マルコ4:1-8 ⑰『たとえばなしで話すわけ』 2020/06/15 けんたろ牧師

マルコ 4:1-8
4:1 イエスは、再び湖のほとりで教え始められた。非常に多くの群衆がみもとに集まったので、イエスは湖で、舟に乗って腰を下ろされた。群衆はみな、湖の近くの陸地にいた。
4:2 イエスは、多くのことをたとえによって教えられた。その教えの中でこう言われた。
4:3 「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出かけた。
4:4 蒔いていると、ある種が道端に落ちた。すると、鳥が来て食べてしまった。
4:5 また、別の種は土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったのですぐに芽を出したが、
4:6 日が昇るとしおれ、根づかずに枯れてしまった。
4:7 また、別の種は茨の中に落ちた。すると、茨が伸びてふさいでしまったので、実を結ばなかった。
4:8 また、別の種は良い地に落ちた。すると芽生え、育って実を結び、三十倍、六十倍、百倍になった。」

イエスさまはいつでもたとえ話を使って話をした。
それはなぜか?

① わかりやすいから?
イエスさまは、理論や法則のようなものではなく、当時の人々にはわかりやすい身近な例えを使って神の国の話をした。

② 聞くけど悟らない
ではみんなに分かるようにそうしているのかというと、必ずしもそうではない。
ルカの福音書で、たとえを使う理由についてイエスさまはこのように話している。

ルカ 8:10 イエスは言われた。「あなたがたには神の国の奥義を知ることが許されていますが、ほかの人たちには、たとえで話します。『彼らが見ていても見ることがなく、聞いていても悟ることがないように』するためです。

「見ても見ず、聞いても悟らない」というのは、イザヤ書の中で預言されていたこと。
福音は、誰でも受け取る機会を持つことができるけれど、誰もがそれを自分のものにすることができるわけではない。
見て、聞いて、それを受け取らなければならない。
福音をよく聞いて、積極的に受け取り、理解し、実践したときに初めて、それを自分のものにすることができる。

③ 悟るためには
ではどれくらいの人たちの中が神の国に入ることができるのかということを、イエスさまは今回の例えの中で話している。

ある人は道端に落ちた種のよう。
福音を聞いても、心に留まることはない。

ある人は、岩の上に落ちた種のよう。
種が芽吹いていたように見えても、根がついていないので大きく育つことはなく、枯れてしまう。

ある人は、いばらの中に落ちた種のよう。
土が豊かで何でも育っていくけれど、余計なものも育ってしまうので、それによって大切な種が育たなくなってしまう。

しかし、ある人は良い地にまかれた種のよう。
本当に大切なものをしっかりと受け取り、それが心のうちに30倍、60倍、100倍に大きなって、実際の行動として現れてくる。
そこに神の国はある。

どうすれば良い地となり、神の国に生きることができるのか?
良い地にするためには土地を耕せばいい。
余計なものを取り除き、良いものを求め続けること。

ルカ 11:9 ですから、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。

福音が伝えられても、神の国に生きようとする人は四分の一しかいない。
しかし、誰でも入ることができるのが神の国でもある。
神の国を求めよう。
そこにあなたの幸せはある。

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