1列王記上8:27~28、11:3~11「ソロモンの神殿建設と背信の結末」—空の空、一切は空?− 2021/06/13 小西孝蔵

「ソロモンの神殿建設と背信の結末」
―空の空、一切は空?-            2021年6月13日

〇列王記上8章 27~29節
8:27しかし神は、はたして地上に住まわれるでしょうか。見よ、天も、いと高き天もあなたをいれることはできません。ましてわたしの建てたこの宮はなおさらです。 8:28しかしわが神、主よ、しもべの祈りと願いを顧みて、しもべがきょう、あなたの前にささげる叫びと祈をお聞きください。 8:29あなたが『わたしの名をそこに置く』と言われた所、すなわち、この宮に向かって夜昼あなたの目をお開きください。しもべがこの所に向かって祈る祈をお聞きください。

〇列王記上11章3~11節
11:3彼には王妃としての妻七百人、そばめ三百人があった。その妻たちが彼の心を転じたのである。 11:4ソロモンが年老いた時、その妻たちが彼の心を転じて他の神々に従わせたので、彼の心は父ダビデの心のようには、その神、主に真実でなかった。 11:5これはソロモンがシドンびとの女神アシタロテに従い、アンモンびとの神である憎むべき者ミルコムに従ったからである。 ・・・・・11:9このようにソロモンの心が転じて、イスラエルの神、主を離れたため、主は彼を怒られた。すなわち主がかつて二度彼に現れ、 11:10この事について彼に、他の神々に従ってはならないと命じられたのに、彼は主の命じられたことを守らなかったからである。 11:11それゆえ、主はソロモンに言われた、「これがあなたの本心であり、わたしが命じた契約と定めとを守らなかったので、わたしは必ずあなたから国を裂き離して、それをあなたの家来に与える。

(関連聖書箇所)
〇伝道者の書第1章1~2節「1:1ダビデの子、エルサレムの王である伝道者の言葉。1:2伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。」

〇Ⅰコリント10章7~9節「10:7だから、彼らの中のある者たちのように、偶像礼拝者になってはならない。すなわち、「民は座して飲み食いをし、また立って踊り戯れた」と書いてある。 10:8また、ある者たちがしたように、わたしたちは不品行をしてはならない。不品行をしたため倒された者が、一日に二万三千人もあった。」

〇Ⅰコリント3章16~20節「3:16あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか。 3:17もし人が、神の宮を破壊するなら、神はその人を滅ぼすであろう。なぜなら、神の宮は聖なるものであり、そして、あなたがたはその宮なのだからである。」

〇マタイによる福音書5章
5:3「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。5:4悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう

〇Ⅰペテロ1章18~19節、24節
「1:18あなたがたのよく知っているとおり、あなたがたが先祖伝来の空疎な生活からあがない出されたのは、銀や金のような朽ちる物によったのではなく、 1:19きずも、しみもない小羊のようなキリストの尊い血によったのである。・・・・1:24人はみな草のごとく、その栄華はみな草の花に似ている。草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は、とこしえに残る」。

