マルコ11:20-25 『マルコ㊿ 祈りが聞かれる方法』 2021/03/28 けんたろ牧師

マルコ 11:20-25
11:20 さて、朝早く、彼らが通りがかりにいちじくの木を見ると、それは根元から枯れていた。
11:21 ペテロは思い出して、イエスに言った。「先生、ご覧ください。あなたがのろわれた、いちじくの木が枯れています。」
11:22 イエスは弟子たちに答えられた。「神を信じなさい。
11:23 まことに、あなたがたに言います。この山に向かい、『立ち上がって、海に入れ』と言い、心の中で疑わずに、自分の言ったとおりになると信じる者には、そのとおりになります。
11:24 ですから、あなたがたに言います。あなたがたが祈り求めるものは何でも、すでに得たと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。
11:25 また、祈るために立ち上がるとき、だれかに対し恨んでいることがあるなら、赦しなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの過ちを赦してくださいます。」

イエスさまが、葉を茂らせているけれど実を成らせないいちじくの木を呪うと、そのいちじくの木は枯れてしまった。
それは、救い主を求めているようで全く神さまから離れてしまっているユダヤの状況を象徴し、これから起こる滅びを預言した出来事だった。
しかし、それを見た弟子たちは、その奇蹟に純粋に驚きを感じた。
イエスさまは、祈りが現実のものとなるための方法について、弟子たちに教えている。

① 信仰は山をも動かす
まず知っておく必要があるのは、神に限界はないということ。

11:22 イエスは弟子たちに答えられた。「神を信じなさい。
11:23 まことに、あなたがたに言います。この山に向かい、『立ち上がって、海に入れ』と言い、心の中で疑わずに、自分の言ったとおりになると信じる者には、そのとおりになります。

私たちの神は、世界を創造した神。
宇宙の端までの膨大な大きさのものを創造し、原子や電子のレベルの極小のものを創造した方。
私たちが考えうる限り、能力として不足するということはありえない。
すべてのことは、神さまの支配の中で起こることである。

② 疑わないで信じる
神さまに限界がないということを前提としたうえで、次に大切なのは、私たちが疑わずに信じること。

11:23 まことに、あなたがたに言います。この山に向かい、『立ち上がって、海に入れ』と言い、心の中で疑わずに、自分の言ったとおりになると信じる者には、そのとおりになります。
11:24 ですから、あなたがたに言います。あなたがたが祈り求めるものは何でも、すでに得たと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。

間違えてはならないのは、山を動かす力を持っているのは、私たちではなく神さまだということ。
私たちには大した力はないが、神に不可能はない。
ここでのポイントは、頑張って信じる力を強くするということではなく、限界のない神さまを信じて信頼するということ。
この信仰が前提としてなければ、祈りが実現することもない。

忘れてはならないもう一つのことは、山を動かすのが私たちの力ではなく神さまの力である以上、それが神さまの心に適うものでなければものでなければならないということ。

実現するのは私たちの願いではなく、神さまの願いである。
だから私たちの願いが、神さまの願いと一致していくことが重要となる。
神さまが願うことを私たちが祈るなら、その祈りは必ず聞かれることになる。

③ 心を整える
私たちの心が重要であることを、イエスさまはこのように話している。

11:25 また、祈るために立ち上がるとき、だれかに対し恨んでいることがあるなら、赦しなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの過ちを赦してくださいます。」

恨みや憎しみなどの強い感情を抱きながら、神さまの心と一致することはできない。
神は愛であり、怒ることはあっても赦す方であり、ともにおられる方だから。
逆もまた然り。

マタイ 5:23 ですから、祭壇の上にささげ物を献げようとしているときに、兄弟が自分を恨んでいることを思い出したなら、
5:24 ささげ物はそこに、祭壇の前に置き、行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから戻って、そのささげ物を献げなさい。

人を恨み、恨まれるという関係の中に神の御心はないことがわかる。
私たちは神を愛し、人を愛することを教えられているのだから、当然と言えば当然なのかもしれない。

しかし、本当に大切なのは「何をするか」「何をしないか」よりも、神の心と一致していくこと。
「~しよう」「~をやめよう」と思って決心しても、できるものではない。
行動に目を向けるよりも、神さまとの関係に目を向けるべき。
いつも神さまを身近に感じ、神さまが喜ぶものを探し、神さまが悲しむから離れていく。
聖書からも神さまの心を学ぶことができる。
わからないこと、できないことは神さまに直接尋ね、何より多くの時間を共に過ごすこと。

それは、いつも教会に行くとか、いつも聖書を読むとか、いつも祈りの時間を持つということよりも、普段からどれだけ神さまとお話ししているかということ。
宗教的な時間より、何でもない普通の時間から神さまとともにいるかどうかが大切。
くだらないこと、どうでもいいことこそ、神さまと対話しながら進めていこう。

そして、従うことが難しいと感じるときにも、そのことを祈り求めよう。
難しいときには、一つ一つのステップを教えてもらおう。
今できる範囲のことから始めていくことが大切。
山が動くときにも、ひとつの石から始まるかもしれない。
大切なのは、信じ、導きに従って一歩を踏み出すこと。