マルコ10:1-12 『一体となって生きる』 2021/01/24 けんたろ牧師

マルコ 10:1-12
10:1 イエスは立ち上がり、そこからユダヤ地方とヨルダンの川向こうに行かれた。群衆がまたイエスのもとに集まって来たので、再びいつものように彼らを教え始められた。
10:2 すると、パリサイ人たちがやって来て、イエスを試みるために、夫が妻を離縁することは律法にかなっているかどうかと質問した。
10:3 イエスは答えられた。「モーセはあなたがたに何と命じていますか。」
10:4 彼らは言った。「モーセは、離縁状を書いて妻を離縁することを許しました。」
10:5 イエスは言われた。「モーセは、あなたがたの心が頑ななので、この戒めをあなたがたに書いたのです。
10:6 しかし、創造のはじめから、神は彼らを男と女に造られました。
10:7 『それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、
10:8 ふたりは一体となる』のです。ですから、彼らはもはやふたりではなく、一体なのです。
10:9 こういうわけで、神が結び合わせたものを、人が引き離してはなりません。」
10:10 家に入ると、弟子たちは再びこの問題についてイエスに尋ねた。
10:11 イエスは彼らに言われた。「だれでも、自分の妻を離縁し、別の女を妻にする者は、妻に対して姦淫を犯すのです。
10:12 妻も、夫を離縁して別の男に嫁ぐなら、姦淫を犯すのです。」

弟子たちを教えられたイエスさまは、ガリラヤを通り過ぎてユダヤ地方に行き、ヨルダン川の向こうに行かれた。(ペレア地方?)
そこには、イエスを試みようとするパリサイ派のユダヤ教徒たちの姿があった。
イエスの評判を落とし、あわよくば殺してしまおうとする彼らの働きはどんどん激しさを増していく。
イエスさまは、どのようにして彼らに応えていくのか?

① 結婚と離縁について
パリサイ派の人々は、夫が妻を離縁することが律法にかなっているかどうかという質問をイエスさまにした。
これは相談ではなく、イエスを試みるための質問。
そのように離縁された女たちによりそうイエスさまを見ていたのかもしれない。

イエスさまは、直接は答えず、聖書にはなんと書かれているかを問い返す。
そこでパリサイ人は「モーセは、離縁状を書いて妻を離縁することを許しました。」(マルコ10:4)と答えた。
「律法は、夫が妻を離縁する権利を与えているのだから、女の側に立ってとやかく言うな。」というわけである。

そこでイエスさまは、このように話した。

イエスは言われた。「モーセは、あなたがたの心が頑ななので、この戒めをあなたがたに書いたのです。しかし、創造のはじめから、神は彼らを男と女に造られました。『それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となる』のです。ですから、彼らはもはやふたりではなく、一体なのです。こういうわけで、神が結び合わせたものを、人が引き離してはなりません。」(マルコ10:5-9)

律法が定められたのは、「離縁状を書けば離縁をしてもいい」ということではなく、自分の都合で娶ったり別れたりすることに歯止めをかけるためだった。
ところが人々は、さらにこれを自分の都合に合わせて解釈したのである。

私たちは、自分の都合で律法を考え、「どこまでなら許されるか」というギリギリを求め、抜け道を探そうとする。
しかし、私たちが求めるべきは「どの方向に向かうか」であって、「どこまでなら大丈夫か」ではない。

② 律法を破ってしまったら
では、律法を破ってしまったらどうすればいいのか?
意図せずに、あるいは「わかってはいてもつい」律法を破ってしまうことは私たちにもある。
多くの場合、その反応は二つに分かれる。

一つは、自分の都合に合わせて解釈し、「それは罪ではない」という反応。
これがパリサイ人の反応であり、多くのクリスチャンの中で現代も起こっていること。
二つ目の反応は、自分を責めて嘆き悲しむこと。
これは、日本人のクリスチャンにはありがちな反応かもしれない。
場合によっては教会から責められることもあり、これを通して教会から離れてしまう糸たちがたくさんいる。
そして、その人たちの多くは、信仰は持ち、イエスさまを愛しながらも、自分を責め続けて自分がクリスチャンであることを人にも言えないという状態になっている。
どちらも、神さまの御心ではない。

律法によって表されているのは、私たちがどれだけ神の御心から離れた存在かということ。
そして聖書が私たちに教えているのは、イエスさまの十字架によって私たちの罪は贖われたのだということである。
全ての人に罪の赦しと贖いが必要。
私たちは、自らの幸せのためにも、神さまが喜ぶ生き方を求めつつ、失敗した時には神さまの愛と赦しに感謝をし、喜ぶことが大切。
そのことをとおして、私たちと神さまとの関係はさらに深まる。
神さまが最も私たちに求めているのは、私たちが正しい生活をすることよりも、私たちが神さまと深い関係を築きながらともに生きていくことである。

③ なぜ別れてはいけないのか
最後に、離縁に対して神さまが厳しいのはなぜか?
それは、神さまが私たちを花嫁として見てくださっているから。

結婚は、神さまと私たちとの関係に繋がる大切な奥義。
結婚することによって男と女が一つとされるように、イエスさまが私たちと結び合って一つとなってくださる。

イエスさまの側が、私たちに飽きたり、気に食わないからと言って私たちを見捨てることは決してないし、私たちからも離れないで欲しいと願っている。
どんなにいたらず、失敗や不品行さえたくさんある私たちを決して見捨てないでいてくださるイエスさまの愛に感謝しよう。
そして、心から喜んで、イエスさまと一体になって生きることを求めていこう。
その生き方は、私たちに素晴らしい幸せをもたらしてくれるだろう。

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