マルコ3:31-35 ⑯『イエスさまの家族観』 2020/05/24 松田健太郎牧師

マルコ 3:31-35
3:31 さて、イエスの母と兄弟たちがやって来て、外に立ち、人を送ってイエスを呼んだ。
3:32 大勢の人がイエスを囲んで座っていた。彼らは「ご覧ください。あなたの母上と兄弟姉妹方が、あなたを捜して外に来ておられます」と言った。
3:33 すると、イエスは彼らに答えて「わたしの母、わたしの兄弟とはだれでしょうか」と言われた。
3:34 そして、ご自分の周りに座っている人たちを見回して言われた。「ご覧なさい。わたしの母、わたしの兄弟です。
3:35 だれでも神のみこころを行う人、その人がわたしの兄弟、姉妹、母なのです。」

イエスさまは周りにいる人たちを家族と呼び、血のつながった家族に対して冷たいと感じる。それはなぜか?

1. イエスさまの家族の評価
イエスさまの家族は、イエスさまのことをどう思っていたか?

マルコ 3:21 これを聞いて、イエスの身内の者たちはイエスを連れ戻しに出かけた。人々が「イエスはおかしくなった」と言っていたからである。

それまで一緒に住んでいて、マリアに至っては奇跡を経験して、御使いから「この子は救い主だ」と聞いていたにも関わらず、「おかしくなった」という他の人々のことばを信じた。
イエスさまでさえ誤解され、家族からの反対を受けた。
家族など、身近な人たちからの理解を得ることは難しい。

2. 優先順位
家族に対するイエスさまの反応はどうだったか?
迎えに来た家族を放っておいて、一緒にいる人たちこそ家族だと呼んでいる。
キリストの教えは、「家族より教会を大切にしろ」という教えなのか?

・ 十戒では、「父と母を敬いなさい」と書かれている。
「もしも親族、ことに自分の家族を顧みない人がいるなら、その人は信仰を捨てているのであって、不信者よりも悪いのです。(Iテモテ5:8)」

もちろん家族は大切であり、両親を敬うことが聖書の教えである。
しかし、何を大切にするかという優先順位がある。
一番大切なのは、神さまに従うこと。

親が「ずるいことをした方が得なんだから、法律なんて破って犯罪を犯しなさい」と言うなら、私たちは親に逆らうことになっても法律を守るべき。
同じように、私たちは親や国家権力に背くことになっても、神さまに従う必要がある。
全てを知っているのは親でも政府でもなく、神さまなのだから。

マタイ10:37 わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。

これは、家族を蔑ろにしなさいという話ではなく、従う優先順位の話である。

3.私たちを家族と呼んでくれる
この話の中で最も重要な部分は、イエスさまの実の家族への態度ではなく、私たちへの態度である。

3:35 だれでも神のみこころを行う人、その人がわたしの兄弟、姉妹、母なのです。」

イエスさまの周りにいた人たちを考えてみると、「だれでも神のみこころを行う人」というのは、品行方正で宗教的に優れた人たちだったわけではないことがわかる。
「神のみこころを行う人」とは、イエスさまを見て神さまの愛を見出す人のこと。

イエスさまの周りに集まっていたのは、病気や悪霊の問題で苦しむ人々だった。
中には、誰にも頼ることができず、孤独に生きてきた人たちもたくさんいただろう。
彼らにとって、イエスさまのこの言葉はどれほど大きな希望になったことだろう。

イエスさまは、自分の家族を置いておいてでも、私たちの家族となってくださった。
私たちを愛し、私たちのためにいのちをも投げ捨ててくださった。
自分や家族を優先にしていたら、イエスさまは十字架にかかることはなかっただろう。
そんなイエスさまの愛にこたえていこう。

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