(始めに)
今回は、ソロモンの第2回目。前回は、ソロモンの知恵と箴言について学んだ。箴言は、神を畏れるは、知識のはじめなりから出発する書物で、言わば、ソロモンにとって後世への最大遺物と言っていいもの。本日は、神殿建設というもう一つのライフワークを完成した後、神から離反したソロモンの後半生を取り上げ、それを通して語られる神の言葉を学んでみたい。
(祈り) (聖書朗読)(要旨)
1.ソロモンの神殿造営と祈り、そして背信
・ソロモン王国の繁栄(ユーフラテス川から紅海まで)-パワポ地図
・ダビデの果たせなかった夢-神殿建設(パワポ資料-ソロモンの神殿)
ダビデがエブス人から取得したモリヤ山(アブラハムがイサクを捧げた場所)に、ソロモンがダビデから受け継いだ神殿を建設した(現在の岩のドーム)。レバノン杉の輸入や調度品の制作など、ティルス(フェニキア)のヒラムから全面的支援を受けて、完成した。27m×8m×13m、レバノンの森の宮殿は、神殿の6倍。
・ソロモンの使命の成就と祈り
〇列王記上8章 27~29節
8:27しかし神は、はたして地上に住まわれるでしょうか。見よ、天も、いと高き天もあなたをいれることはできません。ましてわたしの建てたこの宮はなおさらです。 8:28しかしわが神、主よ、しもべの祈りと願いを顧みて、しもべがきょう、あなたの前にささげる叫びと祈をお聞きください。
・神は、ソロモンの真摯な祈りに答えられた。神の命令に従うのであれば王国は永遠に、しかし、命令に逆らうのであれば宮を破壊すると言われた。しかし、ソロモンは、後者をもたらした。
・ソロモンの堕落―列王記上11章3~11節(パワポ資料―異教礼拝の絵画)―1000人にも及ぶ妻や側室を設け、異教の神々を受容。バールとアシタロテ(女神)を持ち込む。アシタロテは、地中海の覇者フェニキアから。異教の神の神殿は、エルサレムの東、オリーブ山のあたり。
・ソロモンの晩年は、重税を課したこともあり、神様の裁きにより、部下のヤラベアムの反乱に会い、息子のレハベアム率いる南王国とヤラベアムの支配する北王国に分裂して争うという不幸な結末を迎える。

2.繁栄から転落した原因は何か。
・神の前に誠実だった父ダビデと対照的、何故こんなに神から離反したのか?イエスも、マタイ5章でソロモンの栄華を引用しておられるように、ソロモンは、繁栄の象徴から転落の象徴へ、一体なぜという疑問。
① 第一の理由は、偶像礼拝。政略結婚目的のもあったようだが、多くの外国の女性を愛して、異教の神を持ち込んだことが神を怒らせた。偶像崇拝は、神に対する背信行為。性的誘惑はダビデもあったので、親の悪いDNAを受け継ぐ?
② 二つ目の理由は、はだかの王様だったこと。ナタンやガドの忠告を悔い改めたダビデと違って、預言者を遠ざけ、裸の王様になっていたのではないか。預言者アヒヤは、反乱者ヤブサロムの側に就いた。忠告を与える者が誰もいない。
私も年を取るにつけて頑固になっているのでは?という心配。時々、家内から頑固爺さんになっていないかと忠告されるので、はだかの王様にはなっていないつもりだが?
② 第3の理由は、目的と手段が逆になったこと。神殿完成は、神からソロモンに与えられた使命。神殿は、神の臨在を仰ぐもの、最初は純粋な信仰と祈りがあった。
ソロモンは、神殿を完成させるために、交易による富を求めた。神殿は、神を礼拝するための手段にしか過ぎないのに、時が経つにつれて、その手段自身が自己目的化し、神から離反することに。後に、神殿やそこに職を得た祭司、律法学者も同じ。私たちもお金や知恵、職業や地位が全うに生きていくため、神の栄光を現すための手段であったはずなのに、いつの間にか、それ自身が第1目的になっていないか。

3.ソロモンの人生から学ぶ二つの点
1)神の宮の建築と偶像礼拝
・ソロモンから学ぶべき第1の点は、前回の箴言の言葉に続いて、神殿の建築である。ソロモンは、神から与えられたこの使命を全身全霊をもって取り組み、7年かけて完成させた。彼の意向は、あくまで全知全能の神を礼拝することにあった。
私たちも、ソロモンのように、この世に有って、それぞれ、神様から賜物を与えられ、自分の持ち場で神の宮づくりを担っている。大事なのは、神殿そのものではなく、神殿を通じて、神の栄光を現すことである。
・ソロモンにとって、神殿は父ダビデから託された夢、使命のようなものでもあった。私たちも親から期待され、託された夢か使命のようなものがあるのでは。いい大学、いい職業、いい信仰、いいクリスチャンの生き方、いいクリスチャン家庭などなど・・・。それは、親の愛情の表れであって、感謝すべきことだが、時として、形だけに囚われて、それが負担になったり、形骸化して律法主義に陥ったりすることもある。
・しかし、ソロモンは、晩年になって、外国人の女性によって、偶像崇拝のとりこになったことが神の神殿を汚したことになった。本来の神殿は、神の臨在を迎えるところ。新約の神殿は、目に見える建物ではなく、自分の心のうちに主を迎え入れる、聖霊を宿す神の宮であり、生ける神の神殿である。神殿のオーナーは、自分でなく神様。神の宮によって、神の栄光を現す(バッハのSDG)
〇Ⅰコリント3章16~20節「3:16あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか。 3:17もし人が、神の宮を破壊するなら、神はその人を滅ぼすであろう。なぜなら、神の宮は聖なるものであり、そして、あなたがたはその宮なのだからである。」

