士師記1:1-4 『主に尋ねる』 2019/10/22 松田健太郎牧師

*今回は動画を撮ることができませんでした。

士師記 1:1-4
1:1 ヨシュアの死後、イスラエルの子らは【主】に尋ねた。「だれが私たちのために最初に上って行って、カナン人と戦うべきでしょうか。」
1:2 すると、【主】は言われた。「ユダが上って行くべきである。見よ、わたしはその地を彼の手に渡した。」
1:3 ユダは自分の兄弟シメオンに言った。「私と一緒に、私に割り当てられた地に上ってください。私たちはカナン人と戦うのです。私も、あなたに割り当てられた地に一緒に行きます。」そこでシメオンは彼と一緒に行った。
1:4 ユダが上って行くと、【主】はカナン人とペリジ人を彼らの手に渡されたので、彼らはベゼクで一万人を討ち取った。

ついに、今日から新しい場所で礼拝会を行うことになりました。
この場所で神さまのどんな祝福があるか、楽しみですね。
たくさんの出会いや、楽しい出来事が起こることを期待しています。

とは言っても、現時点ではまだ看板もなく、地域の人たちにそれほど宣伝はしていません。
これから1ヶ月くらいの時間をかけて準備して、クリスマス辺りに大掛かりに公開する予定でいます。
今は、言ってみればそのための準備期間ですね。
設備がちゃんと整っているかどうかを確かめながら、いろいろ整えていきましょう。

そのようなわけで、クリスマスのオープン・チャーチまでは、メッセージも準備期間です。
年が明けて2020年には、メッセージも学びも、新しく来られる方たちのために初心者向けのことをいろいろやりたいと思っていますが、それまでは私たち自身を整えるためのことばを受け取っていきたいと思います。
そのために選んだのは、士師記ですね。

これまでの数ヶ月はヨシュア記を通して学んできましたから、士師記は時系列としてもその後の出来事になります。
士師記の内容はどちらかというとネガティブな部分が多いですが、私たちは彼らの失敗から学ぶこともできるのではないかと思います。
それでは早速、士師記から学んでいきましょう。

① 主に尋ねる
さて、今日の聖書箇所をもう一度読んでみましょう。

士師記 1:1 ヨシュアの死後、イスラエルの子らは【主】に尋ねた。「だれが私たちのために最初に上って行って、カナン人と戦うべきでしょうか。」
1:2 すると、【主】は言われた。「ユダが上って行くべきである。見よ、わたしはその地を彼の手に渡した。」
1:3 ユダは自分の兄弟シメオンに言った。「私と一緒に、私に割り当てられた地に上ってください。私たちはカナン人と戦うのです。私も、あなたに割り当てられた地に一緒に行きます。」そこでシメオンは彼と一緒に行った。
1:4 ユダが上って行くと、【主】はカナン人とペリジ人を彼らの手に渡されたので、彼らはベゼクで一万人を討ち取った。

これが、これまでのリーダーだったモーセやヨシュアがしていたことであり、あるべき神さまとの関係です。
ここには大切な3つのことが示されていますが、最初から見ていきましょう。
第一に、「神さまに尋ねる」ということです。

神さまに尋ねるというのは、とても大切な姿勢です。
自分で考え、自分で決めるのではなく、まずは神さまに尋ねてみることです。
それは、全ての主導権を神さまに明け渡すということだからです。

私たちは、いろいろなことに関して、「こうあるべきだ」とか、「これが正解」という答えを決めてしまっているのではないでしょうか?
確かにそれが正しいこともあるでしょうか?
それでも、まずは神さまに尋ねてみてはどうでしょうか?
その中で、思っていたのとは違うことが示されるかもしれません。
危険なのは、「私が答えを知っている」という思い込みです。
本当の答えを知っているのは、いつでも、どんな時でも神さまだけだからです。

