サムエル記下7章12、13節、17、18節、24~26節『お言葉通りになりますようにーダビデの祈りとキリスト復活の預言―』 2020/08/09 小西孝蔵

「御言葉通りになりますように―ダビデの祈りとキリスト復活の預言-」
2020年8月9日
(メッセージ聖書箇所)
〇サムエル記下7章
7:12あなたが日が満ちて、先祖たちと共に眠る時、わたしはあなたの身から出る子を、あなたのあとに立てて、その王国を堅くするであろう。
7:13彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしは、その国の王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。・・・・・
7:17ナタンはすべてこれらの言葉のように、またすべてこの幻のようにダビデに語った。
7:18その時ダビデ王は、はいって主の前に座して言った、「主なる神よ、わたしがだれ、わたしの家が何であるので、あなたはこれまでわたしを導かれたのですか。・・・・・・・

7:24そしてあなたの民イスラエルを永遠にあなたの民として、自分のために、定められました。主よ、あなたは彼らの神となられたのです。
7:25主なる神よ、今あなたが、しもべとしもべの家とについて語られた言葉を長く堅うして、あなたの言われたとおりにしてください。 7:26あなたの名はとこしえにあがめられて、『万軍の主はイスラエルの神である』と言われますように。あなたのしもべダビデの家は、あなたの前に堅く立つことができますように。

(関連聖書箇所)

〇使徒の働き2章
2:25ダビデはイエスについてこう言っている、『わたしは常に目の前に主を見た。主は、わたしが動かされないため、わたしの右にいて下さるからである。2:26それゆえ、わたしの心は楽しみ、わたしの舌はよろこび歌った。わたしの肉体もまた、望みに生きるであろう。2:27あなたは、わたしの魂を黄泉に捨ておくことをせず、あなたの聖者が朽ち果てるのを、お許しにならないであろう。2:28あなたは、いのちの道をわたしに示し、み前にあって、わたしを喜びで満たして下さるであろう』。・・・・ 2:30彼は預言者であって、『その子孫のひとりを王位につかせよう』と、神が堅く彼に誓われたことを認めていたので、 2:31キリストの復活をあらかじめ知って、『彼は黄泉に捨ておかれることがなく、またその肉体が朽ち果てることもない』と語ったのである。 2:32このイエスを、神はよみがえらせた。そして、わたしたちは皆その証人なのである。

〇ヨハネによる福音書11章
11:25イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。
〇ヨハネによる福音書11章
14:27わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。

1.はじめに
コロナ第2波にともいえる感染者の増加。医療関係者の苦労は大変。コロナ感染防止に全力を尽くす一方、この事態をポジティブに考える必要もある。第一に、遅れていたテレワーク、教育、医療、会議等各分野におけるオンライン化を加速化することです。
もう一つ大事なことは、この機会を、職場から一歩身を引いて、ワークライフバランスを回復するチャンスととらえる。オランダ語で「ニクセン」しよう、という言葉があるそうだ。何もしないで、過ごすという意味。チコチャンとは反対に、「ぼーっと生きてるのがいい!」。朝晩の散歩で身近な自然に触れるとか、時には、大自然の中に身を置きながら、創造主である神様の存在を感じることも大事ではないでしょうか。

2.主が立てられたものに仕えなさい
・本日は、ダビデ2回目です。前回を振り返ると、ダビデに妬みを感じたサウル王から、何度も命を狙われ、逃亡生活を続けた。 エンゲディの洞穴でダビデを追って洞穴に入ってきたサウルを殺さなかった(サムエル上24章)。このあと、ジフの荒野で同じように、命を狙われたが、逆にサウルを殺せる状況になったにもかかわらず、手を下さなかった。

・主が油注がれたものに手を下してはならない、神が立てられた王には反逆せず,仕え通すという神と人とに対するダビデの誠実さ。サウルは、自己顕示欲が強く、神の前に面従腹背の姿勢を取ったのとは正反対でした。ただ、次回に取り上げますが、ダビデは、人間的に弱い、罪を犯す人でもありました。でも、罪を悔い改めて、神に従う人でした。