2)伝道者の言葉(空の空、一切は空)
・ソロモンの神殿は、その後バビロン捕囚によって破壊され、さらに、ゼルバベブルによって復元された第2神殿もセレウコス・シリアの侵略によって踏みにじられる結果になった。神殿における礼拝は、形骸化し、イスラエルの民が神から離反した結果であった。この世のものは、みな空しい。神様なくしては。「空の空」を主題にした、伝道者の書の冒頭の次の言葉は、その様子を端的に表している。
〇伝道の書第1章1~2節「1:1ダビデの子、エルサレムの王である伝道者の言葉。1:2伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。」
・伝道者の書(口語訳では、伝道の書)は、旧約聖書の中では、異色。空の空は、東洋的な表現。日本人にも親しみやすい。紀元前3~2世紀、バビロン捕囚から帰還後、度重なる侵略で先が見えない時期に、ソロモンの名を借りて、あるいは、ソロモンの心境になりきって、編集されたという説が有力。今回は時間の制約があるので、近い機会に、じっくり学んでみたい。

・人生のむなしさを感じるときは、愛する人を失った時や自分の生きがいになっていたものがなくなった時。例えば、仕事が生き甲斐の人が、定年退職した時、「終わった人」としてもむなしさを感じる人が多い。この世の人生自体が最終目的であるなら、私たちの人生は結局のところむなしい。私も私の若き日に空の空を実感した後、キリストの導きにより、空虚さが満たされた。逆に、定年後にむなしさをかんじるどころか、人生が楽しくなっていることは感謝。
・こうした空しさは、幸いなことに、新約の光、即ち、イエス様のもたらしてくださった福音のお陰で、絶望から希望への180度転回する。神から離れたこの世的な生活は、空しい結末に。しかし、将来も見通せない悩みの状態であっても。救いを求める人に対して、イエス様は、山上の垂訓で幸いかなと宣言してくださる。
〇マタイによる福音書5章
5:3「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。5:4悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。

・自分の命が死に近づいていることを意識した時は、むなしさとの戦いが半端でないことも、しかし、私たちの人生は死んで終わりではない、キリストの罪の贖いと復活があるからこそ、永遠のいのちが約束され、この世がむなしさに終わらず、永遠の命の希望と喜びで、今を生きていける。死後の復活があるからこそ、むなしさから脱却できるという言葉を、第1ペテロの手紙1章からお読みして終わりたい。
〇Ⅰペテロ1章18~19節
1:18あなたがたのよく知っているとおり、あなたがたが先祖伝来の空疎な生活からあがない出されたのは、銀や金のような朽ちる物によったのではなく、 1:19きずも、しみもない小羊のようなキリストの尊い血によったのである。
〇Ⅰペテロ1章23~24節
1:23あなたがたが新たに生れたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変ることのない生ける御言によったのである。1:24人はみな草のごとく、その栄華はみな草の花に似ている。草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は、とこしえに残る」。    (祈り)
「ソロモンの神殿建設と背信の結末」(要旨)
―空の空、一切は空?-

1.ソロモンの神殿造営と祈り、そして背信

2.繁栄から転落した原因は何か。
①偶像崇拝
②はだかの王様
③目的と手段の取り違え

3.ソロモンの人生から学ぶ二つの点
①偶像礼拝と神の宮
②伝道者の言葉から福音へ