マルコ1:29-39 『マルコ7 本当にするべきこと』2020/02/23 松田健太郎牧師

マルコ 1:29-39
1:29 一行は会堂を出るとすぐに、シモンとアンデレの家に入った。ヤコブとヨハネも一緒であった。
1:30 シモンの姑が熱を出して横になっていたので、人々はさっそく、彼女のことをイエスに知らせた。
1:31 イエスはそばに近寄り、手を取って起こされた。すると熱がひいた。彼女は人々をもてなした。
1:32 夕方になり日が沈むと、人々は病人や悪霊につかれた人をみな、イエスのもとに連れて来た。
1:33 こうして町中の人が戸口に集まって来た。
1:34 イエスは、様々な病気にかかっている多くの人を癒やされた。また、多くの悪霊を追い出し、悪霊どもがものを言うのをお許しにならなかった。彼らがイエスのことを知っていたからである。
1:35 さて、イエスは朝早く、まだ暗いうちに起きて寂しいところに出かけて行き、そこで祈っておられた。
1:36 すると、シモンとその仲間たちがイエスの後を追って来て、
1:37 彼を見つけ、「皆があなたを捜しています」と言った。
1:38 イエスは彼らに言われた。「さあ、近くにある別の町や村へ行こう。わたしはそこでも福音を伝えよう。そのために、わたしは出て来たのだから。」
1:39 こうしてイエスは、ガリラヤ全域にわたって、彼らの会堂で宣べ伝え、悪霊を追い出しておられた。

キリストとしての活動を始めたイエスさまは弟子たちとの出会いがあり、カペナウムという町に入りました。
カペナウムでは、シナゴーグと呼ばれる集会所で話をすると、たくさんの人たちがイエスさまの言葉に衝撃を受けました。
それが、単なる知識ではなく、権威のある言葉だったからです。
今日も、引き続きカペナウムでの出来事について書かれています。

さて、会堂から出たイエスさま一行は、シモンとアンデレの家に向かいました。
このシモンは、後にペテロと呼ばれるようになる人ですね。
つまり、ペテロたちの家はカペナウムにあったということです。
そして彼らは、ペテロの姑が熱を出して臥せっているのを知り、イエスさまに癒してもらうという話です。
このことから、ペテロは結婚していたということもわかりますね。

この辺りの情報は、そんなに大切ではありませんが、聖書の世界観を味わううえで、知っておくと深みが出てくる部分です。
今日も、この部分から3つのことをお話していきたいと思います。

① 神の国の福音には力がある
今日の箇所で学ぶことができる第一のことは、イエスさまが伝えた神の国の福音は、ことばだけでなく力が伴うということです。

シモンたちの家に行くと、シモンの姑は熱を出して臥せっていました。
それをイエスさまに告げると、イエスさまは彼女に近づき、手を取り、起こさせました。
すると彼女は癒され、イエスさまたちをもてなしたのです。

神の国に病気はありません。
シモンの姑の癒しは、神の国がどのようなものかを表すひとつのしるしでした。
こうしてイエスさまは、言葉だけでなく、そこに起こる出来事を通して、神の国の福音を人々に伝えていったのです。

シモンの姑は、身をもってそれを体験し、神の国のすばらしさを味わいました。
神の国の訪れは、彼女に喜びをもたらすものだった。
だから彼女は、イエスさまの働きかけに応答して、今度はイエスさまに仕えます。
私たちもそうですね、イエスさまと出会い、イエスさまの愛に応答して、イエスさまに仕えるものとなりました。
私たちにできることは小さいですが、こうして喜んで応答することを、イエスさまも喜んでくださるのです。

② 人々は集まった
今日の箇所で学ぶことができる第二のことは、神の国が表されるところには、人々が集まってくるということです。

シモンの姑が癒されたという話は、あっという間に町中に伝わっていきました。
会堂では悪霊が追い出されたという話もありましたから、町中の人々がそのことを聞きつけ、たくさんの人々が集まってきたのです。
彼らは口々に「癒して欲しい」、「悪霊を追い出して欲しい」と求め始めます。
イエスさまはその人々を癒し、悪霊を追い出しました。

