マルコ12:13-17 53『クリスチャンの社会的責任』 2021/05/02 けんたろ牧師

マルコ 12:13-17
12:13 さて、彼らはイエスのことばじりをとらえようとして、パリサイ人とヘロデ党の者を数人、イエスのところに遣わした。
12:14 その人たちはやって来てイエスに言った。「先生。私たちは、あなたが真実な方で、だれにも遠慮しない方だと知っております。人の顔色を見ず、真理に基づいて神の道を教えておられるからです。ところで、カエサルに税金を納めることは、律法にかなっているでしょうか、いないでしょうか。納めるべきでしょうか、納めるべきでないでしょうか。」
12:15 イエスは彼らの欺瞞を見抜いて言われた。「なぜわたしを試すのですか。デナリ銀貨を持って来て見せなさい。」
12:16 彼らが持って来ると、イエスは言われた。「これは、だれの肖像と銘ですか。」彼らは、「カエサルのです」と言った。
12:17 するとイエスは言われた。「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい。」彼らはイエスのことばに驚嘆した。

さて、祭司長たち、律法学者たち、長老たちは何とかイエスのしっぽをつかんでやろうと躍起になっていた。
そこで彼らは、パリサイ人とヘロデ党の者を数人、イエスのところに遣わした。

① パリサイ人とヘロデ党
ここでのポイントは、パリサイ人とヘロデ党が同時に訪れるということ。
パリサイ人とヘロデ党は、本来政治的に敵対しているグループであり、一緒に行動することはない。
だからもちろん、仲良く一緒にやってきたわけではなく、彼らが同時に居合わせるように祭司長や律法学者、長老たちが差し向けたのだろう。

12:14 その人たちはやって来てイエスに言った。「先生。私たちは、あなたが真実な方で、だれにも遠慮しない方だと知っております。人の顔色を見ず、真理に基づいて神の道を教えておられるからです。ところで、カエサルに税金を納めることは、律法にかなっているでしょうか、いないでしょうか。納めるべきでしょうか、納めるべきでないでしょうか。」

まずは「先生。私たちはあなたが真実な方で、だれにも遠慮しない方だと知っております」という言葉が、すでに相手を誘導する言葉だということがわかる。
このように言われれば、人の顔色を伺った答えは出しづらくなるだろう。
しかしそんなことを言われるまでもなく、イエスさまは忖度しない真実な方である。

彼らは、税金を納めることの是非について聞いている。
ローマ帝国に払わなければならない税金のことであり、これはユダヤがローマに支配されていることを表すもので、民衆の多くが憎んでいた税金である。

「ローマ帝国に税金を払うことは律法にかなっている」と言えば、イエスを支持している民衆はがっかりし、「我々の信仰を守るためにローマを倒そう」と先導して、パリサイ人たちの人気を取り戻すことができる。
「ローマ帝国に税金を納めるべきではない」と言うなら、ローマに逆らうものとしてヘロデ党たちによって糾弾される。
いずれにしても、パリサイ人、ヘロデ党のどちらかを犠牲にしたうえでの捨て身の攻勢に出たのである。
とは言え、もちろん祭司長、律法学者、長老たちは自分たちの懐を痛めることがない、権力者のずるいやり方である。

② カエサルのものはカエサルに
イエスさまの答えはシンプルだった。

12:15 イエスは彼らの欺瞞を見抜いて言われた。「なぜわたしを試すのですか。デナリ銀貨を持って来て見せなさい。」
12:16 彼らが持って来ると、イエスは言われた。「これは、だれの肖像と銘ですか。」彼らは、「カエサルのです」と言った。
12:17 するとイエスは言われた。「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい。」彼らはイエスのことばに驚嘆した。

その当時流通しているのはローマ帝国の通貨である。
貨幣には鋳造された時の皇帝の肖像と銘が彫られている。
「ローマ帝国が嫌いなら、それは元々カエサルのものなのだから、カエサルに返してしまいなさい。しかし、神に似た者として創られている私たちは神のものなのだから、自分自身を神さまに返しなさい。」
この言葉は見事で、ここにいた人々はみんなその言葉に説得されてしまった。

③ 地の塩、世の光
私たちは何を誰に返すべきだろうか?
税金をちゃんと支払うことはもちろん、私たちはこの社会に所属していて、社会に果たすべき責任というものがある。
聖書は、権力者のために祈るように(1テサロニケ3:1-3)そして、権威に従うように(ローマ13:1-7)と教えている。
ある人たちのように、政治に参加することを拒否したり、人から離れて隠遁生活を送ることは、神さまが求めていることではない。

しかし本当に大切なのは、神のものである自分自身を神に返すことである。
イエスさまは、「あなたがたは地の塩、世の光です」と言っている。
私たちが果たすべき働きの多くは、教会の中ではなく、外にある。
この世界で神に聞き従いながら、人を愛し、仕え、その様に生きることができる喜びを、福音として人々に伝えるのである。

ヨセフや預言者ダニエルはそのようにして外国の王に仕えた。
権力者が神を否定し、神の御心に反したことを命じるときには、命をかけてそれに背き、権力者たちに神の心を伝えた。
自分自身を神に捧げたとき、私たちが果たすべき役割はなんだろう?
私たちは神の愛を、誰に届ければよいのだろうか?

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