民数記22:1-6 (22:1-24:25) 民数記17『呪いを祝福に変えられる』 2026/05/10 けんたろ

民数記22:1-6(22:1-24:25)
22:1 イスラエルの子らは旅を続け、ヨルダンのエリコの対岸にあるモアブの草原に宿営した。
22:2 ツィポルの子バラクは、イスラエルがアモリ人に行ったすべてのことを見た。
22:3 モアブは、イスラエルの民の数が多かったので非常におびえた。それでモアブはイスラエル人に恐怖を抱いた。
22:4 モアブはミディアンの長老たちに言った。「今、この集会は、牛が野の青草をなめ尽くすように、われわれの周りのすべてのものをなめ尽くそうとしている。」ツィポルの子バラクは当時、モアブの王であったが、
22:5 同族の国にある、あの大河のほとりのペトルにいるベオルの子バラムを招こうと、使者たちを遣わして言った。「見なさい。一つの民がエジプトから出て来た。今や、彼らは地の面をおおい、私の目の前にいる。
22:6 今来て、私のためにこの民をのろってもらいたい。この民は私より強い。そうしてくれれば、おそらく私は彼らを討って、この地から追い出すことができるだろう。あなたが祝福する者は祝福され、あなたがのろう者はのろわれることを、私はよく知っている。」

今日は民数記22章から24章にある、少し不思議で、でもとても大切な物語を分かち合っていきたいと思います。
ここまで、イスラエルは紆余曲折はありながらも、その道を阻む者たちをなぎ倒して進んできました。
その様子を見て、モアブの王バラクは、このただ者ではないイスラエルに対して恐れを抱きました。
普通に戦っても勝ち目はないと考えたバラクは、占い師バラムを雇って呪わせようとしたのです。
イスラエルは不思議な力で護られているので、こちらも魔術と言う不思議な力によって相手を倒そうというわけです。
さて、このような危機的状況で、彼らは何を目にしたのでしょうか?

① 人は呪おうとする(22章)

まず、バラクの姿を見てみましょう。
彼はイスラエルを恐れました。
恐れは、私たちの心を固くし、相手を敵のように見せてしまいます。
そして、相手を呪う方向へと導いてしまうことがあります。

バラクはバラムを雇い、なんとかしてイスラエルを呪わせようとしました。
でも、神さまはすでにイスラエルを祝福しておられました。
だから、どれほど策略を巡らせても、その祝福を覆すことはできませんでした。

② 人は霊的に盲目となる(22:20-30)

次に、預言者バラムの姿を見てみましょう。
彼は神さまの声を聞き、神さまの言葉を語る者でした。
バラムはアラム人でしたが、主を知っていたのです。
これは旧約聖書の中でも珍しいケースですが、創世記のメルキゼデクやヨブも、異邦人でありながら神さまを知り、深い信仰を持つ人々でした。
ただ、バラムの場合は、神さまを知り、神さまの声を聞くことはできましたが、神さまに従う人物ではなかったようです。
イスラエルを呪うようにバラクに命じられた時、神さまはバラムにこのように命じました。

民数記 22:20 夜、神はバラムのところに来て、彼に言われた。「この者たちがあなたを招きに来たのなら、立って彼らと一緒に行け。だが、あなたはただ、わたしがあなたに告げることだけを行え。」

「あなたがバラクとともに行きたいならともに行くがいい。しかし、あなたは私が告げることだけを行いなさい」と言われました。
バラムはバラクが差し出す報酬に心が傾き、自分の願いを優先したのです。
その結果、彼は霊的に盲目になってしまいます。

イスラエルを呪うために向かう途中、彼のロバは全く動かなくなってしまいました。
ロバは、神さまの使いが道に立ちはだかっていたのを見たからです。
しかし、バラムにはそれが見えなかったので、ロバを打って道に戻そうとしました。
そこで神さまはロバの口を開き、バラムにこのように言わせます。

民数記 22:28 すると、【主】がろばの口を開かれたので、ろばはバラムに言った。「私があなたに何をしたというのですか。私を三度も打つとは。」

この出来事にバラムがあまり驚かなかったところを見ると、バラムは魔術的な感覚でこの声を聞いたのかもしれませんね。
そしてついに、聖書はこう語ります。 「そのとき主がバラムの目を開かれた」(22:31) 神さまが目を開かれたとき、バラムは初めて、剣を抜いて立つ御使いを目にします。
彼は震え、「私は罪を犯しました」と告白しました。
霊的な目が開かれるとき、私たちはまず、自分の弱さや傾きに気づきます。
そして、神さまの前に静かにへりくだる心が生まれるのです。

③ 呪いも祝福に変えられる

その後、バラムはバラクに連れられて、何度もイスラエルを呪おうとします。
でも、神さまはそのたびに、バラムの口から祝福の言葉を語らせます。
呪いのために呼ばれたはずのバラムの口から、 「神は人のように変わる方ではない」 「主が祝福された者を、どうして呪えるだろうか」 という言葉が語られたのです。
そして最後には、 「ヤコブから一つの星が上る」 という、メシアの到来を指し示す預言まで語られました。
呪いの企みが、救いの宣言に変わる。
これは、神さまの主権の大きさを示す、圧倒的な逆転なのです。

この物語全体を通して、聖書は私たちにこう語っています。
「神さまが祝福した者を、誰も呪うことはできない」これが、この箇所の中心テーマです。
では、この物語は私たちに何を語りかけているのでしょうか。

もしかすると、私たちもバラムのように、“見えているつもりで、実は見えていない” ということがあるかもしれません。
自分の願望や恐れが、神さまの声を曇らせてしまっていることがあるかもしれません。
神さまがロバのような存在を通して語っておられるのに、それに気づかず、むしろ怒ってしまっていることがあるかもしれません。

でも、希望があります。
バラムの目を開かれたように、神さまは私たちの目も開いてくださる方だということです。
そして、私たちの人生に向けられた呪いのように見える出来事さえも、 神さまの手の中で祝福へと変えられていきます。

  • 人の否定的な言葉が、神の励ましに変わる
    誰かに傷つけられた言葉が、神の前に持っていくと、「あなたはわたしの目に高価で尊い」という神の声に変わります。
  • 過去の傷が、他者を慰める力に変わる
    痛みは、神の手に渡すと、他の人を支える優しさに変わります。
  • 恐れが、神への信頼に変わる
    恐れは、神に寄りかかるきっかけになります。弱さが、神の力を経験する場所になります。
  • 罪の失敗が、悔い改めと回復の証しに変わる
    バラムのように「私は罪を犯しました」と言えるとき、そこから祝福が始まります。
  • サタンの攻撃が、神の勝利の証しに変わる
    敵があなたを倒そうとした場所で、神はあなたを立ち上がらせ、その場所を“証しの場所”に変えられます。

だから私たちは、「主よ、私の目を開いてください。 あなたが見せようとしておられるものを、見えるようにしてください。」と祈るものでありたいですね。
神さまは、見えないロバを用いてでも、私たちの目を開き、私たち祝福の道へと導かれる方です。
その方に信頼して、今日も歩んでいきましょう。