ヨシュア記21:43-45 『⑬ 神さまの約束』 2019/10/06 松田健太郎牧師

ヨシュア記 21:43-45
21:43 【主】は、イスラエルの父祖たちに与えると誓った地をすべて、イスラエルに与えられた。彼らはそれを占領し、そこに住んだ。
21:44 【主】は、彼らの父祖たちに誓ったように、周囲の者から守って彼らに安息を与えられた。すべての敵の中にも、一人として彼らの前に立ちはだかる者はいなかった。【主】はすべての敵を彼らの手に渡された。
21:45 【主】がイスラエルの家に告げられた良いことは、一つもたがわず、すべて実現した。

皆さんは、約束を破られたことはありますか?
約束を破られるのは、あまりうれしい体験ではありませんよね。
それもあって僕は、なるべく約束をしないようにしています。
それでも約束をする時もあるし、結果として僕も約束を破ってしまうこともあります。

約束を守ることすら、なかなかままならないのが、僕たち人間という存在ですね。
でも、神さまはそうではありません。
不必要な約束はしないし、約束すれば必ず守ってくださるのが、神さまなのです。

① アブラハムとの約束
神さまはかつて、アブラムにこのような約束をなさいました。

創世記 13:14 ロトがアブラムから別れて行った後、【主】はアブラムに言われた。「さあ、目を上げて、あなたがいるその場所から北、南、東、西を見渡しなさい。
13:15 わたしは、あなたが見渡しているこの地をすべて、あなたに、そしてあなたの子孫に永久に与えるからだ。

神さまがこの約束をした時、アブラムには子孫と呼べるような子どもはひとりもなく、妻のサライは子どもを生めない体でした。
この地にはまだ着いたばかりで、知り合いも誰もなく、もちろん自分が所有する土地なんて少しもありませんでした。
この当時のアブラムが、「神さまがこんな約束をしてくれたんだ」と友人に打ち明けたとしても、笑いものにされるだけだったかもしれません。

しかし、やがて不妊の女だった妻が、90歳という高齢で子どもを生みました。
その時彼らは、アブラハムとサラという新しい名前が与えられました。
とは言え、彼が生きていた間に手にしたのは、そのイサクという一人の子と、妻の墓として購入したマクペラというわずかな土地だけです。
約束されていたことには程遠いですね。

やがて、アブラハムのひ孫にあたるヨセフたちの時代になると、彼らはエジプトに移り住んでしまいました。
さらにその後には、エジプトが別の民族によって滅ぼされてしまい、アブラハムの祖先はエジプトという大国で奴隷として生活するようになったのです。

しかし、400年という期間を経て、イスラエルにはモーセというリーダーが与えられました。
神さまに聞き従うモーセの働きによって、アブラハムの子孫たちは奇跡的にエジプトから脱出します。
その後も、子孫たちは40年間荒野をさまよい、エジプトから出てきた人たちはほとんど死んでしまいましたが、ヨシュアがリーダーとなって、この約束はついに成就したのです。
今日の聖書箇所を、もう一度読んでみましょう。

ヨシュア 21:43 【主】は、イスラエルの父祖たちに与えると誓った地をすべて、イスラエルに与えられた。彼らはそれを占領し、そこに住んだ。
21:44 【主】は、彼らの父祖たちに誓ったように、周囲の者から守って彼らに安息を与えられた。すべての敵の中にも、一人として彼らの前に立ちはだかる者はいなかった。【主】はすべての敵を彼らの手に渡された。
21:45 【主】がイスラエルの家に告げられた良いことは、一つもたがわず、すべて実現した。

② 神さまの約束
神さまは他にもたくさんの約束をしてきました。
旧約聖書には2800以上の、新約聖書にも1000以上の約束がされているのだそうです。
その約束の内容は、個人の祝福に関する約束や、イスラエルという民族にされた約束など様々ですが、その中で最も重要なのは人類に対する救いの約束ではないかと思います。

