民数記9:15-23 『あなたの「リーダー」は誰ですか?』 2020/11/08 小林拓馬

20201108【メッセージ】 タイトル:あなたの「リーダー」は誰ですか?

▼聖書:民数記9章15節~23節
15:幕屋が設営された日、雲があかしの天幕である幕屋をおおった。それは、夕方には幕屋の
上にあって朝まで火のようであった。
16:いつもこのようであって、昼は雲がそれをおおい、夜は火のように見えた。
17:いつでも雲が天幕から上るときには、その後でイスラエルの子らは旅立った。また、雲が
とどまるその場所で、イスラエルの子らは宿営した。
18:主の命によりイスラエルの子らは旅立ち、主の命により宿営した。雲が幕屋の上にとど
まっている間、彼らは宿営した。
19:雲が長い間、幕屋の上にとどまるときには、イスラエルの子らは主への務めを守って、旅
立たなかった。
20:また、雲がわずかの間しか幕屋の上にとどまらないことがあっても、彼らは主の命により
宿営し、主の命により旅立った。
21:雲が夕方から朝までとどまるようなときがあっても、朝になって雲が上れば、彼らは旅
立った。昼でも夜でも、雲が上れば旅立った。
22:二日でも、一月でも、あるいは一年でも、雲が幕屋の上にとどまって、去らなければ、イ
スラエルの子らは宿営を続けて旅立たなかった。しかし、雲が上ったときは旅立った。
23:彼らは主の命により宿営し、主の命により旅だった。彼らはモーセを通して示された主の
命により、主への務めを守った。

▼イントロ
<アメリカ大統領選挙>
アメリカ大統領選挙がありましたね。結果は@@@氏の勝利となりましたが(日曜までに決ま
るのか?!)、最後まで大接戦で、結果がなかなか確定しないといった状況が続きました。みな
さんも手に汗握ってテレビやインターネットで見ていたのではないでしょうか。
一歩立ち止まると、不思議じゃありませんか? なぜ、他の国のリーダーを決める選挙なのに、
日本でも、世界中でも大きく報道されているのでしょうか? なぜ、皆手に汗握って経過を見てい
るのでしょうか? これだけ皆が関心を持ってニュースを見ることも珍しいことです
その理由は、やはり、どんなに小さくても「自分の生活に関係があるから」ではないでしょう
か。アメリカのリーダーが誰になるか、共和党、民主党どちらの政党の大統領になるかで、世界に
大きな影響があります。中国やロシアとの関係。環境問題どうなるのか。そして、イスラエルに大
きく関わる中東情勢。全てアメリカが関係してきます。やはり、名実ともにアメリカは世界のリー
ダーシップをとっているといっていいでしょう。
★ここから、「リーダーが誰になるかは、大きな影響力を持っている」といえると思います。

<あなたのリーダーは?>
ここで、みなさんに質問をしたいと思います。みなさんには答えを書いてもらいます。会堂にい
る方は、メモを出してください。スマホのメモでもいいです。ない方は頭の中のメモ帳で結構で
す。ZOOMの方は、答えをチャットに書き込んでみてくださいね。周りの様子を見ずに書いてい
ただけると嬉しいです。また、正解も不正解もない質問なので、直感で書き込んでくださいね。よ
ろしいでしょうか。

▼ひとつめの質問です。「あなたの『家庭』のリーダーは誰ですか?」どうぞ。

(書いてもらう)(リアクションを1、2読み上げて、コメント)

▼いろいろな意見がありましたね。それでは、2つ目の質問です。「あなたの『職場』のリーダー
は誰ですか?」どうぞ。

(書いてもらう)(リアクションを1、2読み上げて、コメント)

▼最後の質問です。「あなたの『人生』のリーダーは誰ですか?」どうぞ。

(書いてもらう)(リアクションを1、2読み上げて、コメント)

はい、ありがとうございました。
クリスチャンとしては、みなさん模範解答でしたが、やはり神様、イエス・キリストが私たちの
人生のリーダーですね。

<リーダーとはどんな存在か>
それでは、リーダーとはどんな存在でしょうか? 先ほどみなさんに色々書いていただきました
が、リーダーとはどんな存在か考えてみてください。
指示を出す人。目的のために道筋を定める人。意思決定をする人。メンバーを支える人。仕え
る人。いろんな意見があると思います。イエスは「みなの先頭に立ちたいと思う者は(リー
ダー)、みなのしもべになりなさい」(マルコ10:44)とも言いました。
リーダーに従う者の視点でも考えてみましょう。やはり「自分がついていきたいと思う人」「自
分が耳を傾けたいと思う人」「生き方・考え方に影響を与える存在」といえるのではないでしょ
うか。そして、リーダーはあなた個人、そしてコミュニティ全体に影響を与える存在ともいえると
思います。当たり前の話ですが、良いリーダーに従えばそのグループは栄え、悪いリーダーに従え
ば滅びます。★リーダーは、あなたに良くも悪くも、影響力を持つ存在なのです。

