マルコ1:14-15 ④『神の国は近づいた』 2019/02/02 松田健太郎牧師
マルコ 1:14-15
1:14 ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えて言われた。
1:15 「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」
今日のところから、準備期間が終わり、イエスさまのキリストとしての活動が始まります。
この箇所を見ていると、イエスさまが活動を始めたのは、バプテスマのヨハネが捕らえられた後だということがわかります。
バプテスマのヨハネが誰に捕らえられたのかと言うと、ユダヤの王だったヘロデです。
なぜ捕らえられたのかと言うと、ヘロデ王が自分の兄弟の妻ヘロディアを奪い、自分の妻としてしまったことをヨハネが非難したからでした。
当時ヨハネはユダヤの人々から絶大な人気を持っていたため、彼の発言の影響力を恐れたヘロデは、ヨハネを捕えてしまったのです。
さて、表舞台から退場したヨハネに替わって、ここからいよいよイエスさまが活動を始めます。
イエスさまの活動とは、どのようなものだったのでしょうか?
イエスさまはこの様に言いました。
「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」(マルコ1:15)
これが、イエスさまがキリストとして活動を始めてから最初の言葉です。
マルコが福音書を書くときに、最初の言葉としてこの言葉を選んだのは、これが最も重要な言葉だったからです。
今日は、この言葉を中心にお話していきましょう。
① 時が満ちた
第一に、「時が満ち」たというのはどういうことでしょう?
それは、神さまが計画していた時が、ついに来たということです。
その計画とは、神さまによる救いの計画です。
何度もお話しているので聞き飽きてきたかもしれませんが、大切なことですから、何度でも同じ話をします。
人類が神さまから離れて罪びととなってしまったとき、その直後から神さまの救いの計画は始まりました。
その後、何度も何度も約束が確認されてきた、「救い主が与えられる」という約束。
その時が満ち、ついに与えられる時が来たのです。
長い間、待ち望み、待ち望み、ついにその時がきた! と言う感じですね。
ユダヤの人々の中には、それほど救い主を待ちわびる心が大きくなっていたのです。
② 神の国は近づいた
イエスさまは次に、「神の国は近づいた」と言いました。
この、「神の国」とは何でしょうか?
実は、「神の国」という言葉は色んな意味を含んだ言葉です。
なるべくシンプルな言葉で言うとしたら、「神の支配があるところ」という意味になります。
つまり、神さまのデザイン通りに人や物事が動き、神さまの計画が実現し、神さまの力がいつでも発揮される所なのです。
今、私たちの世界は、神さまの支配がフルに働く場所ではありません。
私たちは神さまの力を求めないので、神さまの支配からは遠く、むしろ悪魔の力が強く働いてしまっています。
神の国とは、神さまが本来創造されたこの世界の姿、言わば天国なのです。
天国は死んでから行く場所だと思っている人が多いかもしれません。
しかし聖書は、神の国は今生きているこの世界に来るものであり、生きている間にも味わうことができるものだと教えています。
どうすれば、神の国はこの世界に実現すると思いますか?
私たちがいつも神さまの御心を求め、聞き、従うなら、そこに神の国は起こります。
あらゆることに関して、神さまのデザインを探し、考えてみてください。
「私が働くこの仕事は、神さまのデザインではどのようなものだっただろう?」
「この人間関係がどうなることが、神さまの御心だろう?」
「神さまがデザインするこのコミュニティは、どのようなものであるはずだろう?」
私たちが、そういうことを神さまに聞きながら実現していくとき、そこに神の国は起こります。
そして、神さまを知らない人たちにそれを見せていくことが伝道であり、神の国を広げていくことに繋がるのです。
③ 悔い改めて
3番目に、「悔い改める」という言葉が使われています。
悔い改めるという言葉は、「悪い行いを止める決意をすること」のように聞こえるかもしれませんが、聖書の言う悔い改めはそれとは少し違います。
「悔い改め」と翻訳されている言葉の本来の意味は、「方向転換」です。
神さまに背を向けて歩いていた状態から、神さまに向かって歩み始めることを、「悔い改め」というわけです。
その過程で、「悪い行いを悔い改める」ということにもなるだろうとは思いますが、このことばが表していることの中心は、私たちの行いではなく、神さまとの関係にあることを注意しておいてください。
どれだけ悪い行いを止めて、善い行いをするようになったと思っていても、神さまを土台としているのでなければ、自己中心的な善行をすることにしかなりません。
このような善行は、行えば行うほど傲慢になり、自分の正しさを人に押し付け、自分と違う人たちを裁くようになってしまいます。
神さまとの関係が改善されていなければ、あまり意味がないのです。
自分中心から、神さま中心に。
それが、悔い改めの基本です。
④ 福音を信じなさい
最後に、イエスさまは「福音を信じなさい」という言葉を使っています。
「福音」とは、「Good News」を中国語に訳した言葉からきた言葉です。
何が良いニュースなのでしょう。
多くの人たちは、福音とは「イエス・キリストを信じれば、天国に行くことができることだ」と教えられていますが、それはグッドニュースの中のほんの一部に過ぎません。
福音の大切な部分は、「神さまとの関係が回復する」ということです。
人々の中には、長い間「死への恐怖」があったので、そのニーズに応えようとしている内に、それだけが福音であるかのようになってしまったのだと思います。
生きている間にも変化があり、今生きている人生も保証されているからこそ、グッドニュースですね。
私たちは、生きている間神さまと過ごすことができるから、死んでからも神さまと過ごすことができるのです。
しかし、多くのクリスチャンは、せっかく与えられている「今、神さまと共に過ごすことができる」という祝福を、あまり味わっていません。
庭を掘ればすぐに石油の源泉があふれてくるのに、その上にベッドを置いて寝てしまっているようなものです。
「神さまと共に時間を過ごすなんて怖い」という意意見すらあります。
そんなことを言っていたら、天国に行ったら地獄ですよ(笑)。
そこでは、いつでも神さまと顔を合わせるのですから、今から慣れ親しんでおいた方が良いと思います。
神さまとの関係を深くするのは、とってもシンプルで簡単です。
いつも神さまを意識して、神さまに聞き、従うことを習慣にすることです。
イエスさまは、私たちの心の外に立って、扉をたたいて待っています。
黙示録 3:20 見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。
黙示録に記されているこの言葉は、伝道のために使われることが多いですが、本来は熱くもなく、冷たくもなくなったラオデキアの教会に向けて語られた言葉です。
私たちは、イエスさまを心から締め出してしまっていませんか?
イエスさまはもっと、私たちと時間を過ごしたいと願っておられるのです。
まとめましょう。
イエスさまが私たちに伝えたかった最も重要なことは、「約束の時がついに来た」ということ、私たちが「方向転換して神さまに向かい」、「福音を信じて神さまとの関係を深める」なら、「神さまがデザインした神の国がこの世界に満ちていく」ということです。
その福音を、私たちも受け取りましょう。
そしてイエスさまとともに、すぐにでも、神の国を広げる働きに参加しようではありませんか。