1列王記17:1-9「私が命じてあなたを養わせる」-エリヤのバール対決に向けて- 2021/09/12 小西孝蔵

〇列王記上16章

16:30オムリの子アハブは彼よりも先にいたすべての者にまさって、主の目の前に悪を行った。 16:31彼はネバテの子ヤラベアムの罪を行うことを、軽い事とし、シドンびとの王エテバアルの娘イゼベルを妻にめとり、行ってバアルに仕え、これを拝んだ。 16:32彼はサマリヤに建てたバアルの宮に、バアルのために祭壇を築いた。 16:33アハブはまたアシラ像を造った。アハブは彼よりも先にいたイスラエルのすべての王にまさってイスラエルの神、主を怒らせることを行った。・・・・

17:1ギレアデのテシベに住むテシベびとエリヤはアハブに言った、「わたしの仕えているイスラエルの神、主は生きておられます。わたしの言葉のないうちは、数年雨も露もないでしょう」。 17:2主の言葉がエリヤに臨んだ、 17:3「ここを去って東におもむき、ヨルダンの東にあるケリテ川のほとりに身を隠しなさい。 17:4そしてその川の水を飲みなさい。わたしはからすに命じて、そこであなたを養わせよう」。・・・ 17:7しかし国に雨がなかったので、しばらくしてその川はかれた。17:8その時、主の言葉が彼に臨んで言った、 17:9「立ってシドンに属するザレパテへ行って、そこに住みなさい。わたしはそのところのやもめ女に命じてあなたを養わせよう」。・・・・ 17:20主に呼ばわって言った、「わが神、主よ、あなたはわたしが宿っている家のやもめにさえ災をくだして、子供を殺されるのですか」。 17:21そして三度その子供の上に身を伸ばし、主に呼ばわって言った、「わが神、主よ、この子供の魂をもとに帰らせてください」。 17:22主はエリヤの声を聞きいれられたので、その子供の魂はもとに帰って、彼は生きかえった。・・・18:1多くの日を経て、三年目に主の言葉がエリヤに臨んだ、「行って、あなたの身をアハブに示しなさい。わたしは雨を地に降らせる」。

〇ヨハネ10章

10:14わたしはよい羊飼であって、わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、わたしを知っている。 10:15それはちょうど、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。そして、わたしは羊のために命を捨てるのである。 10:16わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らも、わたしの声に聞き従うであろう。そして、ついに一つの群れ、ひとりの羊飼となるであろう。

 

(聖書朗読)-列王記上17章1~4節,8~9節(パワポ資料)

(祈り)

 

 

1.初めに

・3年程前から、メッセージの中で、旧約聖書から、モーセ、ヨシュア、サムエル、ダビデ、ソロモンを取り上げ、前回は伝道の書を学んだ。今回は、列王記上から2回に分けて、エリヤについて取り上げる。

・新約聖書(マルコ9章1~8節)で、変貌の山(ヘルモン山)で現わされたモーセとエリヤとイエスの栄光の姿が記されている。エリヤは、モーセと共に、イエスの先駆者としての役割を果たしたことが象徴されている。

・エリヤの一生は、芸術家の中でも好んで取り上げている題材で、ユダヤ人で敬虔なキリスト教徒であるメンデルスゾーンは、晩年にオラトリオ「エリヤ」の大作を残している。また、エルミタージュ美術館やウィーンの美術館には、17世紀の画家が描いた絵がある。(パワポ資料-絵、写真「フォトライブラー」)

・エリヤと言えば、バールの偶像と対決したツワモノというイメージだが、モーセと同じ、弱い人間。神様から与えられた大きな使命を果たす前に、3年間の養いの時、訓練の時が与えられた。本日のメッセージのタイトルは、「私が命じて養わせる」、列王記上16章と17章から3つのパートに分けて学んでみたい。(パワポ資料-要旨)

 

2.イスラエル民族の偶像崇拝と背信(パート1)

・ソロモン没後、北イスラエルと南のユダ国に分裂。ソロモンの部下であるヤラベアムとソロモンの子レハベアムの争い。(パワポ資料-歴代王一覧、船本弘毅「聖書」青春出版社)北イスラエルは、ヤーベの神から離れ、クーデターによる暗殺が相次ぐ。滅亡までの歴代王様19人のうち、在位2年以下の王が7名、うち一人は、7日だけの王(ジムリ)(オムリの前)と極めて不安定。7代目が悪名高きアハブ王。