今回は、この「リーダー」にまつわる3つの話から、3つのポイントを学びたいと思います。

▼1:イスラエルの民から学ぶこと

<イスラエルの民はいつも神の導きに従った>
きょうの聖書箇所の最後の部分をもう一度読みたいと思います。

23:彼らは主の命により宿営し、主の命により旅だった。彼らはモーセを通して示された主の
命により、主への務めを守った。
(民数記9章23節)

イスラエルの民は、エジプトを出た後で、神様の栄光の現れである「雲の柱」と「火の柱」にそっ
て進みました。日中は「雲の柱」が、夜間は「火の柱」がそれぞれ立ち上り、それらが留まれば
その場所に留まり、それが動き出せばそれについていくように動いていたのです。ちょうど、赤
ちゃんがお父さんとお母さんの足にしがみついてついてくるようなものですね。
イスラエルの民のリーダーは、モーセでしたが、本質的には神様がイスラエルの民のリーダーで
した。彼らは物理的にも、神様の命令どおりに進み、モーセを通して示された神の掟と定めを
守っていました。「主」ご自身が、イスラエルの民を導く「リーダー」だったのです。
そんなイスラエルの民が、「リーダー」の変更を申し入れた出来事がありました。それは、イ
スラエルの民が預言者サムエルに「王」を求めたシーンです。

<サムエル記第一 8:5~7>
8:4 イスラエルの長老たちはみな集まり、ラマにいるサムエルのところにやって来て、
8:5 彼に言った。「ご覧ください。あなたはお年を召し、ご子息たちはあなたの道を歩んでいま
せん。どうか今、ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください。」
8:6 彼らが、「私たちをさばく王を私たちに与えてください」と言ったとき、そのことばはサムエ
ルの目には悪しきことであった。それでサムエルは主に祈った。
8:7 主はサムエルに言われた。「民があなたに言うことは何であれ、それを聞き入れよ。なぜな
ら彼らは、あなたを拒んだのではなく、わたしが王として彼らを治めることを拒んだのだから」

イスラエルには「王」はいませんでした。アブラハムと契約を結んだときから、民がエジプトに
行ってからも、出てからも、ずっとイスラエルの民を導いていたのは「主」ご自身でした。主こそ、
この民の王だったのです。「王」という存在がなくとも、イスラエルにはモーセ、アロン、カレブ、
ヨシュア、そして数々の「士師」と呼ばれるリーダーを通して、主ご自身が民を治めてきました。
しかし、このとき、イスラエルの民は「ほかのすべての国民のように」「私たちをさばく王を立
ててください」と預言者サムエルに求めました。★イスラエルの民は、人間の「王」を求めるこ
とによって「主が王として治めることを拒んだ」のです。

どんなときにこの過ちは起こったのでしょうか。★それは「周辺諸国と自分たち」を比べたと
きでした。「ほかのすべての国民のように」というのが彼らが求めたことでした。イスラエルは
約束の地に到着した。そして周辺諸国を見回してみた。すると、どうでしょう。他の民には
「王」がいました。強い「将軍」がいました。
こうして、イスラエルの民は「周りと自分たちを比べることによって」、主を拒んでしまったの
です。
私たちはどうでしょうか。自分のまわりの人と、自分自身の状況や境遇を比べてしまうときは
ないでしょうか? ビジネスで成功している人を見て、「ああなりたい」と思ったことはないで
しょうか。結構なことです。しかし、どうでしょう。ビジネス書を読み。セミナーに通い。彼ら
の成功体験に耳を傾けていきます。いつしか、聖書を読む時間を忘れ、祈る時間を忘れ、神様と
ときを過ごすことを忘れていきます。いつの間にか、自分のリーダーが「神様」ではなく、「その
人が言っていること」にすり替わっていきます。
広告はどうでしょうか。電車に乗ると、様々な「社会的なメッセージ」が目に飛び込んできま
す。「痩せなくちゃ」「脱毛しなきゃ」「英語できなきゃ」というイメージを、広告が刷り込んで
きます。今やクリスチャンも二分してしまう、ジェンダーやモラル、いのちの問題についても、聖
書に書いてあるものと、違った価値観を訴えてきます。自分はこの社会と違うかもしれない。ズレ
ているのかもしれない。そう思ったときに、自分の「心の中の王様」をすり替えてしまう危険は
ないでしょうか。
有名な牧師や、クリスチャン書籍も、十分罠になりえます。牧師も人間ですから、間違えるとき
もあります。アメリカでは、コロナは流行らないと神様の名前によって宣言した牧師や教会がいく
つもありました。結果的には20万人以上が亡くなりました。また、有名なクリスチャンが書い
た本であっても、それは「人」が書いた本です。いつの間にか、聖書よりもその牧師の意見や書
籍に書いてあることを重要視してしまうと、自分の中の「王様」をすり替えてしまうことになりか
ねません。

