マルコ2:18-22 ⑪『新しい生き方』 2020/04/05 松田健太郎牧師

マルコ 2:18-22
2:18 さて、ヨハネの弟子たちとパリサイ人たちは、断食をしていた。そこで、人々はイエスのもとに来て言った。「ヨハネの弟子たちやパリサイ人の弟子たちは断食をしているのに、なぜあなたの弟子たちは断食をしないのですか。」
2:19 イエスは彼らに言われた。「花婿に付き添う友人たちは、花婿が一緒にいる間、断食できるでしょうか。花婿が一緒にいる間は、断食できないのです。
2:20 しかし、彼らから花婿が取り去られる日が来ます。その日には断食をします。
2:21 だれも、真新しい布切れで古い衣に継ぎを当てたりはしません。そんなことをすれば、継ぎ切れが衣を、新しいものが古いものを引き裂き、破れはもっとひどくなります。
2:22 まただれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れたりはしません。そんなことをすれば、ぶどう酒は皮袋を裂き、ぶどう酒も皮袋もだめになります。新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるものです。」

バプテスマのヨハネの弟子たちとパリサイ派の人たちは、断食をしていました。
一方で、イエスさまも、弟子たちもこの時は断食していません。
それを見ていた人々は、イエスさまのところに来てこのように言って、イエスさまたちを批判しました。
「ヨハネの弟子たちやパリサイ人の弟子たちは断食をしているのに、なぜあなたの弟子たちは断食をしないのですか。」

断食をすることは、宗教的で立派な行いと考えられていたのです。
だから、それをしている人たちの方が、イエスさまたちよりも聖くて、素晴らしい人たちに見えたわけです。
「彼らはあんなに頑張っているのに、お前たちはなんだ?」というわけです。

断食自体は、律法にも定められていることでした。
聖書的にも正しいはずなのに、どうしてイエスさまたちはそれをしないのでしょう?
イエスさまは、非難してくる人たちに対して、このように返しました。

2:19 イエスは彼らに言われた。「花婿に付き添う友人たちは、花婿が一緒にいる間、断食できるでしょうか。花婿が一緒にいる間は、断食できないのです。
2:20 しかし、彼らから花婿が取り去られる日が来ます。その日には断食をします。

「断食をすること自体を否定しているのではありません。でも今がその時ではない」と言っているのです。
では、いつ断食するのか?
それは、花婿が取り去れるときです。
「花婿が取り去られる」というのは、イエスさまが十字架にかけられて死ぬということです。
この時にはまだ、その意味を理解する人はいませんでしたが、人々は後になってからそれを知るときがきます。
その時には、みんな悲しくていやでも断食する時が来る。
でも、今はまだその時ではありません。
今は断食をして力を失っている時ではなく、他にするべきことがあるからです。

イエスさまたちにとって、今するべきこと。
それは、一人でも多くのユダヤ人に神の国の訪れを伝えることでした。
そのためには体力も必要だし、神の国の喜びに満たされて欲しかったのです。
どこかに閉じこもって、静かに断食をして過ごしている場合ではない。
それがここでのポイントです。
イエスさまはこのように続けます。

2:21 だれも、真新しい布切れで古い衣に継ぎを当てたりはしません。そんなことをすれば、継ぎ切れが衣を、新しいものが古いものを引き裂き、破れはもっとひどくなります。
2:22 まただれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れたりはしません。そんなことをすれば、ぶどう酒は皮袋を裂き、ぶどう酒も皮袋もだめになります。新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるものです。」

少し解説が必要かもしれません。
最近はそういうことはなくなってきましたが、新しい服を洗うと縮むことがありますよね。
これも最近はあまり見かけませんが、服が破れると同じような布を縫い付けて敗れたところを隠したりします。
しかし、古い服に新しい布で継ぎを当てると、新しい布の部分が縮んでしまったりして、せっかく継ぎを当ててもそこがさらに酷く破れてしまうのです。

同じように、新しいぶどう酒も古い皮袋に入れることはしません。
新しいぶどう酒は発酵しているのでガスが発生します。
新しい皮袋であれば、柔軟なので膨らむくらいで済みますが、固くなった古い皮袋に新しいぶどう酒を入れると、ガスの力で破裂して、ぶどう酒が台無しになってしまうのです。

古いものの中には、素晴らしいものもたくさんあります。
しかし、時代が変わり、環境が変わり、ステージが変わる中で、必要なものが変わっていくことも忘れてはなりません。
中身を新しくするなら、外側も新しくしていく必要があるということです。

それでは、これからグループ分けをしますので、それぞれのグループでディスカッションしていただきたいことが2つあります。
後で簡単に発表していただければと思いますので、そのつもりにしておいてください。
まとまらなかった場合にはパスしていただいても大丈夫です。

① 皆さんの周りで、新しい皮袋を必要としていることはありますか?
本当は必要だけど、変わっていないこともあるかもしれません。
その辺りを含めて考えてみてください。

② 私たちはイエスさまと共に歩み始めるとき、新しい命を得て、新しい生き方をするようになります。
そのために必要なのはどんな皮袋(生き方)ですか?
また、古い皮袋とはどのようなものでしょうか?

どのような話ができましたか?
今は世界が変わろうとしている時なので、新しい皮袋を必要とすることは、これからたくさん出てくるだろうと思います。
教会のあり方、礼拝の仕方もその一つかもしれませんね。

でも、本当に大切なのは、新しい命を受けた私たちがどのように生きていくかと言うことです。
新しい命を受けたのに、古い価値観、古い習慣、古い自分として生き続けてしまってはいないでしょうか?は、
聖書にはこのように書かれています。

2コリント 5:17 ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

新しくされた私たちは、「罪や間違えを起こさなくなった私たち」ではありません。
「優しくて、正しい事しかしなくなった私たち」でもありません。
しかし、神さまと和解し、神さまとの関係に生きる私たちです。

神さまを王として生きる私たちは、どんな風に生きたらいいのでしょうか?
神さまと共に生きる私たちは、このコロナパニックの中で、何をするべきなのでしょうか?
引き続き、考えていきたいですね。
祈りましょう。