アモス7:1-9:15 アモス4『何を見ているのか?』 2021/11/21 けんたろ牧師

アモス 7:1-9:15
7:1 【神】である主は私に示された。見よ。王が刈り取った後の二番草が生え始めたころ、主はいなごを備えられた。
7:2 そのいなごが地の青草を食い尽くそうとしたとき、私は言った。「【神】、主よ。どうかお赦しください。ヤコブはどうして生き残れるでしょう。彼は小さいのです。」
7:3 【主】はこれを思い直された。そして「そのことは起こらない」と【主】は言われた。
7:4 【神】である主は私に示された。見よ、【神】である主は、責める火を呼ばれた。火は大いなる淵を吞み込み、割り当て地を焼き尽くそうとしていた。
7:5 私は言った。「【神】、主よ。どうかおやめください。ヤコブはどうして生き残れるでしょう。彼は小さいのです。」
7:6 【主】はこれを思い直された。そして「そのことも起こらない」と【神】である主は言われた。
7:7 主は私に示された。見よ。主は下げ振りを手に持って、下げ振りを使って築かれた城壁の上に立っておられた。
7:8 【主】は私に言われた。「アモス、何を見ているのか。」私が「下げ振りです」と言うと、主は言われた。「見よ。わたしは下げ振りを、わたしの民イスラエルの真ん中に垂れ下げる。わたしはもう二度と彼らを見過ごさない。
7:9 イサクの高き所は荒らされ、イスラエルの聖所は廃墟となる。わたしは剣をもって、ヤロブアムの家に向かって立ち上がる。」

イスラエルに向けた預言の最後の3章は5つのビジョンによって締めくくられている。
5つのビジョンを一気に紹介していこう。

① 食い尽くすいなごと責め火
第一のビジョンは7章1~3節で、イナゴについてのビジョン。

7:1 【神】である主は私に示された。見よ。王が刈り取った後の二番草が生え始めたころ、主はいなごを備えられた。
7:2 そのいなごが地の青草を食い尽くそうとしたとき、私は言った。「【神】、主よ。どうかお赦しください。ヤコブはどうして生き残れるでしょう。彼は小さいのです。」
7:3 【主】はこれを思い直された。そして「そのことは起こらない」と【主】は言われた。

第2のビジョンは責める火について

7:4 【神】である主は私に示された。見よ、【神】である主は、責める火を呼ばれた。火は大いなる淵を吞み込み、割り当て地を焼き尽くそうとしていた。
7:5 私は言った。「【神】、主よ。どうかおやめください。ヤコブはどうして生き残れるでしょう。彼は小さいのです。」
7:6 【主】はこれを思い直された。そして「そのことも起こらない」と【神】である主は言われた。

第一は、裁きのためにすべての食べ物を取り去ろうとする主を前に助けを求め、主がそれを思いとどまったというビジョン。
第二は、火によってすべてを焼き尽くす裁きを下そうとする主に、「どうかおやめください」と言って、主が思いとどまられたというビジョン。

上の二つはどちらも、神さまがその裁きを下す時、私たちが祈ればその裁きを止めるという話ではない。
大切なのは、私たちがこれから起ころうとしている裁きに心を留め、主に立ち返ること。
その思いさえなくなってしまったなら、滅びに向かっていくしかないということになる。

② 下げ降り
3つ目のビジョンは下げ降りという

7:7 主は私に示された。見よ。主は下げ振りを手に持って、下げ振りを使って築かれた城壁の上に立っておられた。
7:8 【主】は私に言われた。「アモス、何を見ているのか。」私が「下げ振りです」と言うと、主は言われた。「見よ。わたしは下げ振りを、わたしの民イスラエルの真ん中に垂れ下げる。わたしはもう二度と彼らを見過ごさない。
7:9 イサクの高き所は荒らされ、イスラエルの聖所は廃墟となる。わたしは剣をもって、ヤロブアムの家に向かって立ち上がる。」