② 主は応える
第2に大切なのは、尋ねる私たちに対して、神さまは応えてくださる方だという事です。
私たちは、つい特別な人だけが神さまの声を聞くことができると思いがちです。
でも実際には、誰でも聞くことができます。
事実、ここで神さまに尋ね、神さまの答えを聞いたのは、名も知らないイスラエルの子らです。
イエスさまは、このように言いました。

ヨハネ 10:3 門番は牧者のために門を開き、羊たちはその声を聞き分けます。牧者は自分の羊たちを、それぞれ名を呼んで連れ出します。

聖書の中で、私たちが「羊」として表される場所が何度も出て来ます。
羊は愚かで弱い動物ですが、その中で優れた部分がひとつだけあります。
それは、「羊飼いの声を聞き分ける」ということです。

私たちがイエスさまの羊であるならば、私たちはイエスさまの声を聞き分けます。
確かに、簡単ではない部分もあると思いますが、「神さまの声を聞こう」とし続ける限り、私たちは必ず聞くことができます。
そのためにまず必要なのが、何よりも「神さまに聞く」という姿勢なのです。

神さまは、皆さんに今日、何を語っているでしょうか?
私たちがするべきことは何ですか?
誰を愛し、誰に仕えるべきでしょうか?
どのように愛し、どのように仕えるべきでしょうか?
イスラエルの子らが神さまに尋ねたように、私たちも尋ねましょう。
神さまは、必ず答えてくださるからです。

③ 神さまに従う
「だれが私たちのために最初に上って行って、カナン人と戦うべきでしょうか」というイスラエルの子らの問いかけに対して神さまが答えたのは、「ユダが上って行くべきである。見よ、わたしはその地を彼の手に渡した」ということでした。

ユダ族からは後にダビデが生まれ、イエスさまへと繋がっていく大切な部族です。
荒野でさまよっている間も、彼らが先頭となって移動することが多かったですが、戦いの場に駆り出されることが多かったのもユダ族でした。
そのことを通して彼らは鍛えられ、訓練されていき、力強い部族へと成長していきました。

ちなみに、「ユダ」というのは、「賛美」という意味があるそうで、「賛美」が最初に進んでいくという象徴的な意味もあります。
私たちが何か行動するときにも、常に賛美が前を行く状態でありたいものですね。

さて、ここで大切なのは、イスラエルの子らは神さまが命じたことにすべて従ったという事です。
神さまからの祝福は、私たちが神さまに尋ねたときにあるのでも、神さまの声を聞いたときにあるのでもありません。
神さまの声に従って行動をした時、そこに祝福があるのです。

私たちは、神さまに聞き従っているでしょうか?
尋ねっぱなしにはなっていないでしょうか?
あるいは、神さまの声を聞いても、聞きっぱなしということになってしまっていないでしょうか?
私たちは、神さまの答えを聞いたなら、それに従って行動に移す必要があります。

神さまの答えは、時として私たちが予期しないような答えになる時もあります。
場合によっては、聞きたくないことや、従いたくないことを命じられることもあるかもしれません。
でも私たちは、明確な神さまの声を聞いたなら、恐れず従うことです。
従わなければ神様が与えようとしている祝福は決して訪れないし、従うなら、そこに必ず祝福が伴います。
そして、そこに起こる神さまの御業を通して、それを見る人々もまた、神さまを求めるようになっていくのです。

僕たちがここに引っ越してきた時に、僕が神さまから示されたことがひとつあります。
それは、「この商店街のために仕えなさい」ということです。
具体的に、どのようにこの商店街のために仕えたらいいのか、現時点ではまだわかりませんが、単に神さまのことを伝えるというだけでなく、実際的に商店街の皆さんの役に立つことが求められていると感じています。

皆さんにも、同じようなことや、もっと具体的な何かが示されるかもしれません。
これから少し祈る時間を持ちますので、神さまの御心を求めて祈ってみませんか?
私たちはこの新しい地域で何をして、どのように皆さんの役に立つことができるのか?
どうやって愛を表現するべきか、その答えはすべて、神さまがもっているはずです。
そして神さまの答えを聞いたなら、それに従って行動していこうではありませんか。