ホセア12:1-14:9 ホセア5『主の道は平だ』 2021/12/26 けんたろ牧師

ホセア 12:1-14:9
12:1 エフライムは風を飼い、一日中、東風の後を追う。重ねるのは虚偽と暴行。アッシリアと契約を結び、エジプトに油を送る。
12:2 【主】には、ユダに対して言い分がある。主は、生き方に応じてヤコブを罰し、行いに応じて彼に報いる。
12:3 ヤコブは母の胎で兄のかかとをつかみ、その力で神と争った。
12:4 御使いと格闘して勝ったが、泣いてこれに願った。ベテルでは神に出会い、神はそこで彼に語りかけた。
12:5 【主】は万軍の神。その呼び名は【主】。
12:6 あなたは、あなたの神に立ち返り、誠実と公正を守り、絶えずあなたの神を待ち望め。

キリストの誕生を祝う日としてクリスマスは祝われる。
キリストは私たちの罪を贖うために産まれたと言う。
しかし、私たちの罪がどのようなものか、理解しない人も少なくはない。

これまで私たちが読み進めてきた預言書は、まさに私たちの罪を明らかにするもの。
預言書は直接的には当時のイスラエルの人々に向けて伝えられた言葉だが、現代の私たちにも当てはまる言葉である。

① 虚偽と暴行
少し解説は必要だけど、イスラエルの罪は12章1節の中で表されている。

12:1 エフライムは風を飼い、一日中、東風の後を追う。重ねるのは虚偽と暴行。アッシリアと契約を結び、エジプトに油を送る。

エフライムとは北イスラエル王国を表す地域。
「風を飼う」というのは、心の中に風のような虚しいものを求めているということ。
「東風」というのは、この地方に東から吹く強い熱風のことで、人々はこの東風にいつも苦しめられていた。
イスラエルはまさに、このような偽りと暴力を求めていたということである。
具体的には、当時大国となっていたアッシリア帝国やエジプトを頼りにし、救いを求めていたことがまさにこのような状況だった。
アッシリアやエジプトは確かに力を持ち、隣国の脅威という目の前の問題を解決してくれるように見える。
しかし、その力に頼ることは、イスラエルが彼らに従属することを意味していた。
イスラエルは神さまではなく、目に見えて力がある人間を頼りにしていたのだ。

私たちも、見ることができない神さまではなく、目前にある大きな力により頼んでしまう傾向があるのではないだろうか?
実はそれこそが罪の正体なのだ。
それは、人や国、政治的な力や経済力かもしれない。
私たちが目に見えるからという理由でそのようなものに頼れば頼るほど、実は自分の首を絞めることになる。
力を持った人間は、その力を間違ったことのために使ってしまいがち。
その傾向は、私たちも変わらない。
神さまではなく、目の前の力に頼るなら、その力の支配を受けることになるのだ。
神さまは言う。

12:5 【主】は万軍の神。その呼び名は【主】。
12:6 あなたは、あなたの神に立ち返り、誠実と公正を守り、絶えずあなたの神を待ち望め。

② 死のとげは砕けて消えた
北イスラエル王国は、神さまから離れ、全く別のものにより頼んでしまったために国が亡ぶという事態に見舞われることになった。
それは、彼ら自身が招いた罪の問題ゆえだったが、神さまはその愚かさに怒りをあらわにしながらも、救いの約束もしていた。

ホセア 13:14 わたしはよみの力から彼らを贖い出し、死から彼らを贖う。死よ、おまえのとげはどこにあるのか。よみよ、おまえの針はどこにあるのか。あわれみはわたしの目から隠されている。

イスラエルは国としては滅んでしまったが、民族として滅んだわけではなく、復活が約束されていた。
この預言には、捕囚からの帰還や、国としての復活という奇跡的な出来事が起こるという意味もあったが、その中心にあるのは救い主によって与えられる新しい命であり、永遠のいのちである。
「国」とか「民族」という小さな枠を超えた、神を王とする世界的な王国が誕生し、そこでは罪人となった私たちが等しく経験するはずの「死」というものでさえも、もはや意味を持たないというのである。
そしてその国には、誰でも入ることができるのである。

ここに預言されている神の国は、今から二千年前、王であるイエス・キリストが誕生した時から始まり、今も私たちとともにある。
この方を王とするなら、私たちも今すぐその国の国民となる事ができるのだ。

③ 主の道は平だ
では、どうすればその国民となれるのか?
それは第一に、自らの問題を自覚し、罪を悔い改めて神さまに立ち返ることである。

ホセア 14:1 イスラエルよ。あなたの神、【主】に立ち返れ。あなたは自分の不義につまずいたのだ。
14:2 あなたがたはことばを用意し、【主】に立ち返れ。主に言え。「すべての不義を赦し、良きものを受け入れてください。私たちは唇の果実をささげます。
14:3 アッシリアは私たちを救えません。私たちはもう馬に乗らず、自分たちの手で造った物に『私たちの神』と言いません。みなしごがあわれまれるのは、あなたによってです。」

イスラエルと同じく、私たちの問題は神さま以外のものにより頼んでいたことだ。
神さま以外に頼るものはないと知り、私たちは神さまを王とする必要がある。
そうして私たちが神の国の国民となる時、私たちは癒しと喜びの中に入ることができるのだ。
救い主イエスが十字架で命を投げ出したその時、この約束は成就し、神の国はそこから始まった。

ホセア 14:4 「わたしは彼らの背信を癒やし、喜びをもって彼らを愛する。わたしの怒りが彼らから離れ去ったからだ。

救い主の誕生と、罪の赦しばかりが語られがちなクリスマスだが、イエス・キリストは私たちの王となるために地上に来たことを、私たちは忘れてはならない。
救われた恵を受け取って神の国に入国したというだけでは、私たち自身は何も変わっていないからだ。
人生が変わるためには、私たちの生き方が変わらなければならない。
神の国の国民となった私たちは、王であるイエス・キリストに従って生きるのだ。
本当の癒しと喜びは、その先にあるものなのだから。

ホセアはこのように預言の言葉を締めくくっている。

ホセア 14:9 知恵ある者はだれか。その人はこれらのことを悟れ。悟りのある者はだれか。その人はそれらのことをよく知れ。【主】の道は平らだ。正しい者はこれを歩み、背く者はこれにつまずく。