下げ降りは、重りを紐でぶら下げて、垂直になっているかどうあkを確かめる大工道具。
このビジョンを通して主は、ヤロブアムが建て上げたものは歪んでいることを表した。
イスラエルという国は真っすぐではない。
歪んでいる建物は打ち壊し、建て直す必要がある。
その時が近づいていた。

③ 夏の果物
第4のビジョンは夏の果物。

8:1 【神】である主は私に示された。そこには一かごの夏の果物があった。
8:2 主は言われた。「アモス。何を見ているのか。」私が、「一かごの夏の果物です」と言うと、【主】は私に言われた。「わたしの民イスラエルに終わりが来た。わたしはもう二度と彼らを見過ごさない。

夏の果物とは、熟した果物のこと。
裁きの時は熟した。
これまでは見逃してきた、見過ごしてきたけれど、もう彼らを見過ごすことはない。
今こそ裁きの時は来たのだ。

裁きの時には、そこには希望の光はもうなく、絶望的な闇だけが訪れる。
そして、人々はもう神の声を聞くことがない。
最初から聞こうとしないからだ。

アモス 8:11 見よ、その時代が来る。──【神】である主のことば──そのとき、わたしはこの地に飢饉を送る。パンに飢えるのではない。水に渇くのでもない。実に、【主】のことばを聞くことの飢饉である。

④ 祭壇の傍らに主が立つ
最後のビジョンに現れたのは主ご自身だった。

アモス 9:1 私は、祭壇の傍らに主が立っておられるのを見た。すると、主は言われた。「柱頭を打ちたたき、敷居が震えるようにせよ。すべての者の頭を打ち砕け。彼らのうち、生き残った者をわたしは剣で殺す。彼らのうち逃げられる者はなく、彼らのうち逃れられる者もない。

神の裁きが訪れるとき、それはどこにも逃れる場所はない。
どこにいても必ず見出され、滅ぼされてしまう。
そのような恐ろしい裁きの時が訪れようとしていた。
しかし、アモスはそのような恐ろしい警告だけで終わらない。

アモス 9:11 その日、わたしは倒れているダビデの仮庵を起こす。その破れを繕い、その廃墟を起こし、昔の日のようにこれを建て直す。
9:12 これは、エドムの残りの者とわたしの名で呼ばれるすべての国々を、彼らが所有するためだ。──これを行う【主】のことば。
9:13 見よ、その時代が来る。──【主】のことば──そのとき、耕す者が刈る者に追いつき、ぶどうを踏む者が種蒔く者に追いつく。山々は甘いぶどう酒を滴らせ、すべての丘は溶けて流れる。
9:14 わたしは、わたしの民イスラエルを回復させる。彼らは荒れた町々を建て直して住み、ぶどう畑を作って、そのぶどう酒を飲み、果樹園を作って、その実を食べる。
9:15 わたしは、彼らを彼らの地に植える。彼らは、わたしが与えたその土地から、もう引き抜かれることはない。──あなたの神、【主】は言われる。」

ここに書かれているのは、倒れたダビデの家の建て直し。
彼らは回復し、豊かになり、もはや決して失うことがない。
そのような回復がイスラエルに訪れることをアモスは預言している。

これは、ユダの捕囚から帰還の預言であり、1000年を越えたイスラエルという国の回復の預言であり、終末の裁きの後の新しいイスラエルの預言でもある。
預言は、このような希望の言葉で終わるのだ。

しかし全ての前に、裁きが来なければならない。
そこで、神と共に生きたい者と、そうではない者に分けられる。
分けられるのでなければ、その先にあるのは祝福の喜びではなく、今と同じ分断と略奪、搾取と暴力だからだ。
私たちは、主と共に歩んでいるだろうか?
その備えができているだろうか?
アモスは言う。「あなたの神に会う備えをせよ。」