伝道者3:1-14「神様の時を信じて今を生きる」―空の空からの一大転換― 2021/06/27 小西孝蔵

伝道者の書3章
3:1天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。3:2生るるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、・・・・
3:11神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。 3:12わたしは知っている。人にはその生きながらえている間、楽しく愉快に過ごすよりほかに良い事はない。 3:13またすべての人が食い飲みし、そのすべての労苦によって楽しみを得ることは神の賜物である。 3:14わたしは知っている。すべて神がなさる事は永遠に変ることがなく、これに加えることも、これから取ることもできない。神がこのようにされるのは、人々が神の前に恐れをもつようになるためである

マタイ6章
6:29しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。 6:30きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。 6:31だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。 6:32これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。 6:33まず神の国と神の義とを求めなさい。

Ⅰコリント15章
15:17もしキリストがよみがえらなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとなり、あなたがたは、いまなお罪の中にいることになろう。・・・・
15:54この朽ちるものが朽ちないものを着、この死ぬものが死なないものを着るとき、聖書に書いてある言葉が成就するのである。15:55「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。15:56死のとげは罪である。罪の力は律法である。 15:57しかし感謝すべきことには、神はわたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を賜わったのである。 15:58だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。

(祈り)  (聖書朗読)  (パワポ資料-要旨)

1.前回の振り返り(列王記上のソロモン王の功罪)
・先々週の聖書箇所では、ソロモンの人生の二つの特徴をご説明。第一に、ソロモンの神殿建設が父ダビデから引き継いだライフワークが真剣な祈りにより実現、神からの祝福の約束を受けたこと、第二に、ソロモンの背信によって、王国は分裂、栄華は、消え失せ、伝道者の書でいう「空の空」の結末になったこと。この二つの点で言い残した点を補足。

①神の神殿(補足その1)
・先ず、ソロモンの神殿に匹敵する、あるいは、それ以上の東西の歴史的建造物について紹介(パワポ資料-写真)。
・現代で言えば、150年前にガウディにより始められ、まだ建築途上のサグラダファミリアー日本人彫刻家外尾悦郎氏の半世紀にわたる大変な仕事。
・また、日本でいえば、世界最古の木造建築、1300年程前に建立された法隆寺、宮大工西岡恒一によれば、2千年物のヒノキを使用、現代にも木が生きていることを実感。金剛組はそのこころ創業された宮大工の企業で、現存する日本最古の企業。聖徳太子が百済から連れてきた宮大工3人のうち、一人が金剛さんという名前であったことから金剛組とつけられたそうだ。
・神の宮には、様々な職人が従事、パウロがコリントへの手紙の中で、私たちは、目に見えない、生きた神の神殿、聖霊をお迎えする神の宮であると表現。神の宮は、神の国の中心。思うに、私たちは、神の宮で働く職人、あるいは、職人でなくても、その建築の一端を担っている存在ではないだろうか。イエス様は、大工であり、パウロは、テントメイカーであったのは、偶然の一致?

②空の空から福音へ(補足その2)
・ソロモンが多くの外国の女性をめとった結果、背信、偶像礼拝に走った。そのため、神の裁きに会い、王国は分裂し、衰退の一途を辿ることに。ソロモンが晩年に残したとされる伝道者の書には、「空に空、一切は空」という人生のむなしさを表現する言葉が記されている。前回のメッセージで、この言葉は、イエス様の福音(心の貧しい人は幸いである)につながる逆説的表現であると紹介した。
・先週のメッセージ後、長女から、ソロモン自身の死ぬ前は、どうだったのか、悔い改めて神に立ち帰ったのか?と聞かれた。列王記上には、晩年のことは書いていない。正直なところ分からないが、唯一の手掛かりとなるのが、伝道者の書。ソロモンの晩年の心境になったつもりで読んでみたい。
・私としては、ソロモンは、死ぬ前には、悔い改めて、主に立ち帰ったと信じたい。そうでないと彼の残したもう一つのライフワーク、「箴言」の意義が大幅に薄れることになるのでは。ソロモンの手によるものでなくても、ソロモンの心境をリアルに表現しているものとして理解できる。本日は、伝道者の書を新約の光を当てて読んでみて、現代の私たちへのメッセ―ジを探ってみたい。

2.伝道者の書3章からの学び-要旨(パワポ資料)
①伝道の書の背景
・伝道者の書は、最近では、ソロモンの著作ではなく、前3~2世紀頃に、ソロモンの名前を借りて書かれたという説が有力。健太郎先生が聖書の歴史セミナーで取り上げて下さったように、バビロン捕囚からエルサレムへの帰還後、プトレマイオス朝やセレウコス朝シリアに支配された時期と推測される。イスラエルの民にとっては、先行きが全く見えない不安な状況で、伝道の書が編集されたとも言われている。いずれにしても、神の霊感によって書かれたもの。中でも、3章は、伝道の書の中心といってもいい。

②空とは何か?
・伝道者の書第1章1~2節「1:1ダビデの子、エルサレムの王である伝道者の言葉。1:2伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。」
伝道者の書に、空という言葉が38回出てくる。「空」とは、仏教の「空」とは、同じような響きもあるが、少しニュアンスが違う概念。ヘブライ語で「へーベル」、虚無(vanity),無(nothing)という意味もあるが、神秘(mystery)という意味もあるとのこと。
・私は、大学入学後、陥ったのがこの空なる感情。クリスチャンの家庭に育ったことは、当時は親の期待が重荷に。なんとなく敷かれたレールの上を走り続けていた。そして、禁欲主義、律法主義的な考えに囚われていた。目標と考えていたものが、実は、本当に求めていたのではないことに気づく、いわゆるアイデンティティに悩んで、人生がむなしく感じた。今も、若い人々が自殺に追い込まれる人が急増しているというニュースを聞くと他人ごとではないという感じ。
・こうした空の感情は、神から離れた結果であるが、逆に、自分で作り上げた偶像から離れて、神に立ち帰る絶好のチャンスでもある。その意味では、空の空は、逆説的真理ともいうべきもの。