誤解してほしくありませんが、勉強することはいいことです。ビジネス書で勉強したり、セミ
ナーに通ったり、努力することはいいことです。宣伝されているものを楽しみ、パウロがそうし
たように世の中の人の考えを理解しようと務めることはとても大切です。牧師さんのメッセージ
を聞き、クリスチャンの書籍を読んで学ぶことはとても有益です。

★モーセも、神様の導きを求めつつも、荒野での生活に慣れている、ミデヤン人のしゅうとの
イテロやイテロの子のホバブの意見を採用していましたね。民数記10章などに書いてありま
す。

しかし、それらが「神様」「イエス様」よりも上に来てしまうと、注意が必要です。「聖書」
よりも大事になってしまうと危険です。それは、周辺諸国を自分たちを見比べ、「王」を求めて
しまったイスラエルの民と同じ過ちを繰り返すことになりかねません。

ひとつ目のポイントは:
まわりと自分を比べるときに「自分のリーダー」が変わってしまいやすい

▼2:サウル王から学ぶこと
ふたつ目のポイントです。
サウル王の例から学びたいと思います。サウル王は立候補したわけではなく、神様に選ばれて王
になりました。自分で望んで王になったのではなく、ロバを探しに行ったら、なんかわけわかん
ないおじいさんに「王になる」とか言われて、あれよあれよという間に王様になっちゃったんで
す。
みなさんも、自分が望まないポジションになったことはありませんか? 僕は、中学校のときに
生徒会長だったのですが、はじめは担任の先生が「対立候補がいないとダメだ」と、半ば無理や
り立候補させられて「どうせ落ちるから大丈夫」とか失礼なことを言われて、結果的になぜか選
ばれてしまったのです。教会でも、もしかすると本当はやりたくないのに「あの子は若いから」
とかいう理由でやらなきゃいけなくなることもあると聞きますね(笑)

さて、サウルは長身のイケメンだったと聖書に書いてありますが、あまり自分には自信がな
かったようです。王に選ばれたときも、隠れちゃうくらい。しかし、そんな彼も「王様」として
君臨していくうちに、だんだんと高慢になっていったようです。例えば、戦いに出ていかない部族
を脅したり、聖絶すべきいけにえを聖絶しなかったり、自分より有名になっていったダビデを殺
そうとしたりと、彼の態度は急変していきました。
しかし、決定的だったのが、資格がないのにも関わらず、いけにえをささげた事件です。サムエ
ル記第一の13章に書いてあります。当時、全焼のいけにえをささげることができたのは、祭司だ
けでした。サウルにはその資格がありませんでした。しかし、ペリシテ人との戦いのときに、例
祭の日になっても、いけにえをささげる資格のあるサムエルが現れませんでした。7日も遅刻する
なんて、ひどいですね(笑)
ペリシテ人はミクマスという場所に集まり、今にもイスラエルを攻撃してきそうな様子です。戦
いの前にどうしても、全焼のいけにえをささげてから、神様へのおうかがいを立ててから出陣し
たかった。サウルは自信もなかったし、だけどもサムエルを待つ忍耐もなかったのです。結果とし
て、これが神様との関係が完全に断ち切られる原因となったのでした。