〇列王記上16章

16:30オムリの子アハブは彼よりも先にいたすべての者にまさって、主の目の前に悪を行った。 16:31彼はネバテの子ヤラベアムの罪を行うことを、軽い事とし、シドンびとの王エテバアルの娘イゼベルを妻にめとり、行ってバアルに仕え、これを拝んだ。 16:32彼はサマリヤに建てたバアルの宮に、バアルのために祭壇を築いた。 16:33アハブはまたアシラ像を造った。アハブは彼よりも先にいたイスラエルのすべての王にまさってイスラエルの神、主を怒らせることを行った

 

・アハブは、フェニキア出身のイゼベルを妻に。そのために、男神バールとイゼベルの持ち込んだ女神アシラがドッキングして、偶像崇拝に極致に達した。(パワポ資料-絵と地図)

・フェニキアは、交易の中心。ギリシャが栄える前は、地中海の覇者でもあった。フェニキア文字は、アルファベットの原型。ガラス細工や金細工は世界一とも。豊かさを追求するあまり、偶像を拝んで、自分の欲求を膨らませた。その影響は、特にソロモン時代からイスラエルにもたらされた。

・モーセ以来、民の偶像崇拝と神への背信の罪に対して神の怒りと裁きが下されて来たが、エリヤには、偶像の神バールとの対決の召命を受けた。

・偶像崇拝は、神様から離れて、神以外のものを第一に考えること。イスラエルの民のように、私たちは、頑なな心で神から離れ、神以外のものを神と拝むような習性をもっている。

・私自身も、イスラエルの民のように、神様から離れ、自分の力に頼る頑固さに陥りやすい。年のせいか、コロナ禍での疎外感からか、その頑固さが増しているような気もする。私たちは、自己中心の頑迷固陋に陥りやすい存在なので、絶えず、神のもとに立ち帰るように祈り求めていく必要がある。

 

3.養いと訓練の時(パート2)

・エリヤがバールと対決という最大の使命を果たすために、神様は、3年間の訓練と時を与えられた。前回の伝道の書(コヘレト)3章で神様の時(カイロス)があることを学んだ。イザヤのバール対決は、まだその時、カイロス即ち神の時ではなかった。神様は、エリヤにとって、今は、干ばつの被害やアハブ王からの攻撃から守られ、養われる時であり、訓練の時だと言われた。

〇列王記上17章

17:1ギレアデのテシベに住むテシベびとエリヤはアハブに言った、「わたしの仕えているイスラエルの神、主は生きておられます。わたしの言葉のないうちは、数年雨も露もないでしょう」。 17:2主の言葉がエリヤに臨んだ、 17:3「ここを去って東におもむき、ヨルダンの東にあるケリテ川のほとりに身を隠しなさい。 17:4そしてその川の水を飲みなさい。わたしはからすに命じて、そこであなたを養わせよう」。・・・ 17:7しかし国に雨がなかったので、しばらくしてその川はかれた。17:8その時、主の言葉が彼に臨んで言った、 17:9「立ってシドンに属するザレパテへ行って、そこに住みなさい。わたしはそのところのやもめ女に命じてあなたを養わせよう

・先ず、ヨルダン川の東、カラスにパンと肉を運んで養わせた。その後、シドンのザレバテのやもめに銘じて養わせる。何故、シドンだったのか? 先ずイスラエルからすれば異邦の地、異教の神の地であったことが考えられる。また、レバノン杉で有名なレバノンの山から流れ出る川が干ばつの時期に避難に適した環境として神が選ばれたのかも知れない。(パワポ資料-地図「バイブルワールド」いのちのことば社、写真「フォトライブラリー」)

・エリヤは、ザレパテの町の入り口で薪を拾っていたやもめに出会った。(パワポ資料-絵)やもめのところには、一握りの小麦粉とほんの少しの油があり、息子と二人で食べて死のうと思っていた。エリヤの求めに応じてパンを作ってみると、不思議にも決して尽きることがなかった。

・エリヤがザレパテのやもめに水とパンを要求した場面は、キリストがサマリヤの女に井戸の水を求めた話に似ている。また、やもめのパンによって全員が養われたことは、イスラエルの民が荒野で天から降るマナで養われた奇蹟や、5つのパンと2匹の魚から5千人を養ったイエスのパンの奇蹟にも似ている。

 

