エゼキエル3:10 『神さまの声を聞く方法』 2019/01/27 松田健太郎牧師

エゼキエル 3:10 その方は私に仰せられた。「人の子よ。わたしがあなたに告げるすべてのことばを、あなたの心に納め、あなたの耳で聞け。皆さんは、神さまの声を聞いたことがありますか?

もし、まだ聞いたことがないなら、神さまの声が聞こえたらいいと思いませんか。
今日は、神さまの声を聞く方法について、皆さんにお伝えしたいと思います。

「神さまの声なんて聞こえるはずがない」と思う方もいらっしゃるかもしれません。
でも聖書では、人が神さまと話す様子が出てきますね。

創世記 2:16 神である【主】は人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。
2:17 しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」

「聖書はそういっているかもしれないけど…」と思うかもしれません。
どうして、私たちには神さまの声が聞こえないのでしょう?
それには理由があります。
ひとことで言うならば、私たちが罪人になってしまったからです。

でもね、「罪人になったから聞こえなくなった」というわけではないんです。
なぜなら、罪人となった後も、神さまはアダムに語りかけているからです。
その子どもカインなんて、弟のアベルを殺して追放された後も、まだ神さまと対話しています。
その後も、ノアや、アブラハムや、モーセなどが神さまと話している様子が聖書の中には描かれていますね。
しかし、神さまが人に語りかけている表現は、どんどん少なくなっていきます。
その辺りに、罪とはどのようなものなのかということが表されているのです。

罪とは何でしょう?
それは、神さまとの関係が壊れた状態のことです。
神さまとの関係が壊れてしまったので、私たちは真の神さまを求めません。
神さまに尋ねることもせず、神さまの御心を知ろうともしません。
例え神さまの側から語りかけても、ほとんどの場合はそれに気づきもせず、反応することもできません。
その代わり、自分にわかりやすい、目に見える形を作り、「神さまはこういうものだ」と勝手に決めつけて自分の思い通りになる偶像を作り出すのです。

では、どうすれば神さまの声を聞くことができるのでしょうか?
それは、神さまを求めて、とにかく神さまに聞いてみることです。
私たちは、そもそも神さまに聞こうとしないから聞こえないのです。
神さまは、私には語らないという信仰を持っているから聞こえないのです。
確かに、聞いてみるという行動だけでは聞こえないかもしれません。
でも、まず神さまが語ってくださるということを信じているのでなければ、聞こえるものも聞こえないのではないでしょうか?

聖書には、このように書かれています。

ヨハネ 10:27 わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。

旧約聖書のヨエル書では、聖霊が注がれるときが来て、その時にはすべての人が神さまの声を聞き分け、神さまからのビジョンを受けるときが来ると預言されていて、それはペンテコステのときに実現しました。
私たちが本当にイエスさまを信じていて、聖霊が与えられているなら、誰でも神さまの声を聞くことができるはずです。
条件は、もうそろっているのです。

とはいえ、私たちは神さまに聞くということに慣れていないので、聞き損じてしまったり、聞き間違えることもあるがあります。
ある人は、その可能性を示唆して、自分で神さまの声を聞こうとするのは危険だから、牧師など訓練を受けた人に任せておくべきだと言います。
でも、指を切る可能性があるからと言って、刃物を使う機会を子どもから奪ってしまったら、その子どもはいつまで経ってもハサミやカッターナイフを使うことができません。
そもそも、牧師や神学生だって、いくらでも間違えることはあります。
間違えることがあったとしても、私たちは神さまの声を聞こうとするべきだし、少しでも正確に受け取るために、私たちは練習をしていく必要があるのです。

そこで、今日は神さまの声を聞く練習方法についてお話ししたいと思います。
さて、練習方法ということですが、そんなに難しいことではありません。
私たちが誰かの声を聞きたいときにどうするかということを考えてみれば、簡単に答えが出ます。
私たちの方から、何か質問してみればいいのです。
ただ、どんな質問をするかということが大切です。
その質問は具体的で、答えを間違いにくく、また例え間違えても問題になりにくいことについて質問することです。
昨年最後の日曜礼拝でも同じことを紹介しましたが、次の5つの質問を神さまに尋ねてみていただきたいのです。

1. 私が24時間以内にしたことの中で、悔い改めるべきことはあるでしょうか?
2. 今日、誰を愛したらいいでしょうか?
3. その人を、どのように愛したらいいでしょうか?
4. 今日、誰に福音を伝えたらいいでしょうか?
5. その人に、どうやって福音を伝えたらいいでしょうか?

単に唱えるのではなく、本気で尋ねることが大切です。
そのとき何かピンとくることがあったら、それは神さまがあなたに示していることである可能性が高いと思います。
また、いろいろ考えている内に、思考が一定の方向に向かうことによって、神さまが何かを示すこともあります。
あるいは、目の前の状況の中に変化が起こることによって、神さまがするべきことを教えてくれることもあります。

聖書の中でも、神さまは様々な方法で語りかけています。
時には燃える柴の中で。
時にはかすかに聞こえる声によって。
はっきりとその声を聞く場合もあります。
大切なのは、その方法がどうであったとしても、神さまが示してくださったなら、その導きに従って実際に行動してみることです。
実際に行動してみない限り、それが正しいかどうかを判断することもできないからです。

この5つのことを毎朝祈って、行動しましょう。
それによって私たちは、神さまの御心に従って行動することができ、さらに御声を聞く耳を養うことができます。
神さまに尋ね、従う経験をすればするほど、神さまとの関係が深まり、神さまの意志をより深く理解することができるようになるのです。

そして、間違えたとしても、この5つの質問の範囲内なら、そんなに大きな迷惑をかけることではないし、自分がそこから受けるダメージも大きくありません。
それどころか、この5つは、神さまが私たちに一番聞いてもらいたい質問だと思います。
私たちが罪から離れ、隣人を愛し、福音を伝えることを、神さまは願っているからです。
だから、神さまは喜んでその質問に答えてくださるはずです。

他に気をつけるべきことがあるとしたら、自分の考えや願いが先に来るのではなく、「神さまのみこころ」が第一になっているということです。
そのためにはしっかり聖書を読み、神さまの価値観を身に着けておくといいですね。
神さまが何を喜び、何を嫌うのかがわかれば、神さまの声はより聞きやすくなり、間違えることも少なくなると思います。
まぁ、とにかく神さまに聞いてみながら覚えていけばいいです。

実は、僕も毎日できているわけではありませんが、これを実践するようになってから、今まで以上にたくさんの人と出会ったり、話したりするようになりました。
先日も、ある人と恋愛の話から神さまの計画の話になり、神さまのことを伝える機会になりました。
現時点では、誰かを信仰告白に導くような場面にはなっていませんが、こういうことの繰り返しの中で、神さまがそのような機会も作ってくださるだろうと思います。

百聞は一見にしかず。実践あるのみ。
まずは、実際にやってみましょう。
今から少し時間を作りますので、ぜひ祈りながら、神さまに尋ねてみてください。
そして、罪が示されたら悔い改め、愛すべき人が示されたら愛し、福音を伝えるべき人が示されたら伝えましょう。
そして、やってみた結果、どんなことが起こったか、来週ぜひ教えてください。
何が起こっても、起こらなくても、実際にやってみた証は、他の人たちへの励ましになるはずです。
楽しみですね、祈りましょう。