マルコ6:45-56 マルコ㉙『神の国を見失うとき』 2020/09/20 けんたろ牧師

マルコ 6:45-56
6:45 それからすぐに、イエスは弟子たちを無理やり舟に乗り込ませ、向こう岸のベツサイダに先に行かせて、その間に、ご自分は群衆を解散させておられた。
6:46 そして彼らに別れを告げると、祈るために山に向かわれた。
6:47 夕方になったとき、舟は湖の真ん中にあり、イエスだけが陸地におられた。
6:48 イエスは、弟子たちが向かい風のために漕ぎあぐねているのを見て、夜明けが近づいたころ、湖の上を歩いて彼らのところへ行かれた。そばを通り過ぎるおつもりであった。
6:49 しかし、イエスが湖の上を歩いておられるのを見た弟子たちは、幽霊だと思い、叫び声をあげた。
6:50 みなイエスを見ておびえてしまったのである。そこで、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。
6:51 そして、彼らのいる舟に乗り込まれると、風はやんだ。弟子たちは心の中で非常に驚いた。
6:52 彼らはパンのことを理解せず、その心が頑なになっていたからである。
6:53 それから、彼らは湖を渡ってゲネサレの地に着き、舟をつないだ。
6:54 彼らが舟から上がると、人々はすぐにイエスだと気がついた。
6:55 そしてその地方の中を走り回り、どこでもイエスがおられると聞いた場所へ、病人を床に載せて運び始めた。
6:56 村でも町でも里でも、イエスが入って行かれると、人々は病人たちを広場に寝かせ、せめて、衣の房にでもさわらせてやってくださいと懇願した。そして、さわった人たちはみな癒やされた。

派遣された町から帰ってきた弟子たちだったが、人々がイエスさまの元に押し寄せてきて、弟子たちは休む暇もなかった。
集まった人々の前で、イエスさまはパンを裂き、5000人以上の人々が、5つのパンと2匹の魚で腹を満たした、壮大な奇跡が起こった。
これは弟子たちにとっても大きな衝撃を与えた出来事であり、4つの福音書のすべてに登場する唯一の奇蹟である。

① 休息の時
あまりに人が集まって休む間もない弟子たちを休ませるため、イエスさまは弟子たちを無理やり舟に乗せ、向こう岸のベツサイダに送り、ご自分は集まった人々を解散させた。
そしてイエスさまご自身も弟子たちと別れ、父なる神さまと静かな時を過ごした。

私たちには休息の時が必要。
それは、ただ体を休ませるということではなく、神さまとの静かな時間を過ごすこと。
人々から離れ、自然に囲まれ、神さまの声に耳を澄ませることが大切。

② 当惑する弟子たち
しばらく休んで夕方になると、イエスさまが陸にいるのを見て、弟子たちはそちらに向かって舟をこぎ始めたが、向かい風でなかなか進むことができない。
そこでイエスさまは、湖の上を歩いて弟子たちの近くまで来た。
それを見た弟子たちは、幽霊だと思って恐れ、叫び声をあげた。

6:50 みなイエスを見ておびえてしまったのである。そこで、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。

イエスさまが舟に乗ると、風はやんだ。
それを見た弟子たちは心の中で非常に驚いたという。
イエスさまが嵐を止ませるのは、これまでにも見たことがあったはずなのに、どうして弟子たちは驚いたのか?
弟子たちは、イエスさまのことがどんどん分からなくなっていたから。

6:52 彼らはパンのことを理解せず、その心が頑なになっていたからである。

5千人の人々がたった5つのパンと2匹の魚で満たされたことは、それほどまでに大きな衝撃を与えていたのである。

弟子たちの混乱はなぜ起こったのか?
それはもしかすると、彼らが想像していたものとあまりにも違うものだったからかもしれない。
弟子たちは、イエスさまが十字架にかけられる直前でさえ、イエスさまは政治的な王になるのだと思っていた。
彼らが想像していた神の国とは、イエスさまが実践したものとはまるで違うものだったのだろう。

私たちはどうだろうか?
宗教的なキリスト教を考えていると、実はそれはイエスさまが教えている神の国とは違うものになっているかもしれない。
神さまに従っているつもりで、神さまの御心とは違うことをしてしまっている可能性もある。
聖書に帰り、また神さまの声を聞くことによって、本当に必要なことをもう一度考えてみてはどうだろう?

③ 神の国を求める人々
この出来事の後、彼らがゲネサレの地に行ったのは、神さまの絶妙な計画だったのかもしれない。
ゲネサレの人々は、イエスさまを素直に受け入れる協力的な人々だった。

6:54 彼らが舟から上がると、人々はすぐにイエスだと気がついた。
6:55 そしてその地方の中を走り回り、どこでもイエスがおられると聞いた場所へ、病人を床に載せて運び始めた。
6:56 村でも町でも里でも、イエスが入って行かれると、人々は病人たちを広場に寝かせ、せめて、衣の房にでもさわらせてやってくださいと懇願した。そして、さわった人たちはみな癒やされた。

これまで訪れたゲラサの人々のように追い出されることもなく、ナザレのようにつまづいて奇蹟が起こらないわけでもなく、心から信じ、イエスさまを手伝い、心からイエスさまを求める素晴らしい町だった。

この町の滞在を通して、弟子たちの信仰も癒され、自分たちの歩むべき道を見出すことができたのではないだろうか?
私たちも、ゲネサレの人々のように心から求め、神の国を体現するものとなっていきたい。