マルコ1:12-13 『荒野での試練』 2020/01/26 松田健太郎牧師

マルコ 1:12-13
1:12 それからすぐに、御霊はイエスを荒野に追いやられた。
1:13 イエスは四十日間荒野にいて、サタンの試みを受けられた。イエスは野の獣とともにおられ、御使いたちが仕えていた。

マルコの福音書から3回目のメッセージです。
前回は、イエスさまがキリストとしての活動を始める直前に、バプテスマのヨハネから洗礼を受けたという話でしたね。
今日もこの後洗礼式がありますが、先週も洗礼とはどういうものなのかというお話をさせていただきました。
今日はその続きになりますね。

① それからすぐに
今日の箇所の冒頭には、「それからすぐに」という言葉が出てきます。
マルコの福音書には、この「すぐに」という言葉がたくさん出てくるのですが、これは私たちの時間的な感覚として、「これが終わったらすぐに」というような意味ではないと思います。
もちろん、それほど多くの時間は経っていないとは思いますが、今バプテスマを受けて、次は荒野に行かなければならないので、「はいはい、次々」という慌ただしい状態というわけではないということです。

マルコの福音書に出てくる「すぐに」の意図としては、ひとつの繋がりの中で、すべてのことが起こっているという感覚を表現することだと思うのです。
イエスさまはナザレの大工として生きていたけれど、キリストとしての活動を始めるにあたり、バプテスマのヨハネから洗礼を受けた。
そうしたら、その流れで、次は荒野に導かれ、40日の間サタンからの試みを受けたという感じです。

「ある出来事と、ある出来事の間には関連性がある」ということは、神さまの計画を理解する上で大切なことです。
例えば今回の箇所で、バプテスマを受けて、それからすぐに荒野に行ったという流れでは、イエスさまがキリストとして活動を始めるための準備期間という繋がりがあります。
イエスさまは神さまとの時間を過ごすために、40日間サタンからの試練を受けます。

荒野で断食をしていたらサタンの試みを受けたというイメージだったのですが、聖書に書かれているのはむしろ、サタンの試練を受けるために荒野に行ったということなのです。

私たちが神さまのための働きを始めようとするとき、そこにサタンの攻撃とも思えるような体験をすることがあります。
私たちは、「悪魔の試練に合わないように」と神さまに祈り求めることもあるのですが、実はそのような試練は、私たちに必要があるから与えられているのかもしれません。

事実私たちも、そのような試練を乗り越えることによって成長しますし、結果的にその働きが良い方向に向かうということがあります。
そして、そのような悪魔からの試練さえも、神さまの許しの中で起こっていることなのだということがわかると、少し安心して受け取ることもできるのではないでしょうか?
神さまが与えている試練なのであれば、神さまと共に歩む限り、私たちは必ず乗り越えることができるからです。

Ⅰコリント 10:13 あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。

と、書かれている通りです。

② なぜ誘惑を受けなければならなかったのか
それでは、イエスさまはなぜ、サタンの試練に合わなければならなかったのでしょうか?
第一に、イエスさまが神としてではなく、弱さを持った人であることを体験するためです。

イエスさまは本来神さまですから、誘惑を受けるような弱さとは無縁の方でした。
でも、人として地上に来たということは、私たちと同じようにサタンの誘惑も受ける存在となったということです。

第二に、かつてアダムとエバがしてしまった失敗を乗り越えるためです。
神さまを愛し、愛される存在として創造された人は、サタンの誘惑によって神さまに背き、罪人となってしまいました。
罪人となってしまった人類を救い、その罪を贖うために地上に来たイエスさまは、サタンの誘惑を受け、それに勝利したのです。

それは、この後起こる戦いの前哨戦でした。
そしてイエスさまは十字架で命を犠牲にして、サタンの企みを完全に打ち砕くことになるのです。
それは、「救い主がおまえの頭を踏み潰す」と、神さまが約束していた通りでした。

第三に、私たちがサタンの試練に勝利する方法を示すためです。
私たちもまた、悪魔の試練を受けることがあります。
誘惑を受けた時に勝利する方法を、イエスさまは身をもって示してくださったのです。
イエスさまは、どのようにしてサタンの試練に勝利したのでしょうか?
ルカの福音書の記述を参考にしながら、その方法を見てみましょう。

③ サタンの試練
ルカの福音書では、サタンは3つの誘惑よって、イエスさまに試練を与えたことが記されています。
一つ目は、お腹がすいているイエスさまに、「石をパンに変えなさい」という誘惑です。

ルカ 4:3 そこで、悪魔はイエスに言った。「あなたが神の子なら、この石に、パンになるように命じなさい。」

これは、私たちには誘惑になりえない言葉ですよね。
こんな風に言われても、「どうしよう、石をパンに変えちゃおうかな?」とはなりません。
でもイエスさまには、神さまに委ねることを止めて、自分の力に頼る誘惑となりました。
イエスさまは、このように答えて問題を回避しています。

ルカ 4:4 イエスは悪魔に答えられた。「『人はパンだけで生きるのではない』と書いてある。」

パンを手に入れるのは簡単だけれど、パンではなく、神さまのことばに寄り頼むこと。
それが、イエスさまの答えでした。
私たちは、何よりも神さまの言葉によって生かされているのです。

二つ目は、サタンも聖書の言葉を使って神さまに背くように誘惑してきます。

ルカ 4:5 すると悪魔はイエスを高いところに連れて行き、一瞬のうちに世界のすべての国々を見せて、
4:6 こう言った。「このような、国々の権力と栄光をすべてあなたにあげよう。それは私に任されていて、だれでも私が望む人にあげるのだから。
4:7 だから、もしあなたが私の前にひれ伏すなら、すべてがあなたのものとなる。」

これは、神さまを試みる誘惑ですね。
イエスさまは、シンプルにこの様に言ってその誘惑を退けます。

ルカ 4:8 イエスは悪魔に答えられた。「『あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい』と書いてある。」

三つめの誘惑は、露骨でした。

ルカ 4:9 また、悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、こう言った。「あなたが神の子なら、ここから下に身を投げなさい。
4:10 『神は、あなたのために御使いたちに命じて、あなたを守られる。
4:11 彼らは、その両手にあなたをのせ、あなたの足が石に打ち当たらないようにする』と書いてあるから。」

これは、神さま以外の力により頼むという誘惑です。
自分が十字架にかからなくてもよい方法ですから、大きな誘惑だったかもしれません。
しかしイエスさまは、サタンに耳を傾けませんでした。

ルカ 4:12 するとイエスは答えられた。「『あなたの神である主を試みてはならない』と言われている。」

大切なのは、サタンの誘惑には耳を傾けないということです。
自分を神さまから引き離すような状況に陥ることを避け、神さまのみ言葉を聞き、神さまにだけ寄り頼むということです。
難しいこともありますが、するべきことはシンプルなのです。

まとめますね。
誰の元にも、悪魔の囁きはあり、試練を受ける時があります。
自分から悪魔に近づいた結果なら、すぐさま罪から離れる必要があるでしょう。
しかし、神さまの許しの中でそれが起こるなら、それは私たちが通らなければならない訓練であり、試練の時です。
その時に備えて、私たちはいつも神さまを見え上げるものでありたいものですね。
祈りましょう。

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