<サムエル記第一 13章13~14>
サムエルはサウルに言った。「愚かなことをしたものだ。あなたは、あなたの神、主が命じた命
令を守らなかった。主は今、イスラエルにあなたの王国を永遠に確立されたであろうに。しか
し、今や、あなたの王国は立たない。主はご自分の心にかなう人を求め、主はその人をご自分の
民の君主に任命しておられる。主があなたに命じられたことを、あなたが守らなかったからだ」

サウルがこのような失敗をしてしまったのは、どんなときだったでしょうか。それは、ペリシ
テ人、つまり「敵が迫ってきたとき」でした。サウルはどんな気持ちだったでしょうか。★とて
も不安だったに違いありません。そうです。人は何かトラブルに巻き込まれて、大変なことがあ
り、「不安」になると判断ミスをしやすいのです。そういうときに、自分以外のものに頼ろうと
してしまう傾向があるのです。
例えば、身近にもそういうものがありますよね。オンラインショッピングをしていると、「在
庫残り2つ! お早めに!」とか、楽天トラベルでホテルを探すと「残り1部屋です!」とか。「も
うなくなってしまうかもしれない」という「不安」を煽って、ポチっとボタンを押させる仕組み
です。届いてみると、「あれ、これ必要なかったな」という買い物をしてしまったこと、ありませ
んか? 他にも、「オレオレ詐欺」「還付金詐欺」「水道工事の詐欺」「過払い金請求」などな
ど、世の中には「不安」を煽る詐欺や商法がたくさんあります。
大学で学んだ論文では、戦争の理由として「不安」が挙げられていました。★「不安」は判断
力をにぶらせ、誰がリーダーかを忘れさせる力があるのです。サウルは、その試練を乗り越えられ
ず、神様が定めた掟ではなく、自分の判断を基準にしてしまったのです。

反対に、「不安」におそわれたときに、神様を見上げたリーダーもいました。
ギデオンは、士師として民のリーダーに選ばれると神様に告げられたとき、2回神様に「本当に
そうなのか、しるしをください」とお願いしました。神様はそれを聞かれて、羽毛に露がおりる
とか、おりないとかそういう「しるし」を見せて下いました。ギデオンは「不安」を抱いていま
したが、神様に答えを求めました。
ダビデは、サウルに何度も殺されそうになりました。息子のアブサロムにも命を狙われまし
た。何度も絶望的な状況になったでしょう。しかし、ダビデはそんな状況で、何度も、何度も、
主に対して希望を告白しました。ダビデは神様を常に見上げていたのです。

<詩篇3編1~4>
1:主よ なんと私の敵が多くなり 私に向かい立つ者が多くいることでしょう。
2:多くの者が私のたましいのことを言っています。 「彼には神の救いがない」と。 セラ
3:しかし 主よ あなたこそ 私の周りを囲む盾 私の栄光 私の頭を上げる方。
4:私は声をあげて主を呼び求める。 すると 主はその聖なる山から私に答えてくださる。
セラ

パウロも、何度も命の危険に遭遇しました。

<コリント人への手紙第二 11:23~27>
23:彼らはキリストのしもべですか。私は狂気したように言いますが、私は彼ら以上にそうで
す。労苦したことはずっと多く、牢に入れられたこともずっと多く、むち打たれたことははるかに
多く、死に直面したこともたびたびありました。
24:ユダヤ人から四十に一つ足りないむちを受けたことが五度、
25:ローマ人にむちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度、
一昼夜、海上を漂ったこともあります。
26:何度も旅をし、川の難、盗賊の難、同胞から受ける難、異邦人から受ける難、町での難、
荒野での難、海上の難、偽兄弟による難にあい、
27:労し苦しみ、たびたび眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さの中に裸
でいたこともありました。

パウロはこのような状況に直面しても、なおも神様の声に従いました。彼は常に、イエス様が
送ってくださった「聖霊」に耳を傾けて行動したのです。まさに、「リーダー」である神様ご自身
の導き、語りかけに耳を傾けたのでした。