神の国の力が現れるところには、人々が集まってきます。
人々は、本物の力を求めているからです。
だからイエスさまの周りにはいつでも、人々が集まっていました。
そして、弟子たちに聖霊が与えられたその日、そこにもたくさんの人々が集まってきたのです。

私たちも、神の国を体験し、神の国を表していくとき、そこにはたくさんの人たちが集まってきます。
だから、神の国を宣べ伝えるために一番大切なことは、私たち自身が神の国を体験することです。
言葉や理屈で神の国を説明するより、何十倍もの効果があります。
そのために必要なのは、私たち自身がいつも神さまと共にいて、神さまと共に歩むことだと思います。
神の国の力は、神さまがいるところにしか働かないからです。

私たちは今日、神さまと共に過ごしましたか?
私たちは今、神さまと共にいるでしょうか?
油断すると、すぐに神さまを見失って、自分の道を歩み始めるのが私たちです。

イエスさまもそのことをよく理解していました。
だからイエスさまは、静まって神さまと共に過ごす時間を意識的に作っていたのです。

マルコ 1:35 さて、イエスは朝早く、まだ暗いうちに起きて寂しいところに出かけて行き、そこで祈っておられた。

静まって神さまと共に過ごす時間のことを、ディボーションと言います。
神さまに聞き、神さまを味わい、神さまと共に過ごす時間、本当に大切ですね。
ディボーションの時間が、お勉強の時間になっていませんか?
機械的に、聖書を通読するだけの時間になっていないでしょうか?
ディボーションは、毎日やればいいというだけのものではありません。
いつでも神さまに思いを向け、神さまの声に耳を傾けることが、最も大切なことなのです。

③ 福音を伝えること
そのように、イエスさまが神さまと共に時間を過ごしていると、イエスさまを探してシモンがやってきました。
そしてこのように告げたのです。
「こんなところで何をやっているのですか? みんな、あなたを探しています。どうか戻ってきてもっとみんなを癒してください。」

ところがイエスさまは、このように応えました。

マルコ 1:38 イエスは彼らに言われた。「さあ、近くにある別の町や村へ行こう。わたしはそこでも福音を伝えよう。そのために、わたしは出て来たのだから。」

イエスさまを必要としている人たちがまだたくさんいるのに、イエスさまはもうそこ町を去って、別の町や村に行こうと言われました。
なぜでしょう?
第一に、神さまがそう言ったからです。
静まったところで神さまと話し、神さまに尋ねたとき、神さまは「次の町に行きなさい」と言ったのだと思います。

神さまが「行け」と言うなら、私たちはそれに従わなければなりません。
どれだけ人から求められていたとしても、先に進まなければならない時があります。
それは、もっと多くの人々に仕えるためです。

第二に、イエスさまの使命は、より多くのユダヤ人たちに福音を伝え、最後には十字架にかかることだったからです。
人々に仕えて癒すことは、神の国を表すための手段の一つでしかありません。
イエスさまはすべての病やケガを治す医者として来たのではなく、救い主として来たからです。

私たちも、神さまが今何を命じていることに従い、与えられている使命に忠実になる必要があります。
人から求められていることだからと言って、それが神さまが命じていることとは限らないからです。
人を見て、人を優先にしてしまうなら、私たちはそれに忙しくなりすぎて、神さまが命じていることに忠実になることができなくなることがあります。
それでは、本当に果たすべきことをすることができなくなってしまいます。

神さまは何を命じていますか?
私たちが今、本当にするべきことは何でしょうか?
今やっていることを脇に置いて、神さまに尋ねてみましょう。
どんなときでも、神さまがその答えを持っているからです。

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