③神様の時
「3:1天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。3:2生るるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、・・・・ 3:11神のなされることは皆その時にかなって美しい。」
・ここでいう「時」は、ギリシャ語で「カイロス」という質的な時間のこと。神様の時は、誰にも分らない、不可思議なもの。人生を振り返って、本当にそうだと思う、今の試練は、意味がないように思うが、必ず、万事相働いて益としてくださる。神様の時を信じて生きることが大事。
・伝道者の書12章の「汝の若き日に汝の造り主を覚えよ」は私の好きな言葉の一つで、学生寮の学生さんにいつも薦めている言葉。若い人にとっての学生時代は、貴重な神様の時、年取って何の楽しみがないという前の心の備えをする時。

「3;11 神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。」
・伝道者の書は、来世のことに触れていないという人もいるが、神の時は、過去、現在、未来永劫にわたっている。伝道者の書には、復活という言葉は出てこないが、復活を否定しているではなく、イエス様による復活につながる神様の時を示している。この点は、最後にパウロの言葉でもう一度触れたい。

④労苦の対価を賜物として楽しむ
「3:12わたしは知っている。人にはその生きながらえている間、楽しく愉快に過ごすよりほかに良い事はない。 3:13またすべての人が食い飲みし、そのすべての労苦によって楽しみを得ることは神の賜物である。」
・一見、現世主義、享楽主義に見えるがそうではない。労苦した結果を、神様から与えられた賜物、食べ物にしても、飲み物にしても、恵みとして感謝して受け取りなさい、そして、楽しみ、喜んでいなさいという意味。日用の糧は、主の祈りの中の重要な祈りの一つ。
・先週の健太郎先生のメッセ―ジで、「世の終わりが近い。目を覚ましていなさい」というイエスの言葉を学んだ。伝道の書では、もう一つの真理、「神の時を信じて、感謝と喜びをもって今を生きなさい」という教え。神の国は、今の世であり、来世でもある。両方のバランスが大事。
・何もしないで遊んでいていいですということではない。天のお父様に委ねて、常に、目の前の与えられた業に励みなさい。そして、常に喜んで、恵みを感謝して受け取りなさいということ。サラリーマン人生の苦労、あるいは、家事や子育ての苦労も、すべて喜びに代えて下さる慰めの言葉。

⑤主を畏れよ、主に帰れ。
「3:14わたしは知っている。すべて神がなさる事は永遠に変ることがなく、これに加えることも、これから取ることもできない。神がこのようにされるのは、人々が神の前に恐れをもつようになるためである。」
・神を畏れるというのは、伝道者の書の結論、最終章では、「12:13事の帰する所は、すべて言われた。すなわち、神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である」
主を畏れることは知識のはじめなりとする箴言の言葉と同じ。神様の意思の従うことがすべて。神様の前に悔い改め、神様に身許に立ち帰る。

3.「空の空」から福音へ
・キリストによって、空の空から、180度大転回が実現する。新約聖書においてそのことが宣言されている。
マタイ6章 「6:29栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。 6:30きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。・・・ 6:31だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。・・・・ 6:33まず神の国と神の義とを求めなさい。」
・イエス様は、ソロモンの栄華の結末をよくご存じ。この世は、神の支配下にある、神の時が支配している。だから、どんな状況にあっても、思いわずらうな。神の国を求めなさい。空の空は、キリストの愛と恵みによって満たされる。

・死は、最大の空とのいうべきもの。空の空から救い出してくださるのは、キリストの贖いと復活による神の愛、神の恵み。死を克服できるものは、罪による滅びから私たちを救い出して下さったイエスの十字架による贖い、そして死からの蘇りによる以外にはない。パウロも、復活がなければ、我々の人生は、むなしいと証ししている。
〇ⅰコリント15章「15:17もしキリストがよみがえらなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとなり、あなたがたは、いまなお罪の中にいることになろう。」
〇Ⅰコリント15章 「15:54この朽ちるものが朽ちないものを着、この死ぬものが死なないものを着るとき、聖書に書いてある言葉が成就するのである。15:55死は勝利にのまれてしまった。・・・15:56死のとげは罪である。罪の力は律法である。 15:57しかし感謝すべきことには、神はわたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を賜わったのである。

・この贖いと復活の信仰があればこそ、文字通り、地に足がついた現実の業に励む力を与えられる。今を生きる喜びと力が湧いてくる。
〇コリント15章「15:58だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。」

4.本日のまとめ
①伝道者の書の「空の空」は、神から離れることによってもたらされた人間の現実である。
しかし、神様の時を信じ、目の前の労苦にいそしみ、その結果として得られる生活の糧は、神からの賜物であること。喜んで受け取ればいい。楽しむがいい。
②イエスの言葉に置き換えると、神の国と神の義を求めよ、そうすれば、これら必要な日常の糧がすべて与えられる。「空の空」は、キリストの愛によって満たされる。
③最大の空は、死であるが、キリストの贖いと復活の命によって、その死を恐れることなく、希望をもって、今を生きることが出来る。

(祈り)