・このダビデの生き方は、30数年の私自身のサラリーマン人生の指針となった。このダビデという具体的なお手本に倣い、上司と部下に仕える中間管理職の試練を乗り越えることが出来ました。ダビデがお手本にならない面は、女性関係です。家庭では、7人以上も妻を持ったダビデと違い、私は、ただ一人の妻に仕えてきました(十分に仕えているかどうかは別にして?)。(笑い)

・しかしながら、サウルは、悔い改めることなく、最後は、ペリシテ人に追い詰められ、弓で射られたために、自害した。サウルの息子の親友ヨナタンもその場で死んだ。(サムエル上31章)
・ダビデは、サウルとヨナタンの死をこよなく悼んで、哀歌を読んだ。サムエル記下1章「サウルもヨナタンも愛される立派な人だった。」(32節)、「イスラエルの娘、サウルのために泣け。」(24節)、「あなたのために私は悲しむ。私の兄弟ヨナタンよ。」(26節)、「ああ、勇士たちは倒れた。戦いの器は失せた。」(27節)

・この場面を、ヘンデル作曲、ジェネンズ台本のオラトリオ「サウル」(全曲3時間の大作)では、葬送行進曲として、表現している(3分間)。ちなみにこの葬送行進曲は、チャーチル英元首相やコール独元首相の葬儀にも演奏されたそうです。

3.お言葉通りになりますようにーダビデの祈りー
・本日の箇所は、サムエル記下7章は、ダビデが、ヘブロンからエルサレムに王都を移した後、預言者ナタンが神から授かった預言とそれを受けたダビデの祈りについてです。ダビデがエルサレムを攻略し、入城した喜びは、大変なものでした。その際、サウルの娘ミカルが夫ダビデが主の前で踊ったことをさげすんだため、その後子を与えられなかったという出来事もありました。

・ダビデは、エルサレムに首都を移すことにより、サウルに率いられた北のイスラエル部族を自らの南のユダ族と統合して一つのイスラエル王国が誕生しました。そして、神様は、預言者ナタンにダビデに与える将来像を示されました。ナタンがダビデに伝えたのは、神がダビデに示した「ダビデの契約」というものでした。ダビデの契約は、アブラハム契約、モーセ契約に次ぐもので、英語で、covenantと言われるもので、通常の双務契約と違って、神の恵みによって一方的に与えられる片務契約に近い性格のものです。ダビデの家系において王国が確立するとともに、メシアがダビデの子孫から出る、メシアの王国は永久に確立するという宣言です。この個所は、あとで、使途の働き2章でもう一度出てきます。

〇サムエル記下7章「7:12あなたが日が満ちて、先祖たちと共に眠る時、わたしはあなたの身から出る子を、あなたのあとに立てて、その王国を堅くするであろう。7:13彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしは、その国の王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。」

・ナタンの預言を受けて、ダビデの祈りが続きます。ダビデの祈りは、自分は何者ですかという告白から始まり、神様のお言葉通りになるように、御名が崇められるようにと祈っている。ダビデの地上の王国は、結果的に地域限定、期間限定のものになりましたが、ダビデが神に前に座して捧げた祈りは、自分の家の繁栄が第一ではなく、神の御国が実現することを第一に考えたのです。

〇サムエル記下7章「7:24そしてあなたの民イスラエルを永遠にあなたの民として、自分のために、定められました。主よ、あなたは彼らの神となられたのです。 7:25主なる神よ、今あなたが、しもべとしもべの家とについて語られた言葉を長く堅うして、あなたの言われたとおりにしてください。(The word you have spoken, establish it forever, and do as you have said.)
7:26あなたの名はとこしえにあがめられて、『万軍の主はイスラエルの神である』と言われますように。あなたのしもべダビデの家は、あなたの前に堅く立つことができますように。」

・ダビデの祈りは、イエスの祈りに似ています。「御名を崇めさせ給え。御国を来たらせ給え、御心の天になるごとく地にもなさせ給え」。 マリアの祈りにある「御心の通りになりますように」(Let it be to me according to your word.) にも通じるものがある。私たちは、とかく、忙しさの余り、祈りを忘れがち。祈るとしても、自分や家族の仕合せ、仕事の成功、生活の保障など自分を中心に祈ることが多い、そうした祈りも大事ではあるが、一番大事なのは、ダビデのように、神様のお言葉通りなるように、御心がなるように祈るということ。順番が逆にならないよう気を付けましょう。

