので今回は軽く話すだけにしますが、私たちはイエスさまと共にいるのに、イエスさまを無視して行動してしまいがちです。
いつでも、どんなことでも、まず神さまに聞いてみるということが信仰者には求められているのです。

③ 信仰者の敗北とは
私たちも、クリスチャンとして生きていくうえで戦いに敗北をすることがあります。
失敗は誰にでも起こるものです。
神さまと共にい続けていれば、少し失敗したとしても立ち直ることができるでしょう。
場合によっては、失敗を通してたくさんのことを学び、神さまとの関係がさらに深まることもあります。
でも、深刻なのは当人の信仰が揺らいでしまう時です。

イスラエルがアイに敗北した時、ヨシュアはこのような状態に陥りました。

ヨシュア 7:7 ヨシュアは言った。「ああ、神、主よ。あなたはどうしてこの民にヨルダン川をあくまでも渡らせて、私たちをエモリ人の手に渡して、滅ぼそうとされるのですか。私たちは心を決めてヨルダン川の向こう側に居残ればよかったのです。
7:8 ああ、主よ。イスラエルが敵の前に背を見せた今となっては、何を申し上げることができましょう。
7:9 カナン人や、この地の住民がみな、これを聞いて、私たちを攻め囲み、私たちの名を地から断ってしまうでしょう。あなたは、あなたの大いなる御名のために何をなさろうとするのですか。」

信仰深かったあのヨシュアが、ヨルダン川を渡らせた神さまが悪いと言わんばかりに反発しています。
こうして、起こった問題を神さまのせいにして、どんどん神さまから離れてしまうということが起こります。
これこそ、クリスチャンが直面する深刻な敗北です。
酷い場合には、このまま神さまから離れて行き、無神論者になっていくということもあるでしょう。
でも、その大元の原因は、自分たち自身にあるのです。

神さまが、「聖絶しなさい」と求めているものは何でしょうか?
私たちには、それぞれの弱さがありますから、その内容は違うかもしれません。
ある人にとっては、アルコールかもしれません、ある人にとってはポルノでしょう。
ある人は特定の人たちとの関係を避けるべきであり、何かの活動から離れなければならない人もいます。
神さまが「離れなさい」というものがあるなら、私たちはそれを甘く見てはなりません。
それ自体の害はそれほどないように思えたとしても、それが大きな影響を及ぼすようになる可能性があるからです。

そして私たちは、どんな時でもイエスさまが「主の軍の将」であることを忘れてはなりません。
神さまが命じた戦いの中にあるなら、私たちはどんな小さな指示もイエスさまに求める必要があります。
神さまの計画から離れた決断は命取りとなり、私たち信仰者は敗北者とのなるのです。

では、勝利するためにはどうすればいいのか?
ヨシュアたちが、この後どうやってアイと戦い、勝利したかという事については、来週のメッセージでお話ししたいと思います。

祈りましょう。