マルコ6:1-13 ㉕『伝える相手を見極める』 2020/08/23 けんたろ牧師

マルコ 6:1-13
6:1 イエスはそこを去って郷里に行かれた。弟子たちもついて行った。
6:2 安息日になって、イエスは会堂で教え始められた。それを聞いた多くの人々は驚いて言った。「この人は、こういうことをどこから得たのだろう。この人に与えられた知恵や、その手で行われるこのような力あるわざは、いったい何なのだろう。
6:3 この人は大工ではないか。マリアの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄ではないか。その妹たちも、ここで私たちと一緒にいるではないか。」こうして彼らはイエスにつまずいた。
6:4 イエスは彼らに言われた。「預言者が敬われないのは、自分の郷里、親族、家族の間だけです。」
6:5 それで、何人かの病人に手を置いて癒やされたほかは、そこでは、何も力あるわざを行うことができなかった。
6:6 イエスは彼らの不信仰に驚かれた。それからイエスは、近くの村々を巡って教えられた。
6:7 また、十二人を呼び、二人ずつ遣わし始めて、彼らに汚れた霊を制する権威をお授けになった。
6:8 そして、旅のためには、杖一本のほか何も持たないように、パンも、袋も、胴巻の小銭も持って行かないように、
6:9 履き物ははくように、しかし、下着は二枚着ないようにと命じられた。
6:10 また、彼らに言われた。「どこででも一軒の家に入ったら、そこの土地から出て行くまでは、その家にとどまりなさい。
6:11 あなたがたを受け入れず、あなたがたの言うことを聞かない場所があったなら、そこから出て行くときに、彼らに対する証言として、足の裏のちりを払い落としなさい。」
6:12 こうして十二人は出て行って、人々が悔い改めるように宣べ伝え、
6:13 多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人を癒やした。

ヤイロと長血の女との出会いの後、イエスさまは生まれ故郷であるナザレに向かう。
弟子たちも一緒に行った。
イエスさまは他の場所でもしていたように、ナザレの会堂で話をするが、人々の反応は冷たかった。

6:4 イエスは彼らに言われた。「預言者が敬われないのは、自分の郷里、親族、家族の間だけです。」

① なぜ反応が薄かったのか

6:2 安息日になって、イエスは会堂で教え始められた。それを聞いた多くの人々は驚いて言った。「この人は、こういうことをどこから得たのだろう。この人に与えられた知恵や、その手で行われるこのような力あるわざは、いったい何なのだろう。
6:3 この人は大工ではないか。マリアの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄ではないか。その妹たちも、ここで私たちと一緒にいるではないか。」こうして彼らはイエスにつまずいた。

自分たちは子どものころからイエスを知っていて、特別な人ではないことを知っていると思っていた。

これは、イエスさまが郷里では奇跡や不思議なわざを行ったり、人々に何かを教えたりせず、普通の子ども時代を送っていたことを示唆している。
聖書に記されているのは、イエスさまが生まれたときに起こった不思議な出来事と、子どものころエルサレムの神殿で大人たちに教えたことだけが記されている。

マルコの3章では、兄弟や子供がキリストだということを知っているマリヤでさえ、イエスの変わりように驚き、狂ってしまったのではないかと疑っている。
もしかすると、「イエスがおかしくなった」という噂が家族を通しても広がっていたのかもしれない。


家族や、子ども時代を知っているかどうかというだけでなく、自分の経験や価値観を通してしか物事を見ることができない人たちには、イエスさまが救い主であるということを受け入れることは難しい。

日本人に福音が伝わりにくい理由の一つとしては、「周りを見て合わせる」とか、「個人の意思を尊重しない文化」、「テレビなどメディアの情報を鵜呑みにしてしまう傾向」などがあるかもしれない。

マタイ7:13 狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入って行く者が多いのです。
7:14 いのちに至る門はなんと狭く、その道もなんと細いことでしょう。そして、それを見出す者はわずかです。

神の国へと至る門は狭いので、広い道を選ぶ性質を持つ日本人が救われることは難しい。
それを前提として考える必要がある。

③ 伝える相手を見極める
私たちは特定の相手に救われて欲しいと願うので、身近な人から伝えようとする傾向がある。
「まずは家族から」と思う人たちも多い。
しかしイエスさまは、受け入れない人たちからはすぐに離れ、受け入れる人たちを探し求めることを教えている。

6:11 あなたがたを受け入れず、あなたがたの言うことを聞かない場所があったなら、そこから出て行くときに、彼らに対する証言として、足の裏のちりを払い落としなさい。」

神さまを求めている人たち、神さまを必要としている人たちを最優先すること。
そのためには、より多くの人たちと出会い、より多くの人たちに伝える必要がある。
そうして、「求めている人たち」に伝える経験を通して、「伝えたい人たちに」伝える力も増えていくことになる。
まずは、「時が良くても悪くても伝える」ことが大切なこと。
次回は、どうやって伝えるかということについて考えていこう。