ふたつめのポイント:人は「不安」になると判断を間違え「誰がリーダーか」を忘れやすい。
「不安」なときこそ、本当のリーダーである神、イエスに目を向ける必要がある

▼3:イエスの弟子から学ぶこと
最後のポイントです。
イエスの弟子たちは、イエスをどんな「リーダー」だと思っていたでしょうか。前の健太郎さ
んのマルコのシリーズでもあったと思いますが、弟子たちはイエス様を私たちのような「救い主」
とは思っていませんでした。もちろん「救い主」とは思っていたのかもしれませんが、そのイメー
ジは違いました。
イエスの弟子たちは、イエスをローマの支配からユダヤ人を解放し、ユダヤ国家を建国する、
物理的な王様だと認識していました。ですから、イエスが、「いやいや、そうじゃない。俺は捕
らえられて殺される」といったとき、弟子たちのショックは大きかったでしょう。だからペテロ
も「そんなことあるはずがない」と思わずイエスを諌めたのでした。そして、イエスに「下がれ、
サタン」と言われてしまうのですが……
イエスは、弟子たちが期待したような「王様」にはなりませんでした。むしろ捕らえられ、な
ぐられ、つばをかけられ、ムチを打たれ、でも何も言い返さない。そんな弱い姿になられまし
た。弟子たちが期待したような、ローマを倒すような強いリーダーの姿は、そこにはありませんで
した。
★弟子たちは、「間違った期待」をイエスに寄せていたのです。

その結果、どうなったでしょうか。イエスが捕らえられるとすぐに、弟子たちは散り散りにな
り、逃げてしまいました。ある人は裸で逃げてしまいました。ペテロに至っては何度もイエスを
「知らない」と言って裏切りました。「間違った期待」をリーダーに寄せてしまうと、たとえ正
しい対象をリーダーだと思っても、ズレた期待を寄せてしまうと道を踏み外してしまうこともあ
るのです。

では、私たちクリスチャンは、何に希望をおいているのでしょうか? 考えてみてください。先
程と同様に、メモがある人はメモを。ZOOMの方はコメントしてみてください。

(考えてもらう)
(予想:罪の許し、天国、復活、神の全能の力……などなど)

たくさんの意見ありましたね。ありがとうございます。

聖書を見てみましょう。

<コリント人への手紙第一 15:19~20>
もし私たちが、この地上のいのちにおいてのみ、キリストに望みを抱いているのなら、私たちは
すべての人の中で一番哀れな者です。しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中か
らよみがえられました。

<使徒の働き 1:10~11>
イエスが上って行かれるとき、使徒たちは天を見つめていた。すると見よ、白い衣を着た二人の
人が、彼らのそばに立っていた。そしてこう言った。「ガリラヤの人たち、どうして天を見上げて
立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行くのをあな
たがたが見たのと同じ有様で、またおいでになります。

<ヨハネの福音書 14:2~3>
わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を
用意しに行く、と言ったでしょうか。わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来
て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにす
るためです。

<テサロニケ人への手紙第一 4:16~17>
すなわち、号令と御使いのかしらの声と紙のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来
られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、それから生き残っている私たちが、彼
らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主
とともにいることになります。

聖書には、イエスが肉体を持って復活したこと。天にのぼったこと。私たちのために場所を備
えておられること。同じ状態でまた帰ってくること。私達は引き上げられ、空中で主とお会いする
こと。そして、この地上で、新しいエルサレム、新しい天と地が造られ、イエスご自身が王として
治めることが書かれています。
そうです。「イエスが帰ってくる」。これこそがクリスチャンの希望です。ただイエス様を信じ
れば、罪が赦されて天国にいける。それだけがクリスチャンの希望じゃないんです。むしろ、「天
国に行く」のではなく、イエスが帰ってきて、本当の王としてこの世界を治める。これこそがクリ
スチャンの希望なのです。

私たちは、私たちの家庭のリーダー、職場のリーダー、人生のリーダーに「ふさわしい希望」を
抱いているでしょうか。クリスチャンとして、単に「天国に行ける」という希望だけを抱いていな
いでしょうか。実は、イエス様は帰ってきます。しかも、全世界がそれを見ると聖書に書いてあり
ます。聖書時代は誇張に聞こえたかもしれません。しかし、現在、全世界が同時中継で何かを見
ることは技術的にも、現実的にも可能ではないでしょうか。まさに、ハッキリと、全世界の人が
イエス様が帰ってくることを目撃するのです。その希望を、忘れないようにしましょう。

ポイント3:リーダーに適切な希望を置くことは重要である。クリスチャンの希望はイエスがま
た帰ってきて、新しいエルサレム、新しい天地を想像し、王として君臨するという希望である

▼まとめ
・リーダーは個人にもコミュニティにも影響を及ぼす、重要な存在
・リーダーに関係する3つのポイント
1:周囲と比べて迷わない
2:不安なときこそ神に頼る
3:「再臨」という希望を持つ

・あなたの人生のリーダーはイエス・キリストです。

(おわり)