ピリピ4:4、1テサロニケ5:16-18 『魅力的な人には喜びがある』 2018/12/16 松田健太郎牧師

ピリピ 4:4 いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。

Ⅰテサロニケ 5:16 いつも喜んでいなさい。
5:17 絶えず祈りなさい。
5:18 すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

皆さんはどうか知りませんが、僕は笑顔の素敵な人が大好きです。
笑顔が素敵な人に出会うと、その人のことが大好きになってしまいます。
笑顔が素敵な人は、魅力的です。

素敵な笑顔になることは、案外難しいことですよね?
作ろうと思って作れるものではありません。
写真を撮るときに笑顔を作ろうとするのですが、意識すればするほど、笑顔は魅力的にはなりません。
目が笑っていなかったり、口元がひきつったようになったり、張り付けたような笑顔になってしまうんですね。

作り笑いは、見ればすぐにわかります。
そして、作り笑いはまったく魅力的ではないんですね。
それどころか、作り笑いを見ると、少し嫌な気分になります。
何かウソをつかれているように感じてしまうのかもしれません。
同じ笑顔なのに、印象がこれほど変わってしまう笑顔って、すごく難しいですよね。

素敵な笑顔になるためには、秘訣があります。
それはまず、心を開いてリラックスしているということ。
そして、喜んでいることです。

身構えたり緊張していると、どうしても顔が引きつってしまいます。
まずは相手に心を開いて、体中の筋肉をほどかなければなりません。
そして、表情は心の状態の表れですから、私たちは喜んでいる必要があります。
心を許して、喜んだ状態でいるなら、私たちの顔は自然と、魅力的な笑顔になるのです。

聖書の中には、「喜びなさい」ということばがたくさん出てきます。
そして神さまは、いつでも、どんな時でも喜ぶようにと、私たちに命じているのです。
パウロが「喜びなさい」と書いたときの状況を、皆さんはご存知でしょうか?
クリスチャンたちは迫害され、命を狙われ、隠れて生活せねばならず、これを書いているパウロ自身が牢獄に入れられ、いつ殺されるかわからないという状況の中で、「喜びなさい」と書き送っているのです。
驚くべきことですよね?
私たちは、どうすればそんな風に喜ぶことができるのでしょうか?

ある時、「喜びなさい」ということばの中に、ひとつの気づきがありました。
それは、「喜び」は何か起こったできごとに対する 「反応として起こるもの」ではなく、私たちが「自発的に起こすもの」なのだということです。
これは、「信じること」や「愛すること」、「感謝」に関しても同じことが言えますね。
私たちは何事にも受け身になり、反応として喜んだり、愛が芽生えたりしてしまう傾向があります。
確かに、反応としての「喜び」や「愛」も存在するのですが、神さまはそんなことについて話をしているのではありません。
何か良いことがあったから「喜ぶ」のは当たり前のことだからです。
神さまが私たちに求めているのは、「いつも喜ぶこと」です。
たとえ喜べないような状況に陥ったとしても、「主にあって喜ぶ」ことが求められているのです。

「主にあって喜ぶ」とはどういうことでしょう?
それは、主とともにあることを喜ぶことです。
私たちは神さまに愛されている。
イエスさまと出会い、神さまとともに歩むことができる。
神さまがいつでも私とともにいて下さり、私の内に生きてくださっている。
そのこと自体が、私たちにとっては大きな喜びです。
何かがあったからではなく、神さまがともにいることそれ自体が喜びなのです。

しかし、何か喜べないような状況が起こると、それに引っ張られてしまって、私たちの心は喜びを忘れてしまいます。
「『喜びなさい』と言われたからと言って、こんな状況の中で喜べるものではない」と思ってしまうかもしれません。
それは、私たちの「喜ぶ力」が弱いからかもしれません。

ある人は、「喜ぶことは筋肉のようだ」と言いました。
喜ぶことには訓練が必要で、普段から鍛えていないと、自発的に喜ぶ力が弱いのだと言うのです。
確かに、思い当たることもあります。
同じような体験の中でも、喜べる人と喜べない人に分かれますよね。
人によって、ちょっとしたことで傷ついてしまったり、悲しくなって立ち上がれなくなったり、怒りだしてしまうことがあります。
そういう人たちは、「喜ぶ」筋力が足りないので、状況の中で起こるネガティブな感情に流されてしまうというわけです。

それでは、「喜ぶ力」はどうやって鍛えればいいのでしょうか?
僕が知っているある先生は、毎朝自分に向かって「喜べ、もっと喜べ、最高に喜べ!」と宣言しているのだそうです。
これはどちらかというとストレッチの感覚に似ていると、その先生は言っていました。
こうして喜ぶ習慣をつけていくと、柔軟性を増して体の可動域が広がるように、心が柔らかくなって喜びやすくなるのだそうです。

そういう方法が合う方はぜひやってみてください。
でも、低血圧気味な方にはちょっとしんどいですよね(笑)。
大切なのは、普段からちょっとずつ喜んで、喜びの訓練をするということです。
特に何にもないときに喜ぶことが大切です。
「何も悪いことがないから喜ぶ」ということではありません。
何かあったからとか、なかったから喜ぶのではなく、何もないけどとにかく喜ぶのです。

体を鍛えるときも、いきなり激しい運動をしたら大変なことになります。
同じように、危機的な状況でいきなり喜ぶことなんてできるはずがありません。
喜びの幅を広げるためには、それなりの訓練が必要なのです。

これまで、神さまが与えてくださった祝福を思い出してみましょう。
そして、神さまがこれから与えようとしている祝福について、想像してみましょう。
いつも祝福を思う習慣があると、いざという時にも心を切り替えることができます。

どうしても気持ちが乗らないという時には、意識して口角を上げてみましょう。
私たちの表情は、感情によって変わるものですが、おもしろいもので表情を変えることによって、感情に影響を与えることもできるのだそうです。
喜ぶときの顔を作れば、喜べる状況にあるかどうかにかかわらず、心の中に喜びが起こるのです。
喜ぶことが難しいときこそ、意識的に口角を上げるのです。
最初は作り笑いかもしれませんが、しばらくすると喜びを取り戻せます。

こうして、自分の中で何かの条件によって喜ぶという習慣を壊し、意識的に喜ぶ力を鍛えるのです。
1ヶ月から3か月続けると、それは習慣になるそうです。
ぜひ、続けてやってみてください。
そこまでやる必要があるのかと思うかもしれませんが、そこまでやらない限り感情に振り回されてしまうようになってしまっているのが、私たちの現状だということなのです。

状況は、もちろん私たちの感情に影響を与えます。
しかし、それに振り回されるのではなく、自ら喜ぶ選択をすることができれば、もっと気持ちが楽になると思いませんか?
そのとき私たちは、単に魅力的な笑顔になるだけでなく、心にもっと余裕を持てるようになり、希望を持つことができるようになります。
そして、危機的状況の中でも、神さまに期待して、喜んでいることができるようになっていくのです。

聖書には、このように書かれています。
イザヤ 62:5 若い男が若い女の夫となるように、あなたの息子たちはあなたの夫となる。花婿が花嫁を喜ぶように、あなたの神はあなたを喜ぶ。

神さまが、私たちのことを喜んでくれているのです。
私たちも、神さまにあって喜ぼうではありませんか。