民数記27:1-5(27:1-30:16) 民数記20『約束の地に入る前に』2026/06/21 けんたろ
民数記27:1-5(27:1-30:16)
27:1 さて、ヨセフの子マナセの一族のツェロフハデの娘たちが進み出た。ツェロフハデはヘフェルの子、ヘフェルはギルアデの子、ギルアデはマキルの子、マキルはマナセの子であり、その娘たちの名はマフラ、ノア、ホグラ、ミルカ、ティルツァであった。
27:2 彼女たちは、モーセの前、祭司エルアザルの前、また族長たちと全会衆の前、すなわち会見の天幕の入り口に立って言った。
27:3 「私たちの父は荒野で死にました。父は、コラの仲間と一緒になって、【主】に逆らったあの仲間たちには加わらず、自分の罪過によって死んだのです。しかし、父には息子がいませんでした。
27:4 息子がいなかったからといって、なぜ私たちの父の名がその氏族の間から削られるのでしょうか。私たちにも、父の兄弟たちの間で所有地を与えてください。」
27:5 そこでモーセは、彼女たちの訴えを【主】の前に差し出した。
民数記、残りは足早に駆け抜けていきたいと思います。
今日は27〜30章を一気に見ていきましょう。
イスラエルが約束の地に入る直前ですが、前回は人口調査が行われ、新しい世代が数えられました。
これから約束の地に入って行く上で、いくつかの出来事があります。
それぞれが、実はイスラエルの民を内面から整えるような、神さまからのメッセージになっているのです。
目次
① 神は「正義と回復の心」を整えられる(民27章:相続の問題)
第一に、神さまは正しいことをなさるということを、ツェロフハデの娘たちの話から教えられます。
ツェロフハデはマナセ族の出身でしたが、出エジプトした第一世代のほとんどがそうだったように、彼も荒野で死にました。
問題は、彼には5人の子がいたにもかかわらず、男が一人もいなかったということです。
そしてこの5人、少なくともはカナンの地に入って行く前の時点では独身だったようです。
律法によれば、土地の相続権は男子にしかありません。
すると、男子がいないツェロフハデには土地が与えられず、独身だった彼女たちは一切土地を持たない状態でカナンの地で生きていかなければならないということになるのです。
そこで彼女たちは、「父に息子がいないからといって、名が消えるのは不当です」と訴えました。
神さまはその訴えを聞き、「彼女たちの言うことは正しい」(民27:7)と答えられたのです。
この出来事は、大切なことを教えています。
神さまは弱い立場の者の声を聞き、不正を正し、新しい道を開かれる方だということです。
これは、約束の地に入る前に、共同体の中に“神の正義”を据えるために必要な出来事でした。
神さまはまず、間違った価値観、不正な思い、心の偏りを正し、神の正義で心を整えてくださる方なのです。
② 神は「導き手の心」を整えられる(民27章:ヨシュア任命)
第二に、モーセの次のリーダーが任命されることを通して、神さまは語ってくださいます。
モーセは、自分の最期を悟り、民の将来を案じて祈りました。
民数記 27:17 彼が、彼らに先立って出て行き、先立って入り、また彼らを導き出し、導き入れるようにしてください。【主】の会衆を、羊飼いのいない羊の群れのようにしないでください。」
神さまはヨシュアを立て、モーセは手を置いて彼を任命します。
ここで示されるのは、神の働きは指導者が変わっても続くということ。
そして、神さまがリーダーに求めているのは、“羊飼いの心”であるということです。
羊は弱く、迷いやすく、捕食者に狙われやすい動物です。
イスラエルにおいて羊飼いとは、単なる職業ではなく、「民を導く者」「守る者」「養う者」という深い象徴を持つ存在でした。
リーダーとは、そのような心で民を守り導く存在であってほしいと、神さまは求めているのです。
私たちもまた、家庭で、職場で、教会で、誰かを導く立場に置かれることがあります。
そのとき神さまは、羊飼いのように、人の心を大切にする者へと整えてくださるのです。
③ 神は「礼拝の中心」を整えられる(民28〜29章)
民数記25章で、イスラエルはモアブの娘たちに魅了されて偶像礼拝に陥りました。
だからこそ神さまは、新しい世代に向けて、礼拝のリズムをもう一度整えられます。
28~29章では、レビ記で命じられてきた礼拝について、改めて確認がされます。
- 日ごとのいけにえ(朝・夕)
- 安息日のいけにえ
- 新月のいけにえ
- 年間の祭り(過越・七週・ラッパ・贖罪日・仮庵)
これは、“リズム”によって信仰が守られるということを教えています。
私たちも、日々のデボーション、日曜日の集会などを通してリズムを整えることができますね。
私たちの集まりは、教会歴などの宗教的なイベントを積極的にはしませんが、それもまた信仰のリズムを整える知恵なのかもしれません。
私たちも、イスラエルの民と同じように、簡単に偶像へ向かう心を持っています。
私たちは常に心を神さまに戻す習慣によって、心を神に向け続けるよう整えることができると、神さまは教えてくださっているのです。
④ 神は「応答する心」を整えられる(民30章:誓願)
30章では、誓願について教えが確認されています。
誓願とは、「〇〇をします」とか、「☓☓をしません」というような、神さまへの自発的な約束です。
日本人の感覚だと、「願掛け」に似ているかもしれません。
これまで学んできたものでは、ナザレ人の誓願が代表的なものでした。
しかし、神さまは、誓願を軽く扱ってはならないと語られます。
なぜなら、誓願は“心の向き”を表すからです。
神さまとの約束を破ることは明確に神さまに背くことと同じです。
確かに悔い改めれば、それでも神さまは赦してくださるでしょう。
でも、軽々しく神さまに約束し、それを破るようになれば神さまとの関係そのものが軽くなってしまいます。
誓願は、神さまとの関係を見える形にするものなのです。
⑤ まとめ
このように、民数記27〜30章は約束の地に入る前に、神が民の“内側”を整えられた章です。
相続に関する話では「正義の心」について、新しいリーダーの任命では、「羊飼いの心」について、いけにえに関する確認では「礼拝の心」について、そして誓願に関する話では「応答する心」について整えられました。
私たちも、新しい歩みをしようと思う時、どうかご自身の内面的な部分に心を向けて、神さまとの関係がうまく整えられているかどうか確認してみてください。
皆さんの歩みが、主の御心にかなうものでありますように。