創世記 3:15 わたしは敵意を、おまえと女の間に、おまえの子孫と女の子孫の間に置く。彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ。」

アダムたちが罪人になった直後にされたこの約束は、数千年の時を経て、イエスさまの十字架によって成就しました。
これによって私たちは、神さまから離れて罪人となってはしまったものの、イエスさまによって救いを手にすることができるようになったのです。

どんな不可能に思えるようなことでも、神さまは必ず約束を守ってくださる方だということは、どれほどの慰めを私たちに与えるでしょうか。
そんな神さまが、「私はあなたを愛する」と言い、「必要を満たす」と言い、「決して見捨てず、あなたと共にいる」と約束してくださっているから、私たちは安心して、いつも喜びみ満たされて生きることができるのです。

皆さんは、神さまから受けた個人的な約束はありますか?
その約束は、必ず守られる約束です。
私たちは、その約束を信じて、いつでも平安でいることができるのです。

③ 約束が果たされる条件
でも、中には疑問を持つ方がいらっしゃるかもしれません。
「そうは言っても、約束は全て成就したわけではないのではないか?」
「約束の成就に時間がかかり過ぎたり、内容が約束と変わってしまっていることもあるのではないか?」
それは、約束の成就が必ずしも無条件に起こることではないからです。

アブラハムとその子に与えられるはずだったカナンの地に入るまでに、どうしてあれほど長い期間が必要だったのか。
せっかく奴隷から解放されて約束の地に入るはずだったモーセ達が、約束の地を見ることができなかったのはなぜなのか。
聖絶されなければならない人々に打ち勝つ力が与えられていたはずなのに、聖絶しつくすことができなかったのは?
そして、永遠に与えられたはずのカナンの地を、イスラエルが何度も失うことになってしまったのはなぜだったのか?

私たちが、神さまの約束が実現するのを見るためには、神さまの導きに従う必要があるのです。
ある時私たちは、謎の老人から地図を受け取ります。
そして、その老人は私たちに告げるのです。
「その地図が示す印の場所を掘ってみなさい。そこにある宝はあなたのものだ。」

喜んでその場を後にした私たちは、その地図を見て気づきます。
「なにここ、めっちゃ遠いじゃん。」
そこに行くのは大変だし、すごい労力も必要になりそうです。
私たちはそこまで行くのが嫌なので、「まぁいいや、ここを掘ろう」と言って、目の前の土を掘り始めます。
しかし、いくら掘っても宝物なんて出てこない。
「掘ったら宝が出るって言っていたのに、あの老人は約束を破った。嘘つきだ」なんて言い始めたら、おかしいのはどう考えても私たちの方ですよね。

宝はそこにあります。
そして、神さまは私たちに、宝の地図を与えてくださる。
それこそ、神さまが私たちに命じることです。
私たちが宝を手にするためには、その地図の通りに行く必要があります。
それがどれほど大変だろうが、面倒くさいことだろうが、やりたくないことだろうが関係ありません。
それに従えば宝を手にできるし、従わないなら、宝を手に入れることはできないのです。

救いの約束も同じ事が言えますよね。
イエスさまが十字架にかかることによって、約束は成就されました。
でも私たちは、それを受け取る必要があります。
それは、イエスさまが神であることを信じ、イエスさまに従う生き方をし始めることです。
イエスさまが命を投げ出してくださったことによって、私たちの罪は贖われたという事を、受け取って信じることです。
私たちがその導きに従うのでない限り、私たちは目印にある宝を手にすることはできないのです。

神さまは日々、私たちに宝の地図を手渡してくださいます。
皆さんは、その声に耳を傾けていますか?
地図を受け取っているでしょうか?
神さまは、私たちにたくさんの祝福を与えてくださるという約束をして下さっているのです。
それを受け取らないなら、そんな勿体ないことはないのではないでしょうか?

どうか、神さまの声に耳を傾けてみていただきたいのです。
そして、宝の地図を受け取ったなら、それに従って行動してみることです。
その先には、必ず素晴らしい宝を見つけることができるはずですから。

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