・私の拙い経験から、大学時代、人生への迷い、自信喪失から精神的に落ち込んで、1年近く立ち直れない状態が続いた。その時、キリスト教学生寮に入寮することが出来、エリヤと比較するのはおこがましいが、3年間寮で養われるという貴重な経験。この3年間のうちに、私の罪を贖ってくださったキリストの十字架と復活の信仰を与えられた。どん底から救い出されて、社会の荒波に出ていく力を与えられた。

・私たち誰しも、神様から使命や責任を負わされる前に、様々な試練や訓練の時を与えられることが多い。小事に忠実なるものは大事にも忠実であるというイエスの言葉にもあるように、大事の前に小事をこなすことが、後から振り返るといい準備になっていたことがある。

 

4.主の御名を呼び、御心を知る(パート3)

・養ってもらっていたやもめの息子が突然亡くなった。関西弁で言うと、なんでやねん? ショック! エリヤの立場がない。神様は一体何をしようとされるのですか、と訴えかける。

〇列王記上17章

17:20主に呼ばわって言った、「わが神、主よ、あなたはわたしが宿っている家のやもめにさえ災をくだして、子供を殺されるのですか」。 17:21そして三度その子供の上に身を伸ばし、主に呼ばわって言った、「わが神、主よ、この子供の魂をもとに帰らせてください」。 17:22主はエリヤの声を聞きいれられたので、その子供の魂はもとに帰って、彼は生きかえった。・・・17:22その女はエリヤに言った。「今、私は、あなたが神の人であり、あなたの口にある主の言葉が真実であることを知りました。

〇列王記下18章

18:1多くの日を経て、三年目に主の言葉がエリヤに臨んだ、「行って、あなたの身をアハブに示しなさい。わたしは雨を地に降らせる」。

・エリヤは、神の御名を呼んで助けを求めた。神は、その声を聞き入れられて、息子を生き返らせた。この奇跡によって、やもめは、エリヤから出た神の言葉が真実であることを知った。

・神様のみ旨は、異邦の地フェニキアのやもめに対して、息子の命をよみがえらせることで神様の愛と力を示すことにあった。神様にとって、バール対決の目的は、偶像を拝むものを裁き、滅ぼすことだけではなく、むしろ異邦人も含め一人でも多くの民を真の神のもとに立ち帰らせることにあった。

・エリヤは、神様の声を聞き、御心を知り、御旨を行うことを学んだ。そして、3年の神様の訓練を経て、エリヤは、神から大きな力を得て、いよいよバールの偶像との対決の時を迎える。

・この時のエリヤの心境は、詩編23篇のダビデの心境に近かったのではないか。文語訳でご紹介すると、「主は、わが牧者、我乏しき事あらじ、主は、我を緑の野に臥させ、憩いの水際に伴い給う、主はわが魂を生き返らせ、我を正しき道に導きたもう。たとえ我死の影を歩むとも、災いを恐れじ。汝我と共に居ませばなり。」

・現代の私たちも、コロナ感染、病いや仕事のストレス、経済的・精神的困窮、分断や争いなど大きな試練に直面させられている。絶望感に陥る時でも、エリヤのように、神のみ名を呼んで助けを求め、ありのままの心で助けを求めることが出来る。そして、祈りの中で神様の御声を聞く時に、聖霊の助けによって、力を得喜んで、感謝をもってキリストに従うことが出来るようになる。

 

5.まとめ

・本日の箇所から学ぶことは、三つのこと。(パワポ資料-要旨参照)

①私たちは、神から離れて自分の欲望を優先させようとする偶像崇拝の罪に陥りやすい存在であり、常に神に立ち帰れるように祈り求めることが大事なこと、

②私たちは、試練に直面する時に、神様が養って下さる、そしてこの試練の時を経て、神の御心を知ることが出来る、

キリストの先触れのエリヤを通じて、私たちの救いために命を投げ出して下さった神様の愛を知り、喜んでその御跡に従っていくことが出来る。

エリヤのキリストの先触れとしての働きは、パワポ資料参照(次回も紹介)。

 

・最後に、ユダヤ人だけでなく、異邦人、日本人、そして自分も含めた全人類の救いのために命を捨てられた良き羊飼いであるキリストの御言葉、丁度詩編23篇に通じるを朗読して終わります。

〇ヨハネ10章

10:14わたしはよい羊飼であって、わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、わたしを知っている。 10:15それはちょうど、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。そして、わたしは羊のために命を捨てるのである。 10:16わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らも、わたしの声に聞き従うであろう。そして、ついに一つの群れ、ひとりの羊飼となるであろう。

(祈り)