4.主は共に生きておられるーキリスト復活の預言
・ダビデの祈りが、最もよくあらわされている詩篇の一つ、詩篇16篇があります。本日の箇所サムエル記下7章の12、13節とともに、詩篇16篇8~11節がそのまま、使徒行伝2章25~32節に引用されています。ペテロは、ペンテコステの直後の演説の中で、イエスの復活の証言として、これらのナタンの預言とダビデの言葉を引用している。

〇使徒2章「2:30彼は預言者であって、『その孫のひとりを王位につかせよう』と、神が堅く彼に誓われたことを認めていたので、 2:31キリストの復活をあらかじめ知って、『彼は黄泉に捨ておかれることがなく、またその肉体が朽ち果てることもない』と語ったのである。 2:32このイエスを、神はよみがえらせた。そして、わたしたちは皆その証人なのである。」(サムエル下7-12,13節及び詩篇16篇10節の引用)

・ダビデは、同じ使徒の働き2章に引用された詩篇16篇8~9節の中で、復活の主と共に生きる平安と喜びについて、次のように記しています。
〇使徒2章「2:25ダビデはイエスについてこう言っている、『わたしは常に目の前に主を見た。主は、わたしが動かされないため、わたしの右にいて下さるからである。2:26それゆえ、わたしの心は楽しみ、わたしの舌はよろこび歌った。わたしの肉体もまた、望みに生きるであろう。』

・ヘンデルが、先のオラトリオ「サウル」の作曲時、脳卒中の病気と作曲家としての行き詰まりの中に有ったが、その3年後、復活の主を仰いで、友人ジェネンズ作詞によるメサイヤを作曲したのも、決して偶然ではなく、復活のイエスとの出会いを導かれた神の摂理の証言となっています。

・現代の私たちの日常生活において、このダビデの祈りと復活のキリストは、どのような意義をもつでしょうか。主は、今、目の前に生きて、共におられる。どんなことがあっても動かされることはない。コロナ感染についても、多くの人たちは、大きな不安になっている。感染したらどうしよう、仕事がない、経済的に困窮している、病に苦しんでいる、老後はどうなるのか…など、先行きが見えない。こうした困難も、共に歩んで下さり、すべてを益と変えて下さるキリストの愛を信ずることにより、心に平安を得て、前向きに生きることが出来ます。

・そして、新型コロナ感染の直接的・間接的な影響は、日本国内だけでなく、アメリカやアフリカ大陸、インドなど世界全体に急速に広がって、助けを求める声があふれている。豪雨など自然災害も多発しています。神様の御心がなるように、神の国が実現するように、周りの困っている方々や孤独に置かれている方々に寄り添い、自分たちで出来ることを見つけて支援の手を差し伸べていこうではありませんか。

5.最後に
本日は、①主が立てられた主君に仕えるダビデの誠実さ、②神様のお言葉通りになるように、救い主と神の国の到来を求めたダビデの祈り、③ダビデの生きざまを通し、復活のイエスと共に生きる平安と喜びについて、教えられました。
最後に、ダビデの預言通り、復活のキリストご自身が私たちに直接語りかけておられる御言葉をヨハネによる福音書から選んでお読みいたします。

〇ヨハネによる福音書11章
11:25イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。
〇ヨハネによる福音書14章
14:27わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。
(祈り)

〇メッセージ要旨
「お言葉通りになりますように―ダビデの祈りとキリスト復活の預言-」
-サムエル記下7章12,13節、17,18節、24~26節
1.初めに
2.主が立てられたものに仕えなさい-前回の振り返りと本日の箇所までの出来事-
3.御言葉通りになりますようにーダビデの祈りー
〇サムエル記下7章12~26節→使徒の働き2章30節
4.主は共に生きておられるーキリスト復活の証言―
〇詩篇6篇8~11節→使徒の働き2章25~32
5.最後に   〇ヨハネによる福音書11章25節、14章27節

(祈り) 「私は、常に主を目の前に置く。主が、私の右におられるから、私は動かされることはない。その故、私の心は喜び、私の魂は楽しみ、私の身も安らかである。」

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