ホセア1:1-3:5 ホセア1『姦淫の女を引き取れ』 2021/11/28 けんたろ牧師

ホセア 1:1-3:5
1:1 ユダの王ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代、イスラエルの王、ヨアシュの子ヤロブアムの時代に、ベエリの子ホセアにあった【主】のことば。
1:2 【主】がホセアに語られたことのはじめ。【主】はホセアに言われた。「行って、姦淫の女と姦淫の子らを引き取れ。この国は【主】に背を向け、淫行にふけっているからだ。」
1:3 彼は行って、ディブライムの娘ゴメルを妻とした。彼女は身ごもって、彼に男の子を産んだ。
1:4 【主】は彼に言われた。「その子をイズレエルと名づけよ。しばらくすれば、わたしがイズレエルでの流血のゆえにエフーの家を罰し、イスラエルの家の王国を終わらせるからだ。
1:5 その日、わたしはイズレエルの平原で、イスラエルの弓を折る。」
1:6 ゴメルはまた身ごもって、女の子を産んだ。主は彼に言われた。「その子をロ・ルハマと名づけよ。わたしはもう二度とイスラエルの家をあわれむことはなく、決して彼らを赦さないからだ。
1:7 しかし、わたしはユダの家をあわれみ、彼らの神、【主】として、彼らを救う。ただし、弓、剣、戦い、あるいは馬、騎兵によって救うのではない。」
1:8 彼女はロ・ルハマを乳離れさせると、身ごもって男の子を産んだ。
1:9 主は言われた。「その子をロ・アンミと名づけよ。あなたがたはわたしの民ではなく、わたしはあなたがたの神ではないからだ。」
1:10 イスラエルの子らの数は、量ることも数えることもできない海の砂のようになる。「あなたがたはわたしの民ではない」と言われたその場所で、彼らは「生ける神の子ら」と言われる。
1:11 ユダの人々とイスラエルの人々は一つに集められ、一人のかしらを立ててその地から上って来る。まことに、イズレエルの日は大いなるものとなる。

ホセアはアモスとほとんど同時代に、北イスラエルで仕えた預言者。
北イスラエルは分裂してから200年ほどが経ち、ヤロブアム2世という王の時代である。
北イスラエルは分裂してから一番の繁栄の時代だったが、神さまとの関係は最悪の時代でもあった。

1~3章では、彼自身の人生を通して神さまが示したことを伝えている。
4章以降は詩文の形式で、北イスラエルへの預言が伝えられている。
今回は、1~3章までを見ていきたい。

① 姦淫の女ゴメル
ホセアの話は、神さまの衝撃的な命令から始まる。

1:2 【主】がホセアに語られたことのはじめ。【主】はホセアに言われた。「行って、姦淫の女と姦淫の子らを引き取れ。この国は【主】に背を向け、淫行にふけっているからだ。」

一つことわっておく必要があるのは、これは彼の幸せのためとか、姦淫の女の幸せのためとか、子どもたちの幸せのためという話ではないということ。
ここに表されているのは、預言者ホセアと姦淫の女ゴメルとの関係の中に、神さまとイスラエルの関係が表わされているということ。

もしかすると、これはホセアが後から自分の人生を振り返って、彼の体験したことの中に神さまの意図を見出したのであって、最初から意識して姦淫の女と結婚するのだとは思っていなかったかもしれない。
あるいは、神さまの導きによって結婚した相手が姦淫の女だったことに後で気づいたかもしれない。
しかし、その辺りのことを詮索することはあまり意味のあることではなく、ここではホセアと妻ゴメル、そして子どもたちとの関係性の中に、神とイスラエルの関係が表わされていることを読み取ることが大切。

② ホセアの子どもたち
ホセアとゴメルとの間には3人の子どもたちがいる。
最初の子にはイズレエルという名前が付けられた。
これはエフ―が王として任命され、バアル信仰をしていた先の王ヨラムを倒した場所。
エフ―の血筋を絶つしるしとして、ホセアの子にはこの名前がつけられたと主は言われている。

次の子にはロ・ルハマ=憐れまれぬ者という名前が付けられた。
これは、イスラエルが哀れみを受けることがないことを意味している。

また、3人目の子にはロ・アンミ=我が民ではない者という名前が付けられた。
これは、もはやイスラエルは神の子として認められないということを意味している。

聖書の中で、子どもにメッセージ性のある名前を付けるのはひとつのレトリックで、人物や民族、時代の本質を表している。
我々の感覚ではどうして子供にこんな名前を付けるのかと思ってしまうが、名前は頻繁に変わるので、実際にこの名前で生活していたとは限らない。
ここから受け取られるメッセージは、姦淫の女であるイスラエルから生まれてくるのがイズレエル(つまりエフ―の一族によるイスラエル)であり、それは憐れまれることなく、神の民ではなくなるのが当然あるべき姿だということ。
イスラエルは見捨てられて然るべきなのだ。

③ 姦淫の女を愛する
ところが神さまは、ホセアにこのように命じた。

ホセア 3:1 【主】は私に言われた。「再び行って、夫に愛されていながら姦通している女を愛しなさい。ちょうど、ほかの神々の方を向いて干しぶどうの菓子を愛しているイスラエルの子らを、【主】が愛しているように。」

妻が姦淫を犯したら、そこには大きな痛みがある。
夫は苦しみ、辛い思いをするだろう。
後で、浮気相手より元の夫の方が良かったと思い直しても、もはや取り返しはつかない。
律法は、その場合には離縁することを許可している。
しかし、神さまがホセアに命じたのは、他の男に走ってしまったその女を赦し、買い取り、家族として取り戻せということだった。

ホセア 3:2 それで私は、銀十五シェケルと、大麦一ホメルと大麦一レテクで彼女を買い取り、
3:3 彼女に言った。「これから長く、私のところにとどまりなさい。もう姦淫をしたり、ほかの男と通じたりしてはいけない。私も、あなたにとどまろう。」

これは、神さまがイスラエルという民族をどのように見ているのかということを表している。
イスラエルが神さまとの契約を破り、神さまから離れ、偶像を求め愛しても、神さまがイスラエルを愛する心は変わらない。
イスラエルのために傷つき、苦しみ、失望させられても、悔い改めて帰りたいと願うイスラエルを受け入れ、愛し、赦したのである。

ゴメルはイスラエルを表していて、この時代には他の男と去って行ってしまったような状態だった。
しかし、そのイスラエルが買い戻され、再び神の愛を受けるときが来る。

これは、捕囚されても戻ってくるユダのことを表しているし、滅ぼされて1000年以上世界をさ迷ったけれどもう一度国を与えられたイスラエルのことを表している。
そしてアダムの時代から、その愛を捨てて神を離れ、自分自身や人に従い、祝福だけを与えてくれる偶像崇拝の中にいた人々が、罪赦されて神のもとに戻ることができるときのことを表した預言である。

私たちは、私たちを裏切り、踏みにじり、傷つけた人たちをどのように思い、どのように感じるだろうか?
しかし神さまは、そんな私たちをそれでも愛し、受け入れてくださったのだ。

もちろん、私たちがその愛を受けるためには神さまに立ち返る必要がある。
他の男に走ったままの状態で、「その男を愛したままでいいよ。そのままで、あなたの借金だけを払ってあげよう」などとは言わない。
それもまた、正しい愛のかたちではないからだ。

神さまは、私たちが立ち返るその時を待っている。