マルコ12:28-34 『神の国に入るために必要なこと』 2021/05/16 けんたろ牧師

マルコ 12:28-34
12:28 律法学者の一人が来て、彼らが議論するのを聞いていたが、イエスが見事に答えられたのを見て、イエスに尋ねた。「すべての中で、どれが第一の戒めですか。」
12:29 イエスは答えられた。「第一の戒めはこれです。『聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。
12:30 あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』
12:31 第二の戒めはこれです。『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。』これらよりも重要な命令は、ほかにありません。」
12:32 律法学者はイエスに言った。「先生、そのとおりです。主は唯一であって、そのほかに主はいない、とあなたが言われたことは、まさにそのとおりです。
12:33 そして、心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして主を愛すること、また、隣人を自分自身のように愛することは、どんな全焼のささげ物やいけにえよりもはるかにすぐれています。」
12:34 イエスは、彼が賢く答えたのを見て言われた。「あなたは神の国から遠くない。」それから後は、だれもイエスにあえて尋ねる者はいなかった。

前々回はパリサイ人とヘロデ党の人々が訪れ、前回はサドカイ人たちが来た。
その的確なやり取りを見ていた律法学者がイエスさまに尋ねた。

12:28 律法学者の一人が来て、彼らが議論するのを聞いていたが、イエスが見事に答えられたのを見て、イエスに尋ねた。「すべての中で、どれが第一の戒めですか。」

一見素直に教えを乞うていたように見えるが、他の福音書で並行カ所を見ると、この律法学者は純粋に質問をしていたのではないことがわかる。

マタイ 22:34 パリサイ人たちはイエスがサドカイ人たちを黙らせたと聞いて、一緒に集まった。
22:35 そして彼らのうちの一人、律法の専門家がイエスを試そうとして尋ねた。

① 最も大切な戒め
イエスさまの答えはいつでもシンプルで的確。
申命記6章を引用してこのように答えた。

12:29 イエスは答えられた。「第一の戒めはこれです。『聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。
12:30 あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』
12:31 第二の戒めはこれです。『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。』これらよりも重要な命令は、ほかにありません。」

聖書の中にはたくさんの戒めが記されている。
しかし、その全てはこの2つの戒めに集約することができる。
大切なのは、神を愛し、隣人を愛すること。
この2つのことに集中していれば、私たちの行動は大きくずれてしまうことはない。

② あなたは神の国から遠くない
最初はイエスを試そうとしていた律法学者だったが、その答えに引き込まれていく。
長年そのことを考えていて、ついにたどり着いた答えだったのかもしれない。
あっさり核心を突いた答えをするイエスさまを、この律法学者は思わず「先生(ラビ)」と呼んでいる。

12:32 律法学者はイエスに言った。「先生、そのとおりです。主は唯一であって、そのほかに主はいない、とあなたが言われたことは、まさにそのとおりです。
12:33 そして、心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして主を愛すること、また、隣人を自分自身のように愛することは、どんな全焼のささげ物やいけにえよりもはるかにすぐれています。」

実際のところは判らないが、この律法学者の言葉は、心なしか興奮しているようにさえ感じられる。
そんな律法学者に、イエスさまはこのように言った。

12:34 イエスは、彼が賢く答えたのを見て言われた。「あなたは神の国から遠くない。」それから後は、だれもイエスにあえて尋ねる者はいなかった。

これは誉め言葉でもあるが、しかし核心には至っていない。
「神の国から遠くない」ということは、「神の国には入っていない」ということでもある。
では、どうすれば神の国に入れるのか?

③ 神の国に入るためにどうすればいいのか
ペテロから直接話を聞いていたルカは、他のマルコやマタイが記していなかったイエスさまの言葉も記録している。

ルカ 10:28 イエスは言われた。「あなたの答えは正しい。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」

私たちにとって本当に大切なのは、神の言葉を知っていることではなく、それを実行すること。
どれだけ詳しく知っていても実行しないなら、私たちは神の国に入ることはできない。

これまで何度も話してきたことだが、「神の国」とは「死んでから行く極楽浄土」のことではない。
今、私たちが神とともに生き、神の支配の中に生きることで得られる喜びである。
そこには様々な奇跡が起こり、愛、喜び、平安、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制という性質が芽生えてくる。
私たちがいま神の国の中にいるなら、それはさらなる喜びとなって永遠に続くものとなる。

心、知恵、力を尽くして神を愛し、心から隣人を愛するとき、私たちはそこに何を見出すだろう?
それは、私たちの中にはいかに愛がなく、愛することが難しいかということ。
ルカの福音書で、この話は良きサマリア人の話へと繋がっていく。
愛するのは、家族とか友人ではなく、ユダヤ人たちが敵視していたサマリア人に対して、自らを犠牲にして助けるということである。
それは、簡単にできるようなことではない。

愛することが難しく、自分の中に愛がないことを悟った私たちには二つの選択がある。
「自分は天の国に入ることができない」とあきらめるか、「神に助けを求めるか」である。

私たちは、どちらの選択をするだろうか?
まずは、心、知恵、力を尽くして神を愛し、心から隣人を愛する実践をするところから始めよう。
そして、神からの愛を受け、神の助けを得ることによって、神と人を愛し、神の国を体験していこうではないか。