マルコ8:1-10 マルコ㉞『信仰の再確認』 2020/11/01 けんたろ牧師

マルコ 8:1-10
8:1 そのころ、再び大勢の群衆が集まっていた。食べる物がなかったので、イエスは弟子たちを呼んで言われた。
8:2 「かわいそうに、この群衆はすでに三日間わたしとともにいて、食べる物を持っていないのです。
8:3 空腹のまま家に帰らせたら、途中で動けなくなります。遠くから来ている人もいます。」
8:4 弟子たちは答えた。「こんな人里離れたところで、どこからパンを手に入れて、この人たちに十分食べさせることができるでしょう。」
8:5 すると、イエスはお尋ねになった。「パンはいくつありますか。」弟子たちは「七つあります」と答えた。
8:6 すると、イエスは群衆に地面に座るように命じられた。それから七つのパンを取り、感謝の祈りをささげてからそれを裂き、配るようにと弟子たちにお与えになった。弟子たちはそれを群衆に配った。
8:7 また、小魚が少しあったので、それについて神をほめたたえてから、これも配るように言われた。
8:8 群衆は食べて満腹した。そして余りのパン切れを取り集めると、七つのかごになった。
8:9 そこには、およそ四千人の人々がいた。それからイエスは彼らを解散させ、
8:10 すぐに弟子たちとともに舟に乗り、ダルマヌタ地方に行かれた。

全く同じような出来事が、マルコ6章に出てきたのは記憶に新しい。
しかし、同じような出来事が2回あったことをそのまま記しているところが現実的でもある。
他の福音書の著者たちは、同じような話を繰り返す必要はないと判断したのか、5000人の給食の方しか載せていないが、両方記されている意味もある。

① 信仰の再確認
イエスさまが、この奇跡を2回行ったのはなぜか。
弟子たちに同じような状況を体験させる中で、信仰の再確認をしていたのである。
イエスさまの奇蹟は、単に人々を助けるだけのものではない。
それは神の国を表すしるしとしての奇蹟であり、また弟子たちを育てるためでもある。

配っている内にパンが増えるという不思議な奇跡。
弟子たちはみんなこれを体験して、驚いた。
今回も同じような状況で、同じことが起こると信じることができるか?
それが弟子たちに与えられた課題だった。

② 体験を通して信頼を深める
前回の奇蹟を体験した弟子たちが、同じような状況でまた奇蹟が起こることを信じることができるか?
イエスさまは、弟子たちを試すように、このようにつぶやいた。

マルコ 8:2 「かわいそうに、この群衆はすでに三日間わたしとともにいて、食べる物を持っていないのです。
8:3 空腹のまま家に帰らせたら、途中で動けなくなります。遠くから来ている人もいます。」

「ここにパンが7つあります。前にしてくださったようにパンを祝福してください」という弟子たちの反応を、イエスさまは期待していたのではないか。
しかし弟子たちは、相変わらずポカンとしてこのように答えた。

マルコ 8:4 弟子たちは答えた。「こんな人里離れたところで、どこからパンを手に入れて、この人たちに十分食べさせることができるでしょう。」

奇跡を体験しても、信仰がなければ成長はしない。
成長とは、体験を通して学び、信じる心を持つこと。
神さまを信頼するなら、私たちのはより平安に生きられるようになる。
体験から学ぶことが大切。

③ 弟子として働く
5000人の時にも、今回の4000人の時にも共通して言えることがある。
それは、どちらの場合もイエスさまが奇跡を起こし、弟子たちはそれを手伝ったということ。

マルコ 8:5 すると、イエスはお尋ねになった。「パンはいくつありますか。」弟子たちは「七つあります」と答えた。
8:6 すると、イエスは群衆に地面に座るように命じられた。それから七つのパンを取り、感謝の祈りをささげてからそれを裂き、配るようにと弟子たちにお与えになった。弟子たちはそれを群衆に配った。
8:7 また、小魚が少しあったので、それについて神をほめたたえてから、これも配るように言われた。

奇跡を起こすのは神さまの業であり、私たちの力ではない。
しかし、私たちがそこに関わり、働きをすることをイエスさまは求められる。
弟子たちが配らなければ、パンは増えなかったのではないか。
私たちも、イエスさまに従って行動を始めなければ、奇跡を目撃することはあっても、体験することはできない。

パンの魚はイエスさまが増やしてくださる。
私たちは、それを信じて人々に配ればいい。
人々はそれによって満たされ、満足するだろう。